哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る -4ページ目

人生を哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る

誰でも悩みはあると思う


人間関係、健康、お金など様々だ


人は、難しいことを解決しようとするときに悩む


やはり苦しいのは事実だ


しかし、悩むということは、なんとかしようと努力してる証だと思う


なんとかしようとしなければ、投げ出すか絶望するかどちらかだろう


悩むということは、前向きなんだと思う




しかし、苦しみが伴うから、いい意味では捉えられないのだろう


悩むにも、精神力が必要だ


悩むのも、一つの考える能力だろうね


それだけの心の許容量があるってことだ


許容量があるからこそ、なんとかしようと考えることができる


それだけ、重いものを背負うことができるとも表現できるだろう




「人の一生は重き荷物を負うて遠き道をゆくがごとし 」


これは徳川家康の言葉だ


彼の一生もまた、波乱万丈で、悩みも尽きなかっただろう


しかし、投げ出さず、絶望せずになんとか立ち向かってきた


悩みは心を鍛えるのだと思う


悩みを背負えるだけ背負おうと言いたいのではない


そこまで自分を苦しめれば、精神のバランスを崩す恐れがある


自分がいいたいことは、目の前にある悩みを背負い、なんとかしようとしてる人は、それだけの能力があるということだ


その能力を認めることが自信につながるのではないかと思う




悩んでるときは苦しい


しかし、自分の人生を切り開こうと前向きなのは確かなことだ


悩みがある自分を悲観する人もよくいる


しかし、それだけ誠実に生きているということだ


そんな自分をたまには誉めてあげてもいいのではないだろうか?



最後まで読んでいただきありがとうございます^^

人生を哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る


誰でも、よく人前に出るのがはずかしいとか思うはず


それは、ごくごく普通のことだ


しかし、過剰に恥ずかしがり、自己卑下さえし始める人もいる


なぜだろう?


そこまで人から見られることが苦痛なのだろうか?


もちろん、自分自身も恥ずかしがり屋だ




しかし、原因はなんだろうか?


やはり、幼い頃に受け取ったメッセージなのかもしれない


幼い頃、ありのままの自分でいることを恥と言われたら、人前で、ありのままの自分でいることができなくなるだろう


また、自分自身の存在は、何かをすることによってしか認められなかったりしたら、いつも何かしていなければ、恥な存在になる


その考えを、疑うこともなく、信じて大人になれば、それがあたりまえのこととなる


ありのままの自分で人前に出ることができなければ、疲れるだろう


しかし、ありのままの自分だと、それが恥になると幼い頃教わった


じゃあ、ありのままの自分のときは、恥ずかしくて人前に出れない


また、人と接するとき、何か人のためになることをしなければならないと思うと、疲れるだろう


しかし、自分自身の存在は、人のために何かをしなければ恥と、幼い頃教わった


じゃあ、人のために何かできないときは、恥ずかしくて人前にでれない




極端な話だが、子供の頃のメッセージは、無意識に深く刻まれる


「不安について2」で述べたとおりだ


幼い頃の周りの人間が、自分に対して、利用価値があるかないかを求めた場合、そのようになると思う


ありのままの自分だと、人間としての価値が無い


人のために何かできないと、人間としての価値が無い


そのようなメッセージを受け取れば、自分を恥じるようになる


自分への自己評価が、おそろしく低くなる


条件付の存在否定だね


条件が満たされなければ、恥じるように仕向けられてしまった


日本は恥の文化だ


そんな文化で育てられれば、誰でも多少はそう思うのかもしれない


しかし、もし仮に、過剰に自分に対して恥の感情があるなら、幼い頃どうだったのか、思い返してみるのもいいのかもしれない



最後まで読んでいただきありがとうございます^^


よく得をした、損をした、など耳にする


得とは損とは何んだろうか?


読んで字のごとくだが、自分にとって都合がよいか、自分にとって都合が悪いかだと思う


よくお金のことで使うね


しかし、「骨折り損のくたびれもうけ」っていうように、物じゃないものにもあてはまると思う


誰でも自分に都合が良いほうがいいだろう


誰でも損はしたくないだろう


しかし、誰かが得をすれば、誰かが損をする場合も多々ある


両者が満足するのが一番好ましいけどね




よく、目先の損得ばかりにこだわる人がいる


要は、自分の都合しか考えていない人だろう


「金の切れ目が縁の切れ目」っていうことわざがあるとおりだ


または、「いいとき友達」とか


まえに、「やさしさについて」で述べたが、やさしさとは相手の立場で物事を考えることだと思う


自分の得、自分の都合しか考えていない人はどうだろうか?


真逆だろうね


自分の立場でしか物事を考えていない人と言えるだろう


要は、わがままだ




通常は、お互いの都合を両立させようと努力する


しかし、自分さえよければいいと思っている人もいるだろう


そんな人は、実はかなり損してると思う


人には間柄があって、得しか求めない人に対しては、同じく得しか求めなくなると思う


やっぱ悔しいからね


要は、お互いに得だけを求めあう関係と言える


そのような関係が続くのは困難だろう


結局、誰も相手にするのが嫌になる


誰も近づかなくなるだろうね



人間関係には、家族、友人、恋人、同僚など様々だ


自分の得、自分の都合しか考えてない人は、人間関係という財産を捨ててるようなものだ


非常に哀れだと思う


要は、人間関係を失うことを損と理解できない


良好な人間関係では、実際、物理的な損得についても、ギブアンドテイクで考えれば、だいたいはフェアだと思う


何かあげれば、お返しが生まれるだろうから


じゃあ、自分の得、自分の都合しか考えない人は、人間関係という財産だけを捨ててることになる


一時的には、得をしたと思うだろうけど、結果的に、損をするという罠にはまるわけだ


人間関係を築きたくない人は、自分の得だけ考えても損ではないだろう


恨まれない程度ならね




逆に考えれば、人の得、人の都合を考えられる人は、結局、自分も得すると思う


人間関係という財産を得ることができるだろうからね


自分のしたことは自分に返ってくるって言葉が当てはまる


もちろん、どちらを選ぶかは、その人しだいだろう



最後まで読んでいただきありがとうございます^^