人生を哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る -3ページ目

人生を哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る

内容は、人生哲学、自己啓発、深層心理、などです。わかりやすい、深い文章を心がけております。

心の病(うつ病、強迫神経症)により、人間関係や不安や焦りなどで悩み苦しみました。

読者様の生きるヒントになれば幸いです。

人生を哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る

誰でも、いじめについて考えると思う


もちろん、いじめの加害者や被害者になる人もたくさん存在するだろう


しかし、なぜ、いじめというものが起こるのだろうか?


みんな仲良く平和に共存できればいいじゃないか


いじめの心理について考えたいと思う




いじめは、優越感と劣等感が原因だと、個人的に思う


優越感は快感、劣等感は不快な感情だ


簡単に表現すれば、いじめは優越感を得て、劣等感を解消するための行為だと思う




優越感を得るためのいじめは、自分より弱いと思える人に行うものだろう


自分より弱いと思える人間を迫害することで、さらに弱い人間に仕立て上げ、相対的に自分が上になる


相対的に自分が上になれば、優越感を得ることができるだろう


優越感は、比較することで得られる感情だからね


そして、優越感の感情に耐性ができていき、満足できなくなってくる


その結果、さらに優越感を得たいがために、いじめがエスカレートしていく


もちろん、いじめる側の人間にも罪悪感はあるだろう


しかし、優越感の快感に溺れ、歯止めが利かなくなる


実に残酷だ




劣等感を解消するためのいじめは、自分より優れていると思える人に行うものだろう


自分より優れていると思える人間を迫害することで、優れていると思える要素を消していき、相対的に自分が下から上にあがる


相対的に下でなくなれば、劣等感を解消することができるだろう


劣等感もまた、比較することで得られる感情だからね


そして、劣等感をさらに解消したいがために、いじめがエスカレートしていく


どんどん、下に落とせば落とすほど、劣等感が解消されていき、今度は優越感さえ感じることになるだろう


そして、歯止めが利かなくなる


足をひっぱるってのは、このことだね




いじめる側の人間は、自分の弱さを自覚していると思う


自覚しているからこそ、それが苦痛で、いじめに走るのだろう


自分の弱さを否定したいがための行為と言えるのかもしれない


被害者からすれば、迷惑極まりない行為だ


また、いじめる側の人間の家庭環境が、ひどいケースも多いと思う


日ごろ味わってる屈辱を解消するための代替方法として行っているのかもしれない




いじめをなくすにはどうすればいいか?


結論からいえば、罰則を強化する以外方法はないと思う


犯罪も罰則があるからこそ、抑止力になっている


いじめも犯罪も、自分の欲求を満たす行為だ


いじめも犯罪のように罰則を強化しなければ、欲求に負けて行為におよんでしまうだろう


よく「いじめはひどい」、「いじめをするのは最低だ」、「いじめられる側の人間の気持ちを考えろ」とか言うが、いじめを行う人間は、そんなことを考える余裕はないのだと思う


考えたとしても、その欲求を抑えることができないから、いじめを行ってしまうのだと思う


優越感を得て、劣等感を解消したいのは、もはや本能だ


本能を抑えるためには、きついペナルティーを課すしかないと思う


まさに、犯罪が行われる心理と同じだね


しかし、いじめ関してはなぜか寛容だ


道徳やモラルを諭し、罪悪感を与えることにとどまっている


いじめを行う人間からすれば、本能を満たすことにとらわれているため、理性で考えるのは困難だろう


そんな、愚かな人間は、罰則をもってして治めるしかないと思う


動物のように叩かなければ、わからないだろうからね




いじめは、被害者の人生に大きな損失を与える、非常に卑劣な行為だ


死に至るほどの問題なのに、愚かな教育関係者身の保身のため、なかったことにされる


その学校でいじめが起きれば、教育関係者の評価が下がるらしい


そんな、お役所仕事のようなシステムが、いじめの隠蔽につながるのだろう


教育に関する法律を大きく変える必要があると思う


そして、いじめの加害者を、厳しく罰する法律ができることを、切に願う



最後まで読んでいただきありがとうございます^^