冤罪排斥”2011年1月2日に受けた屈辱を私は決して忘れない” | ぺんこのおさんぽ

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たまたま今年の1月2日に、旦那の尊敬する先輩と再会することができた。
その方も冤罪で告発され、こちらの話に全く聞く耳をもたず結論ありきで審理委員会が開かれたそうだ。結果、断絶。

そしてちょるべんさんの経験。

内容は違えどやられた手法が全く同じ。

北海道の有名な大量排斥事件の金澤兄弟も全く同じ。

実はわたしたち夫婦が以前いたところで某長老にやられた仕打ちも似てる。



共通するのは

☆いきなり来る(非常識な時間)
☆罪状の詳細を言わない
☆結論ありきで断罪する
☆こちらの話に全く耳を傾けない


本当に何の心当たりもないのにいきなり来るからね。


イエスに無理やり罪をなすりつけたサンヘドリンと同じことがJW組織内でまかり通ってること。

これは背教者のデマなんかじゃない。
紛れもない事実なんです。

心当たりもない罪でいきなり審理委員会を開かれ、心当たりないというと罪を認めず悔い改める姿勢がないと判断され排斥される。
上訴してもさらに詳しい調査などされることはない。
なぜなら排除するのが目的だから。
罪はなんでもいいということ。

だから、誰がその訴えをしてるのかときいても「教えられない」の一点張り。
「証拠は?」ときくと「二人の証人がいる」と応える。
「物理的な証拠と裏付けは?」ときいても「二人の証人が物理的証拠と同じ効力を持つ」という。

これ、本当ですよ。
いくら聖句を開いて原則通りの扱い方ではないと訴えても「容疑者」にそんなことをいう権利はないという態度ですから。


それですっかり幻滅したのがわたしたち夫婦の覚醒したきっかけ。
運が良かったのか他の長老が動いて、こちらが有責の証拠が何もないことを正直に認めてくれたから排斥になることはなかったけど長老と組織に対する不信感はだだ下がり。

辛うじて家族のために現役でいるけど、心は組織から遠く離れてるのが現状です。


本当に恐ろしい世界ですよ。長老の好みで排除したい人は「二人の証人ルール」を簡単にでっちあげられ、二度とJWに戻ることを許されず声をあげても信者からは背教者のデマとしてハナから切り捨てられる。

真実は闇の中に意図的に葬られる仕組みになっているんです。

排斥や断絶の理由を言わないというのは本当に巧妙なやり方なんです。

信者からすれば排斥でも断絶でも「エホバの証人ではなくなりました」しか言われないので「ご想像にお任せします」状態。
ないことないこと噂で出てきてよっぽどの罪を犯したんだと勝手に怖れる。

話もできないから本当のことは信者に伝わらない。逆にいうとやられた側は最初から最後まで噂や言い分を訂正することすら許されない状況に追いやられるんです。


おかしいでしょ?

人を殺すような極悪な犯罪者ですら言い分を聞いてもらえる場があるんですよ。

自分の言い分を言う場すら与えられない組織のやり方に本当に聖霊が働いていると思いますか?



公正で愛と許しに満ちた神がこのような取り決めを是認されると本当に思いますか?


もし現役の方が読んでいるなら、ものみの塔や出版物など全部取り払って、ただ聖書だけを偏見なく一度読み返してみてほしい。


排斥された人、断絶した人は避けるべきモンスターではないですよ。
法的にも人権的にも何の罪も犯してない人が確かにいるんです。

そもそも、憲法や法律で決められたことを「相対的」な位置付けにして堂々と破ってる宗教、JW以外の宗教でそういうことしてると聞いたらどう思いますか?

世間ではJWも同じように見られていることを自覚しなきゃね。

「忌避」は神に受け入れられることだから人権を無視してもいいと教えてる宗教は何にも特別で「唯一真理」の宗教ではないということ。
 

ちょるべんさんや先輩の話、自分の実体験からレイモンド・フランズさんが書いた「良心の危機」はかなり正確に組織の実体について書いてあるということを確信しました。