なんや、ヘビーなタイトル来たで。これあかんのんとちゃう? いやいや、私は指パッチンの話をしよう、ってさっき風呂で考えとったから大丈夫やで。


 いや、でも⚠️入ってるしな。心臓ばくばくする人は、さっさ閉じてしまいや、頼むで。われもこれ書くのん心臓冷たいねん。けど、頑張るわ。


 ほな指パッチンの話な。さっき、風呂で練習したんやけどやっぱり鳴らへんね。むかーしブームがあって、ぎょうさん練習したけど指の関節が横滑りしてやめてもうた。

 …変な関西弁やめていいですか?じゃあ気を取り直して。

 短歌を作るときにね、指パッチンの先っぽに火花を散らしたような言葉のトリックで作る人っているでしょ。あれ、私、出来ません。この味がいいねと子供が言ったなら、ほな特売でまた買っとくわ、という発想力しかない。そんなんで、短歌を詠もうとするんだから無謀なのね、そもそも。

 そういう人が歌を作るときってじゃあどうすんの?というと、心が動いたときに感情を歌ってみたり、風景を描写してみたりするわけだ。

  例えば、毎朝通る沼なんて、格好のネタで、カモがいるとか水面がキレイだとか、そういうのを歌うのね。で、ある時気づいたんだけど同じ風景見ても出てくる歌はその時の心の状態で違っててさ、私はかなり暗いものが多いのね。

 カモが一羽浮かんでたら、ひとりぼっち、と詠うことはあってものんびりとかゆったりとかいう言葉は浮かばない。そんな風に歌をチコチコ作っていたらそれは起こったのね…フラッシュバック。

 ⚠️育った家庭が結構ハードでさ、よく父が母ちゃん殴ってたのね。そのこと自体はずっと記憶してたんだけど、どうやって暴力のあいだ過ごしたか、何を見てたかっていうのは記憶の底にずっとしまい込んでいたわけだ。心の動きの記憶を、ほぼぜーんぶ封印してたね。

 多分ね、思い出すと苦しすぎるのよ。今もちょっと息が苦しいけど、ふー、書くぞー。

 例えば、色。殴られた後に変わっていた母の皮膚の色、そして音、身体に椅子を振り落としたときの木の軋む音、そしてそれを布団で耐えていたときの二段ベッドの枠木の冷たさ。

 そういうものが何度もゆっくりと記憶に浮上するのね。そうすると心臓が苦しくなって胃が止まる。でも涙は出ないのね、35年以上時が経ても、まだ泣かないのよ。

 でも身体の症状は現れてさ、その都度生きてたボウの耳の穴とか匂って(臭いフェチだから)そしたら、こっちの世界に戻ってくるわけ。ああ、生きてるぞーって。

 ・故郷に暴力振るう父がいてそして世界は満開でした

(連作を推敲しすぎてのびている母を癒す犬の図)

 こういう時に助けてくれるのは、やっぱり知識なのね一番手っ取り早くて安上がりなのが本。

 児童精神科とか発達心理学とかアメリカのトラウマ研究の本とか読んで、なるほどこれがフラッシュダンスか…と知ったわけ。ちゃう、フラッシュバックやね。ダンスは、レッグウォーマーいるからな。(年齢ばれる、ね)

 まあ、私の場合、暴力が毎日つづいた訳じゃなくて、だいたい10才ぐらいで母が殴られる蹴られるはなくなった。

 あとは夜中に水商売の両親が帰ってきたら、いきなり父の怒鳴り声とかテーブル叩く音とか、母のすすり泣きとかが聞こえるのを布団被って我慢していた程度。だから、今もテーブルを叩く音は苦手。

 私自身が手を上げられたのは、父からはほどんどなかったと思う。だから多分、こうして書いたり歌ったり出来るんやと思う。

 その反面、母ちゃんが私に八つ当たりするときとかはさ、2歳ぐらいまではバチバチ腫れるまでやってたらしい(こないだ問い詰めたの)。

 それ以降は、ベランダにずっと出されてて、その時の記憶はある。手すりの冷たさとか空き缶の袋に当たったときの音とかの記憶。

 けど、何を考えてたか?ってのは実はまだ思い出せない。ただ、月がやたらにキレイだったとか星が真横にいる感じとか、そういう記憶は短歌してて戻って来たな。

 でもお腹空いたとかは覚えてないんだよね、不思議だよね。歌詠むのって、そうやって埋まりっぱなしの大根を引き抜くような、記憶を掘り起こす作業なんだわ。巨大大根やね。

 今も、暗い歌が溢れてきたときには、小学~中学生に人格が戻ってる感じ。今、これを書いているじつに優しいお母ちゃんは、ちょっと上からその子を見ている感じね。記憶がぼんやりしてて、朝、ありゃま?!、って歌がたくさんできている。

 よく分からんけど、ま、生活は出来てるし、気にしていない。それも含めて私だし、何しろ面白い歌は出来る。

 ただ、時々ツイッターに変なこと書いてて、朝、うひゃーっ!て消すことはあるから、そういうの見たら、ああ、坊ちゃんお月様に行ってたのね~、(または山田錦を飲み過ぎたのね)、と笑ってやってください。おねがいね。


 はっきり分かってることは、もし短歌に会わなかったら大根は引き抜かないまま、雨に腐って周りの土に溶けただろう、ということ。引っ張り抜けたから、下手なりに料理してそこそこ食べれる短歌になってご馳走できるわけだ。

 あとはいい田楽味噌とか、ごまドレッシングとかがいる。それはこれからもっと短歌の勉強して、覚えていかなきゃね。長いぞ道は。

 そうだ、それこそ指パッチンして、カモーンって呼び寄せるといいね。かっこいいカモ。(チーン)
じゃ、まずは風呂場でパッチン練習や。そのあと、短歌の勉強も頑張ります。よっしゃー。

🎵 あの日あの時あの場所で歌に会わなかったら私はいつまでも二重人格のママ
(小田和正さま、お許しあれ)

じゃあまたね👋
今、ここが天国。