7章 その②
【要約】
〔6〕いかなる実体も関係的なものでないと言えるかどうか
いかなる実体も関係的なものに属しない、と言えるかどうかというのは難問である。
第一実体については、確かに関係に属するということはないと言える。
全体としても部分としても、何か或るものとの関係において言われるということはないから。
例)
・全体
或るものの或る人間→言われない
或る人の或る牛→言われない
・部分
或るものの或る手→言われない
或るものの手→言われる
或るものの或る頭→言われない
或るものの頭→言われる
第二実体についても、全体においては同様である。
例)
・全体
或るものの人間→言われない
或るものの牛→言われない
或るものの材木→言われない
或るものの所有物→言われる
しかし部分のうちのいくらかにおいては論争の余地がある。
・部分
或るものの頭→言われる
或るものの手→言われる
この章の最初の関係の定義では、この難問を解決するのは全くの困難事あるいは不可能事である。しかし、関係の定義を「それの「であること」〔本質〕が「或るものとの関係においてこうこうである」と同一であるところのものである」とすればそれに対し何事かの答えは得られるだろう。最初の定義は関係的なもののすべてに当てはまるが、少なくとも最初の定義に該当するものが関係的なものなのではない。
【感想・考察】
〔6〕いかなる実体も関係的なものでないと言えるかどうか
「の」(属格)は基本限定の意味で使われるものであり、それを四種類に分けるとすると、一つ目は所有者/所有物、所属先/所属物、全体/部分、実体/属性、類/種or種/個において使われるもので、これを属するの「の」とする
例)
〇〇の〇〇(「の」を置き換えても意味が通じる言葉)
所有者/所有物:Aさんのハサミ(「の所有する」「のものである」)
所属先/所属物:A会社のAさん(「に所属する」「の一員である」)
全体/部分:日本の大阪(「の一部である」)
実体/属性:Aさんの白さ(「に備わる」「についている」「の持つ」)
類/種or種/個:人間のAさん(「である」)
(人間のAさんは「の」ではあるが人間でないAさんはいないので何かは限定していない。もしロボットのAさんなどを想定してのことなら、それはAさんの同型のものという集合からの限定となると思う。)
二つ目は属性/実体において使われるもので、これを規定の「の」とする。
例)
白のAさん(「である」)
<白さ、重さ、長さ、暗記力>などのAさんとは言うことができない。<白、70kg、160cm、暗記力80>などのAさんとは言うことができる。白さなどは抽象的な度合やそのものという属性であり「〇〇を持つ」という表現なら言える。白などは具体的な属性で「〇〇の〇〇」という形で言える。白さのAさんのような表現は「白そのものと言っていいほどのレベルの白のAさん」ということで、やはり具体的な属性として言われているように思う。この「の」は属性の方が属している側で、これを使う時に白というような属性の集合に実体が属しているというような意識は持たずに使っていると思うので規定の「の」とした。
三つ目はa[A]b[B]の関係におけるA/b、B/aにおいて使われるもので、これを対相手関係の「の」とする。
:Aさんの国、日本の国民(「によって」(多対一の時は使えない))
主人[Aさん]奴隷[Bさん]:Aさんの奴隷、Bさんの主人(「によって」(多対一の時は使えない))
これはそのものの相手関係の集合に属するというところから使われるようになっている用法であると思う。
またこの「の」はそれを抽象化することでab間においても使われているように思う。これを対相手関係の転用の「の」とする。主人[Aさん]奴隷[Bさん]において、Aさんの奴隷、Bさんの奴隷、Cさんの奴隷、…という沢山の人を抽象した主人というものの奴隷というところから、主人の奴隷と使われるようになっているのだと思う。ただこの「の」においては、主人の奴隷という場合は、Aさんの奴隷やBさんの奴隷など具体的な主人のイメージを持って語られなければ使うことができないと思う。純粋な抽象概念としての主人の奴隷とは言うことができないように思う。
また四つ目はabにおいて全体/部分や所属先/所属物の関係がある場合に使われるもので、これを対包含相手関係の「の」とする。
全体[Aさん]部分[頭A]:全体の部分
国[日本]国民[Aさん]:国の国民
○○あるもの[A]○○[B]:○○あるものの○○
翼あるもの[鳥A]翼[翼A]:翼あるものの翼
この「の」の場合は、対相手関係の転用の「の」のような具体的なイメージを持つ必要がない。「翼あるものの翼」は「その翼あるものの翼」、「翼の翼あるもの」は「その翼の翼あるもの」というイメージで言われるが、この「の」の場合は「翼あるものの翼」は「その翼あるものの翼」というイメージで語られない。abが関係でありaがbの全体や所属先である場合に「aのb」として使われる。aがbの所有者である場合は使えない。所有者は所有する/されるの関係であり部分として包んでいるわけではないので使われない。
abにおいて対包含相手関係の「の」と対相手関係の転用の「の」の両方が使える場合は対包含相手関係の「の」となりやすい。両方対相手関係の「の」の場合は「主人の奴隷」「奴隷の主人」と「aのb」「bのa」と自然で言いやすいが、片方が対包含相手関係の「の」の場合は「翼あるものの翼」「翼によって翼あるもの」ともう一方は言いにくくなり「aのb」「bによってa」の形となる。
一つ目の属するの「の」と二つ目の規定の「の」によって結ばれる二つのものは関係ではなく、三つ目の対相手関係の「の」によって結ばれる「Aのb」「Bのa」のaとbは関係であり、また三つ目の転用の「の」と四つ目の対包含相手関係の「の」によって結ばれる「aのb」「bのa」のaとbも関係となる。
そのためアリストテレスは関係に属するかどうかの判別として、一つ目の「の」と二つ目の「の」を除いた三つ目の「の」と三つ目の転用の「の」と四つ目の「の」を使っているのだと思う。もし一つ目の「の」と二つ目の「の」を含めているのだとするとそれらは関係でないので判別できないし、例として出されている「或る人の或る牛」や「或るものの材木」も全然言えるものとなってしまうからである。
また他にab間は基本的に「によって」(与格)が使われる。
国民[Aさん]国[日本]:国民によって国、国によって国民
主人[Aさん]奴隷[Bさん]:主人によって奴隷、奴隷によって主人
「によって」は必然的な繋がりのある二つのもの、本質とそのものや、二つの関係(ab)の間などで使われる。関係とは外部のものとの関係であって、本質とそのものは内部のものであるので関係とはならない。そのため「によって」が使われるからといって全て関係ということではない。また「雨によって洪水となる」など原因によって結果となるという形でも使われるが、これは後ろが「洪水になる」と述語になっており、お互いが名詞として使われる関係などとはまた異なるものとなる。
またその「によって」はAb、Ba間の対相手関係に転用されて使われている。
主人[Aさん]奴隷[Bさん]:主人によって奴隷→Aさんによって奴隷
ただし多対一の関係においては転用することができない。
国民[Aさん]国[日本]:国民によって国→Aさんによって国×
一対一の関係とするなら転用することができる。
国民[日本国民]国[日本]:国民によって国→日本国民によって国
「の」を使って判別すると一つ目の「の」と二つ目の「の」が混ざって判別しにくいが、「によって」だとそれらは混ざってこないので判別しやすくなる。ただし多対一の場合は「によって」が使えないので「の」を使う必要がある。またそのものの本質であるときは関係でないとする。
「より」は量や程度性の比較の時に使われ、基本的にA/b、B/aにおいて使われるものである。
小さい[10cm]大きい[20cm](10cmより大きい〇、20cmより小さい〇、小さいより大きい×、大きいより小さい×)
ただし関係を10cmなど様々な小さいものを抽象した小さいものとすればab間でも「より」は使える。
小さいもの[10cm]大きいもの[20cm](小さいものより大きいもの〇、大きいものより小さいもの〇)
いかなる実体も関係に属することはないということができるのか。第一実体については、全体も部分も、何か或るものとの関係において言われることはないから、関係に属することはないと言える。或る牛とは牛A、牛B、牛C、…としてそれらのうちの任意のどれかとなる。分かりやすくするため「の」を「によって」に置き換えて読むとすると、所有者[Aさん]所有物[牛A]として、Aさんによって牛Aは言われず、Aさんによって所有物と言われる。所有者[或るもの]所有物[或る牛]として、或るものによって或る牛は言われず、或るものによって所有物と言われる。
部分においても、手あるもの[Aさん]手[手A]として、Aさんによって手Aとは言われず、Aさんによって手と言われる。手あるもの[或るもの]手[或る手]として、或るものによって或る手とは言われず、或るものによって手と言われる。
もしロボットがハサミを手として装備したとき、そのハサミはロボットの腕の先端に部分として付いているものとなり、手あるもの[ロボット]手[ハサミ]となる。その場合、ロボットによってハサミとは言われないが、ロボットによって手とは言われる。人間の手も同様で、人間の腕の先に付いていなくても、人間の手の形状をしており物を掴む機能があるなら、それは関係の手でなく実体の手となる。
第二実体においても、全体については、同様に関係に該当しない。材木A、材木B、材木C…の第二実体である材木(第二実体)について考えると、それは所有者[Aさん]所有物[材木(第二実体)]という形とはならない。Aさんは材木Aは所有できるが、抽象的な材木(第二実体)は所有出来ないからである。ただどちらにせよ、Aさんによって材木(第二実体)とは言われない。所有者[Aさん]所有物[材木A]とした場合は、Aさんによって所有物と言われる。
しかし、部分については、手A、手B、手C…の種である手(第二実体)は、Aさんによって手(第二実体)とは言われないはずだが、手あるもの[Aさん]手[手A]として、Aさんによって手(関係)とは言われる。第一実体の時は表現は、或る手や手Aへとなり手(関係)とは異なる表現になるが、第二実体の時は、手(第二実体)も同じ手という表現であり、本当にAさんによって手(第二実体)と言われていないのかどうかはわからない。
ある猫とある動物が共にいて、そのペアの方をある人が向いて「猫だ」と言ったとする。ある猫は確かに猫である。ここで考えられるのは
①猫のみが猫と言われた。
②ペアでいたことでその人に猫と誤認されたその動物まで言われた。ただしそれはその動物自体が言われたとは言えない。
③その動物自体まで猫と言われたが、しかしその動物は本質的に猫ではない。ただその人に猫と捉えられる何かがあった。
④その動物自体まで猫と言われて、かつ本質的にその動物も猫である。
その動物が実際猫であるかという難問を解決するのは難しい。ただ猫の定義を「その人に猫と言われていること」でなく「本質的に猫であること」に変えた方が良いと思われる。二つ目の定義なら本質的に猫である④のみが猫であり、それ以外は猫でないとなる。一つ目の定義なら①~④から全てにおいて猫となってしまうかもしれず、①と②については手(関係)と手(第二実体)というように表現を変える、つまりその猫とその動物がペアにならず離れているという対処を取ることで、その動物は猫だと言われていないとすることで猫でないとすることはできるが、③については本質的に猫でないのに猫ということとなってしまう。
最初の定義は関係的なものの全てに当てはまるということなので「他のものの(より)と言われる」という「言われる」は、Aであれば必ずAと言われるし、AであるのにAと言われないことはないというそれが正しく表現されるものとなる。そもそも人々に日常的に言われるという、正しく表現されていないものも含む「言われる」なら、A であるのにAと言われない、AでないのにAと言われるということもあるもので、そもそも最初の定義としても使うことはない。猫であれば必ず「猫」と言われる。また猫でなければ同様に必ず「猫でない」と言われる。しかし虎もまた「猫(虎)」と言われるなら、「猫(猫)でない」と「猫(虎)」と言われることは両立する。つまり猫(猫)であれば必ず「猫(何でもいい)」と言われるが、「猫(何でもいい)」と言われたからといって猫(猫)であるとは限らない。
上の例で考えると、①④は猫(猫)として言われているものだが③はその動物が虎であり猫(虎)として言われているものとなる。ただ②については正しく表現されていないものであると思う。ただ定義としては正しく表現されたものであり、その定義に該当するかの探究はまず日常語から入るしかなくその時点で正しく表現されていないものということとなると思う。
そのため猫の定義は「本質が猫(猫)であること」とすることがよりよく、それにより猫(虎)と言われるものやその他の猫と言われるものを除き、猫(猫)と言われるもののみに絞ることができるのだと思う。ただし猫の本質はもしかしたら本質が猫(虎)であることなどその他のものの方がより適しているかもしれないし、別の視点から見た猫も見えるかもしれない、ということでかなり有力な定義だが一旦仮置きしているという形なのだと思う。またその上でその動物の本質が猫(猫)であるのかという④の検証を行う必要がある。
そのため関係的なものの定義は「それの「であること」〔本質〕が「或るものとの関係においてこうこうである」と同一であるところのものである」と修正される。また手(関係)の定義は「手の「であること」〔本質〕が「手あるものとの関係において腕の先に部分としてあることである」と同一であるところのものである」などの形となり、手(実体)の定義は「その形状をしており物を掴む機能があるもの」などの形となる。
手(実体)のこの本質の中に「或るものとの関係」は入っていないように見えるが、もしかしたらそれを部分とする何かとの関係が入り込んでいるかもしれない、手の本質の中にある掴むという機能は身体という接続先に接続されることで発揮されるものであり、機能の中に接続先との関係が含まれているのではないか、また本質を正しく捉えることができていないかもしれない可能性が残る。