私と同い年のミシェル・ペトルチアーニ、わずか身の丈90センチというグラス・ボーンという奇病を患い36歳という若さで天に召されてしまった。死因は肺感染症らしいが、死してなおもフランス最高のピアニストと言わしめるほど、あまりにも激しく凝縮された才能は聴くたびに心が痛む。
スペインはカタロニア地方生まれのテテ・モントリューは、盲目の子供たちに教えるピアノ教室で人生の転機を迎える。生まれつき真っ暗な闇の世界にあっても、88の織りなす白鍵と黒鍵の感触と、彼が愛した数々のカタロニアン・フォークソングとともに圧倒的な色彩を放っていたのは確か。64歳の夏、大好きだった生まれ故郷で静かに永遠の眠りにつく。
80は超えただろう、ホレス・パーランは小児麻痺によって右手の二本の指が機能を成さない。彼はコンプレックスからくる精神的障害も併発、時として音楽生活にも支障をきたし60年代半ばには半ば引退同然。不自由な指先から送り出された音は紛れもなく異質であったが、それが幸いしたのがパーラン節と呼ばれる唯一無二の危うさゆえの快感音階を創り出す。その彼と同じ境遇にいたのがデビッド・マシューズだ。
私がデビッド・マシューズを知ったのはあのマンハッタン・ジャズ・クインテットである。アレンジャーとしての才能は既に開花しており、遅まきながらこれよりピアニスト、デビッド・マシューズのデビューとなったわけだ。彼も利き腕である右手がほぼダメ。演奏シーンを見ると、時折右手をだら~んと下げ左手だけで弾いていることがある。故に多くのソロはシングル・トーン。それはなんとも切なく響き、彼らに共通するは、恐れと憧れが入り混じった心意気、それに参るのである。
ソロ・デビュー盤『ビリー・ボーイ』は秀作だ。私の贔屓はトラディショナルな<Billy Boy>と<Greensleeves>に彼のオリジナル<Ballad>である。クインテット同様、既成曲をどう捏ね繰りかえすかが妙味であり、アレンジャーとしての裁量とオリジナルに聴くコンポーザーとしてのメロディ・メーカーぶりはジャズ界にとって輝きし至宝だ。25年前、<You'd Be So・・・>のエンデイングのカッコ良さに毎夜ガツ~ンとやられていたもんだが、今聴き返してみてもやっぱりガツ~ンとくる。
-NO.623-
★雨中の甲子園球場★
これは今年六月のとある試合。雨で試合開始が遅れ、さらに途中雨で中断。雨天コールド負けと最悪だ。こんな仕打ちでさえオープン・エアならではの体験だ。雨の滴は半端じゃない。