哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る -7ページ目

人生を哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る

鈍感について



前回の内容が、鈍感についての内容だったので、今回は敏感について


よく、細かいことを気にする人を神経質な人間という


鈍感な人間に対して、神経質な人間を、敏感な人間という表現にしたいと思う


敏感な人間は、とても細かいところまで気にする


敏感な人間も鈍感になれないように、鈍感な人間も敏感になれない


敏感も才能だ




細かいところ、そして、深いところまで考えることができる


しかし、必要ないところまで考えてしまう


良いことだけならいいが、悪いところまで考えてしまう


それが、敏感な人間の苦しみだ


考えたくないことまで考えてしまい、自分を苦しめる


考えないと不安になり、さらに考えてしまう


あるところまでくると、絶望感に襲われる


最終的には、死を考えるところまでいく


自分で勝手に苦しんでるだけなんだけどね


でも、どうしようもない


それが、敏感な人間の宿命だ




しかし、生きていかねばならない


そこで必要になってくるのは、自分の思考をコントロールする技術だ


不安な感情は、考えることで生まれる


過去に不安についても書いたが、不安は危険予測能力だ


敏感な人間の場合、この能力が発達しすぎている


危険予測能力の暴走だね




この暴走を食い止めるためには、コントロールする技術が必要だ


考えてもどうしようもないことは、考えないようにするしかない


考えてどうにかなることは、徹底的に考えればいい


不安になってるときは、一つのことに捕らわれしまい、主観的になっている


そこで必要なのは、客観的になるトレーニングだ


不安なことは、考えれば考えるほど絶望してくる


しかし、客観的に考えれば、考えてもどうしようもないことだったりする


そのときは、考えるのをやめる


不安によって絶望する前に、ストップすれば痛手は少ない


むしろ、なんでそのことで不安になってるのか、冷静に自分の感情を分析するのに、思考を使えばいいと思う




これがコントロールできるようになると最強だ


人の感情を理解することができるし、物事を深く考えることが得意だ


もちろん、危険予測能力にもすぐれており、失敗なども回避できる


筋道立てて考えることができるから、どんどん、自分を高めることができると思う


敏感な人間の持っている神経質は諸刃の剣だね


とてもすぐれた能力だけど、能力が強いだけに、コントロールが難しく暴走しやすい


偉大なことを成し遂げる人は、敏感な人間が多いだろう



最後まで読んでいただきありがとうございます^^


鈍感について

人生を哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る

敏感について


よく鈍い、人の気持ちを理解できない人は、鈍感な人といわれる


否定的な意味で用いられることが多いね


しかし、自分は、鈍感は才能だと思う


むしろ、鈍感に憧れている


自分は神経質な人間、要は敏感な人間だ


敏感な人間なのは、もはや宿命と思ってる


こればかりは仕方が無い


酒飲んだときだけ、鈍感になれるけどね




鈍感な人間は何を言われても、何をされてもあまり動じない


肝が据わってるというか、そんなに感じないんだろうね


実にタフだね


うらやましい


こんな能力が自分にあったらどんなに幸せかと思う


人を傷つけたことにも気付かない


自己肯定型というか、感じないんだろう


個人的には人を傷つけたくはないが、鈍感な人間本人からすれば、傷つけたことにも気付かないから幸せだろう


しかし、敏感な人間も人を傷つけることがある


妬みなどによるもので、こちらは確信犯だ


同じく傷つけるなら、悪意がなく、気付かないほうが幸せだ


鈍感な人間は知らない喜びがあるだけマシだと思う


自分が苦しまずに生きるなら、鈍感なほうがいいのかもしれない


鈍感な人間は、仮にハブられても、ハブられたことに気付かない


普通にいつもどおり笑顔だ


逆に、ハブったほうの人間が、なかなか効果がなくいらいらしてくる


鈍感ってすごい、才能としか言いようが無いように思える


自分はもう、酒飲んだときしか鈍感になれない


仕方ないから、敏感なまま生きようと思う




しかし、鈍感な部分はある


自分の鈍感な部分は、部屋が汚くても平気、肉体的な健康には興味がない


要は、精神的には敏感だけど、物理的には鈍感なのかもしれない


自分に残された鈍感的要素は大事にしていこうと思う


敏感な人間からすれば、鈍感な人間は否定される傾向にある


しかし、鈍感を否定すれば、自分にある鈍感的要素も否定しまい、すべてが敏感でなくてはならないと思うだろう


逆に、鈍感を肯定すれば、自分の残された鈍感的要素を肯定できる


自分の鈍感的要素は大事にしたいと思う




鈍感な人間は、基本的にあまり考えてないように見える


頭が弱い人なのかもしれない


何かやらかしたら、笑い飛ばしてやればいい


なんで笑われてるかも理解できないだろうが、そこまで考えないで、一緒に笑ってると思う


かわいいもんだね


鈍感には鈍感のいいところもあるってことさ


なるべく肯定的に見るのが自分のためでもある


なるべく物事に対する否定的な要素を消していこうと思う




最後まで読んでいただきありがとうございます^^


敏感について

大学時代のレポートの内容で、人間のエゴについてです

普段より堅めの文章ですが、ご了承ください<(_ _)>



乳児期のときは、生物的身体的な個体性に根ざした意識A(自分の行っていることを反省しない状態)である。


やがて、年齢を重ねるにつれて意識B(自己中心的な状態で、行為のあり方は反省するが、その暗黙の価値評価の基準となっている自己の生き方までは反省しない状態)になる。


最終的には、意識C(一回限りのこの人生をいかに生きるべきかを真剣に反省する状態)になる。



 上記のことから、自己中心的であることは人間が生存していく上で、絶対必要な性質といえる。


睡眠欲、食欲、性欲、金銭欲、支配欲など、たくさんの欲求が存在するからである。


欲求を抑えようとしなければ、すべての欲求があからさまに表に飛び出し他者と共存するのが困難になる。


だが、すべての欲求を抑えようとするなら肉体的にも精神的にも生きてくことはできない。


 では、なぜ「人はみな自己チュウ」だと決めつけることができないかというと、人には他者が自己中心的であることを、認めたくないという自己中心的な感情が存在するからである。


要するに、自分のエゴイズムによって、他者のエゴイズムを認めることができないということになる。


道徳、常識、筋を通すなどの言葉は、エゴイズムを認めないというメッセージを含んでいるといえる。


だが、他者と共存していくためには欠かせないことである。

 


つまり、自分のエゴイズムと他者のエゴイズムを共存させることが必要になる。


そのために自分ができることは、人にはみなエゴセントリックな感情が存在するということを認識し、お互いのエゴセントリックな感情を共有しあうことである。


また、社会的に考えれば、自分は数十億人のなかの一員である。


みなエゴイズムであるとともに自分もそうであることを理解し、お互いの価値観の違いを認めあい、お互いの自尊心を大切にしあうことである。


これが、真に「自分らしく生きる」ということである。


最後までお読みいただきありがとうございます^^