海のないところに生まれて、
いまこうしてすぐにでも海を見にゆける此所に住んでいる。


現実の海にはそれほど興味はないはずなのだが、
海岸から水平線に落ちる夕日を眺めていると、

何故なのか懐かしい心持ちになるのは、
やはりもう一つの海の存在が確かなものだからかもしれない。



近頃瞑想の時間を持つと、とにかく出てくる題材のというのが、
ルールというものについてだったりする。

社会にはルールが常に付きまとい、その意図というのは人々の
各々の道徳の差の部分を統一し、間違った人間を生み出さない
ことにある。


ただ、道理を弁えた人々でさえも、いつの間にかルールに
支配され、むしろ道徳観などなくても、ルールによって支配
されていれば難なく事足りるように組み替えられてきていると
感じるのはオレだけなのだろうか。


ルールというのは、社会にある種の新しい道徳性を築くきっかけと
なるものだけに、非常に危険なものであり、ときには組織の上層部の
都合の良いものへと組み替えらることを忘れてはいけない。


ある日から路上喫煙が禁止となり、中には街全体を禁煙にしようという
動きもあったが、それに合わせて堂々とタバコの煙が嫌いと言う人が
増えた気がする。


或いは、最近特にニュースで取り沙汰される大麻取締法だが、
なぜ大麻はダメなのかと問うと、法律で決まっているから。麻薬
だから。と、ルールに基づいたオキマリの返答がある。
大麻は麻薬ではないし、何故ダメなのかという見解をのべることが
出来るのは、それを研究した学者か、その学説を熱心に学んだもの
だけだろう。尤も、日本国内ではその研究すら認可されていないの
が原状ではあるが。
しかしながら、そうして知識を得たものは、その有用性も合わせて
知ることになるだろうから、一概に否定は出来なくなるはずだ。


詰り、ダメだからダメが本当のダメを生んでいる。


無論、すべてに事由を見いだす生き方を望んでも、
非道を歩むことは余儀ないだろう。


社会は元来小さな集落に存在し、近年でも街の商店街などに
近隣との譲歩で成り立つ体制が見られ小規模で成立していた。


それがいつしか、メディアの目まぐるしい発達で多くの情報を

容易に獲得出来るようになり、或いは、交通の便がよくなった

ことからどこへでもすぐに行けるようになり急激な膨張が始まった。

それによって、今まで成立していた事柄がひとつふたつと不成立と

なっていってしまったのだ。
社会が大きくなればなるほど、統合させる為のルールが必要となり、
個人単位の道徳が、社会の規模の拡大によって薄れていく。
社会の便利とは、ある意味人として生きる不便を生んでいる

のではないだろうか。


せめて、自分の道徳に誇りを持ち、人が本来持っていた相利共生の概念を
忘れないように残り70年はないだろう人生をのんびり散歩して行ければと
思ったのである。



風が吹けば波は立つし、陽が射せばキラキラと輝く。
嵐が来れば船を飲み込むし、夜になれば無限の闇を造る。


休日の昼下がり、乾いたアスファルトの香りが、
夏がすぐそこにいることを教えてくれたよ。


ありがとう。

小学生の時に観たスタジオジブリの名作“おもひでぽろぽろ”は、

“魔女の宅急便”や“天空の城ラピュタ”と比べててもつまらないもので、

大人になった自分の記憶の片隅にも、

感動や共感の念は残ってはいなかった。

現代は、とても画期的な時代へと流れ、

インターネットを通していろいろな音楽や情報、

映画までもを手に入れることが出来るようになった。
わざわざ本屋やレンタルビデオ屋へ出向かなくても、

充実した休日の余暇を過ごせるようなったのだ。

それらへ行く楽しみはもちろんあるので、

ここでは簡単になった娯楽の取得が素晴らしいという考えの記録ではない。

そういった簡単な娯楽の取得から、厳選した映画だけでなく、

軽い興味から暇つぶしも兼ねて映画を観ることが多くなった。


一週間撮りだめしたバラエティー番組を、

予定がキャンセルになった土曜日の深夜に観るのと同じ感覚だ。
3年程前から、こういった映画鑑賞が多くなり、

その中の一つに“おもひでぽろぽろ”があったのだ。


暇つぶしにジブリの名作でも改めて観ようと、

紅の豚やもののけ姫を観て、数作ある作品の最後の方に登場した。
まず、深い気持ちではないにしろ、宮崎駿氏の監督ではないということが、

この作品を後回しにした理由だ。

しかし、観たあとの自分に驚いた。
たくさんの感動と共に、確かな共感が生まれていたのだ。

田舎暮しに憧れ、年に何回か姉の旦那さんの実家へ

農作業の手伝いに訪れる20代の女性タエコ。
そこで、田舎の風景は自然と人間が共存するために

今のカタチとなっているということに感動し、

都会での自分の生活と照らし合わせて、より生きていることを実感する。

ただ、自分がそこで一生を過ごす選択に戸惑い、

興味本位の無責任な言動について省みる。



都会に憧れて東京へ出てきた自分。

都会の生活に疲れた自分。

重なり合った気持ち。
捨てきれない何か。


中学生前後の自分がこの映画に出会っていても、

感化させられるわけがなかった。


Beatlesというバンドの名前は知っていても、

ポールマッカートニーとその他3人のバンドくらいの印象で、

曲名なんてまったく知らない中学生のときに、

父親の本棚から抜き取った“ノルウェイの森(上)”は

五分の1にも満たないページて栞がとまったままだった。

だが、20代も折り返した今になって読んでみると、

本当に出会えて良かったと心から思える。


味方のゴールにシュートを決めたあの瞬間や、

母親との口論の末、家のふすまに大きな穴を開けたことなど、

濃淡に関係なく自分の生きた軌跡は、

確かにたくさんのモノに共感を抱けるココロへと成長させていたのだと実感する。


失敗した恋愛や、したくもない仕事に我慢をするのも、

コレに値するのなら、無駄な時間はないのかもしれない。


あくまでも、感動を中心に生きる人生ならば。





Dino Painting-200903101305002.jpg

澄み切った空気。


手が届くほどに大きく輝く太陽。


甘いキャンディのような海。


先日友達に連れて行ってもらった湘南平。


一説によると、湘南平から眺めることのできる景色を湘南というとのこと。


不思議だ。


ここから眺める景色よりも、

風を切って走る国道1号よりも、

浜辺の潮騒よりも、

ここに住む人と触れ合うほうが、

湘南を感じる。 


そういう場所なんだ。