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人生を哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る

正しさとは何なんだろうか?


正しさとは何が基準なんだろうか?


正しさにもいろいろある


法律、モラル、自分自身の正義、宗教上の教え、伝統、風習、など


法律以外は、その個人、その集団の裁量で決められるものだろう


どちらかというと、守ったほうが好ましいという程度のもので、自分自身や集団の満足、人間関係の円滑などを目的としたものと思われる




しかし、法律と組織は違う


守らなければ、ペナルティーとして明確な罰則がある


しかし、法律もその国の権力者達が好ましい、または、必要だと判断し決めるものだ


それに罰則が加わるとなると、国家権力の絶大さを明らかにしていると思う


一つの例でアメリカのある州で、嗜好用大麻が合法化された


ほとんどの国では大麻は違法だろう


しかし、合法化された国では、それが正義となる


腑に落ちないのは誰しも思ってることだと思う


法律は絶対的な権力のもと定められたものだが、本当に正義なのかどうなのか疑問だ


しかし、罰則があるかぎり、守らなければならない


絶対的な権力でさえも、こちらでは正しいが、あちらでは間違い


法律って所詮そんなものだってのが明確だ




そうなると、正義=権力ということになる


これは、正義というより、国民に権力者達の考えを押し付け、強制的に守らせてるだけにすぎないと思う


昔のイラク戦争に自衛隊を派遣した件でも、本当は憲法に違反してるだろう


しかし、言葉のアヤを使って、結局、戦争に参加した


もはや、正しいとかじゃなく、都合がいいか悪いか、それだけの問題だと思う


また、警察=正義というイメージはあるだろうが、権力者の作った法律に忠実に従ってるだけだ


警察=忠実 だと思う


権力に対して実に忠実だ


法律は国をまとめるために、正しい、守らなければならないという、統率するためのものに過ぎないだろう


それに対し、人間同士共存していくためには、相手の立場や気持ちを考える、思いやりが必要だと思う


権力者が統率するための都合で作った正義より、思いやりのほうが尊いのではないだろうか?


もちろん、罰則があるから守らなければならないけどね




世の中にはプライベートでも正しさにこだわる人は、たくさんいると思う


自分を肯定するために、正しさにこだわるのかもしれない


しかし、人間同士仲良く生きていくためには、正しさより思いやりのほうが大事ではないかと思う


正しさにこだわれば、心の通ったコミュニケーションが困難になると思う


正しさという言葉の魔力は、発する人を強烈に肯定すると思う


そうなると、正しさというより、押し付けになる恐れがあるのは否めない


正しさは、法律または組織運営以外で使用する必要は無いように思える


でも、プライベートで正しさを主張したがる人がいるということは、よっぽど自分を正当化したいのだろう


それに対して、思いやりは相手の立場、気持ちを重んずるものだ


相手を大事に思うことができれば、人間同士仲良く生きていくことができるだろう


思いやりの心があれば、プライベートでは正しさって必要ないんではないかと思う


もちろん、人の輪を乱す人には、それ相応のなんらかのペナルティーを受けることにもなる


正しさにこだわるより、思いやりを重視すれば、人間同士仲良く共存していけるものだと思う


また、自分自身を戒めるための正しさは、信念という言葉に置き換えることができるだろう


自分は正しさよりも、思いやりを重視したい


うまくまとまらなくて、すいません^^;



読んでいただきありがとうございます^^

人生を哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る



人間誰でも、許せないことは多々あると思う


しかし、冷静に考えてみると、そんなに許せないことではない問題もある


許せないことと言えば、裏切りなど人を傷つけることがほとんどだと思う


でも、相手の弱さや、相手の立場などよく考えてみると、自分もそのような過ちを犯す可能性はあるかもしれない


傷つけられたと思うと、自分が被害者で、考えれば考えるほど憎たらしくなるかもしれない


しかし、傷つけた人間も心がある


世の中、人に支えられて生きてきた人がほとんどだ


誰でも悪いことをすれば、罪悪感を少なからず感じるものと思う


何か訳があって傷つけたが、言えない事情もあるかもしれない


自分の欲求が抑えられずに、過ちを犯す人もいるかもしれない


傷つけるほうにも、心の痛みはあると思う


それは、心の弱さだったりとか、人間関係の複雑さによりどうしようもないことかもしれない


そのときは、許せるものなら許してあげたほうがいいのかもしれない


人を許すということは、きれいごとで済まさせるほど、簡単なものではないのは確かだ




そこで、必要なのはやさしさだと思う


心の広さとも言えるかもしれない


しかし、自分の怒りを押し殺してまでそうすることはないとも思う


怒りはぶつけていいと思う


もちろん、そこで開き直る、または、逆切れする人は論外だ


やはり、申し訳なかったと詫びる人には可能な限り許してあげるのがいいのではないか


もちろん、何度も同じ過ちを犯す人は、許す許さないに依然に遠ざけるたほうがいいだろう


ほんの少しづつでも改善できないということは、改善する気がないのだろう。


そうなると自分が被害をこうむることになる恐れがある


もちろん、自分を削ってまで、相手を許す価値があるかどうか、それは、その人の裁量なのは言うまでもない


自分を殺してまで、心の広い人間になる必要もないと思う


そこで、何が大事かというと、相手の立場を考えてみることだ


相手の立場を考えても、許せないなら、それはどうしようもないと思う


話して、言い訳を聞いてあげる、それでも、理解できないなら仕方がない




ただ、相手を許すという行為は、自分が過ちを犯したとき、自分を許せるようになると思う


なんでもかんでも、許さないとなると、自分を許すことも困難になるかもしれない


相手に厳しくするということは、自分にも厳しくなり、結局、自分を苦しめるようになるからだ


やはり、人間である以上、自分の納得いくように解釈したいだろう


しかし、相手に厳しくすると、自分にも厳しくする必要が出てくる


そうなると、自分自身を責めることになる


また、自分を正当化しようにも筋を通すのが困難になり、自分の中で論理破綻してしまうかもしれない


人を許すことは、自分を許すことにもつながる


人を許すということは、相手にとっても自分にとっても好ましいことだと思う


人間同士わかりあうということは、本当に難しいことだと思う


でも、お互いを理解しようと努力すれば、お互いの絆も深まるかもしれない


自分の気持ちに無理をせず、お互いを許しあえるのが理想ではないかと思う


なんか、うまくまとまらなかったかな^^;



読んでいただきありがとうございます^^

人生を哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る

個人的に、人生の8割は運だと思っている


人生の8割も運だとか、怠慢だと思われるかもしれない


しかし、客観的に考えると間違ってはいないと思う


人生様々だ


生まれた瞬間に死ぬ人もいれば、100歳以上まで生きる人もいる


大金持ちの家に生まれ一生遊んで暮らせる人もいれば、貧乏な家庭に生まれ、中学校卒業と同時に働かなければならない人もいる


事故で死ぬ人もいれば、事故のおかげで精密検査により癌が見つかり、早期治療で死なずに済む人もいるかもしれない


才能に恵まれて生まれてくる人もいれば、障害をもって生まれてくる人もいる


夢を持つきっかけを得ることができる人もいれば、努力すらできない状態の人もいる


自分の力だけでは、どうにもならないことが多いため、運が人生で占める割合はかなり大きいと思う




では、努力をしなくてもいいのか?ということになる


もちろん、努力をしなくても生きていけると思う


少なくとも日本は、努力をしなくても生存は保障されている


第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。by日本国憲法


生活保護などの社会保障がいい例だ


大金持ちの家に生まれれば、一生遊んで暮らせるだろう




しかし、人間のほとんどは成長したいと思うだろう


今の自分よりもっといい自分になりたいとか、もっといい生活がしたいとか


人間には、無限の欲があるから努力するのだと思う


欲しいもの守りたいものなど、人それぞれだ


例えば、夢が叶えばそれは夢じゃなくなり、また新たな夢が生まれる


人間の欲もまたエンドレスだ




また、幸運の確立をあげるためでもあると思う


運には幸運と不運があるが、努力は幸運の確立を上げるものだと思う


例えば、試験などでは、確実に合格する保証はない


しかし、勉強することによって、合格する確立を上げることは可能だ


防災訓練をすれば必ず助かるものではない


しかし、助かる確率を上げるのは可能だ


欲を満たすため、幸運の確立を上げるために、努力する価値はひとそれぞれあるんではないかと思う



読んでいただきありがとうございます^^