哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る -2ページ目

人生を哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る


誰でも、不安や焦りにとらわれると思う


恐怖の感情にとらわれ、身動きが取れない状態だ


実に主観的な状態だね


そして、どんどん深く深くとらわれていき、あるところまでくると絶望にかわる




そこで必要になるのが、客観的な思考に切り替えることだ


どんどんとらわれていき、絶望するまえに、客観的な思考にもっていき、ストップをかける


しかし、言うほど簡単なことではないのは痛いほどわかる


仮にストップをかけれたとしても、不安なことが頭から離れず、また不安になる


そして、また不安なことを考え始め、結局、深みにはまってしまう




じゃあ、どうすればいいか?


今日が人生最期の日だと思えばいいと思う


不安は、明日、明後日、将来のことを考えるから、危機管理をしようとし、恐怖の感情が生まれ、苦しむものと思う


ならば、それを根本から絶つには、明日はないと思うのがいいかもしれない


明日はないというと、いかにも希望がないと思われるかもしれないだろうが、それもまた、一つの考え方だ




明日がないと思えば、何をするだろうか?


希望ないと絶望するだろうか?


逆に、今やりたいことを精一杯やると思う


今日を精一杯悔いのないように生きると思う


実に冷静に、最期に何をしようか考えると思う


もし、そのような状態になれれば、不安のとらわれから解放されるのではないだろうか




そもそも、不安はある程度、将来が予測できてしまうから生まれる感情だと思う


将来、いや明日も予測できなかったであろう時代が数万年前だ


そのとき、何を思って生きていたのだろうか?


やはり、今このときを生きていたと思う


情報がなく不安にすらなれない


いつ死ぬかも予測できないような状態だったかもしれない


明日、生きてるかどうかもわからない生活、それが人間の原点だと思う


また、失敗すれば死に直結することも多かっただろう


日ごろから、死と隣りあわせで、生きていたのかもしれない




人間なんて長く生きても100年程度だ


100年後は、今生きてる人はほとんどいないだろう


ほとんどが新しい人達に入れ替わる


そして、生まれた瞬間から、死へのカウントダウンが始まっている


もちろん、いつ終わるかもわからない


不安定で短い一生なのが当たり前で、それをなんとかしようとすること自体が、根本的におかしいのかもしれない




今日が人生最期の日と思って生きることは、本来の人間の考え方に帰ることだと思う


それが、自然な人間の心の状態だろう


明日はわからない


今このときしかないと思えば、不安にとらわれる必要もなくなるのではないだろうか?



最後まで読んでいただきありがとうございます^^


不安について2

人生を哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る


人は生まれたときは主観的でしかない


しかし、周りの人間と接していくことで客観的になっていく


自分ひとりの見方・考え方から、他者からの見方・考え方を意識していくようになる


そして、他者から見える自分を気にするようになり、自分の存在意義などを考え始める




ではまず、客観的に自分を見てみよう


親しい人から見れば、同じく親しい人に見える


あかの他人から見れば、一人の人間に見える


上空100mから見れば、米粒に等しい


宇宙からみれば、もはや存在を確認できない




極端な考え方だが、客観的に自分を見るということは、どんどん自分を無意味にしていくものと思う


客観的に見れば見るほど、どんどん自分の存在は意味がないものになる


存在意義などを考えるとき、客観的に考えると、有名な人間を除けば、あまり大きな意味をなさなくなるものと思う


所詮、大多数の中の一人で、ちっぽけな存在だ


代わりはいくらでもいる




では、主観的に見てみよう


自分の周りに世界がある


自分の周りには、たくさん人がいる


自分のために、みんなが動いてくれる


自分が終わるとき、世界も終わる




自分を主観的に見ると、すべてが意味のあるものに見えてくるものと思う


主観的に見れば見るほど、どんどん自分が特別な存在になっていく


自分の存在意義というか、自分の存在があって、世界があるという考えになる




今、自分の存在価値や生きる意味がないと思っている人は、客観的すぎるのではないかと思う


客観的に考えれば考えるほど、どんどん無意味に思えてくるだろう


主観的と客観的のバランスが大切なのだと思う


ときには、自分で見たもの、聞いたもの、感じたものに、感情を委ねてみるのもいいのかもしれない


主観的に考えると、もしかしたら、答えが見つかるかもしれないね



最後まで読んでいただきありがとうございます^^

人生を哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る

よく「口は災いの元」と言われる


要は、TPO(時、場所、場合)をわきまえずに、不適切な発言をすると、災いの火種になるってことだね


今風に言えば、空気を読まないとそうなるってことだろう


しかし、「口は幸いの元」であることも事実だ


人は、言葉でコミュニケーションをとり、理解しあい、仲良くなる


まさに、諸刃の剣だね




言葉は生物の中で人間だけが使える高等能力だ


他の動物は、鳴き声やしぐさなど、五感を使ったコミュニケーションがほとんどだろう


しかし、それだけでは、事細かなことを伝え合うのは困難だと思う


おそらく動物は、自分の都合のいいように、受け止め想像し、解釈しているのかもしれない


しかし、言葉を使える人間は、詳細まで伝え合うことができる


詳細まで知るということは、知りたくない事実も知ることとなる


言葉がないほうが幸せなのかもしれないね




しかし、人間に生まれた以上、使わなければならない


むしろ、社会で生きるためには、必須能力だ


どうせ使わなければならない運命なら、とことんその能力を磨くのがいいだろう


その能力を磨くことが幸せに繋がるのだと思う


個人的には、適当に使うから、災いに繋がると思う


おもに、言葉で喧嘩するのは、言い方だったり、言葉足りずのすれ違いだったりする




言葉を磨くためにはどうすればいいか?


本を読んだりテレビをみたりインターネットでまず知識をインプットする


しかし、インプットだけでは使える知識にはならない


アウトプットする能力が必要だ


アウトプットする能力は、考えたりして、自分の中で使える知識に変換する必要がある


あとは、実践だ


人と話すことで、そのセンスが磨かれる


学校でならう授業は知識をインプットするのがメインだ


しかし、それでは不十分だと思う


勉強できる人間の落とし穴は、インプットすることで評価され満足してしまうことだ


やはり、知識は使えるように変換しなければ、もったいないと思う


センスを磨くには、暗記の数十倍は大変だろう


しかし、センスは自分の財産になる


言葉はセンスなのだと思う


言葉のセンスを磨くことで、人間同士理解し合い、仲良く幸せになれるのではないか?



最後まで読んでいただきありがとうございます^^