信頼について | 人生を哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る

人生を哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る

内容は、人生哲学、自己啓発、深層心理、などです。わかりやすい、深い文章を心がけております。

心の病(うつ病、強迫神経症)により、人間関係や不安や焦りなどで悩み苦しみました。

読者様の生きるヒントになれば幸いです。


人生を哲学的・心理学的に思考・追求し、意味・理由・本質を探る

よく「人から信頼されたい」、「人に頼りにされたい」、とか言う言葉を聞くが、本気で言ってるのかと問いたくなる


人に信頼されること、頼りにされることは、とても大変なことだと思う


もちろん、自分にとって大事な人にはそうされたいが、自分の存在価値を確かめる、または、かっこつける、という意味で安易に言う人の気が知れない


人に信頼されること、頼りにされるということは、ずっと味方でいなければならない


もし、味方でいることを放棄すれば、それは裏切り行為となる


人を裏切ればそこに悲しみが生まれる


それがトラウマになり、人間不信に陥る可能性もある


よく人に裏切られたとか聞くが、まさにこれが原因だと思う


調子のいいことを言って人に近づき、たよっていいんだぞ的なことを言って、都合が悪くなれば逃げる


そんなことが、日々日常で行われている




なぜ、そんなことが起こるのか?


やはり、ドラマなどの影響が大きいと思う


かっこいいセリフなどにあこがれ、意味を考えずに使う


それを真に受けるほうも問題あるだろうが、信頼の言葉の悪用が悲劇を生む


そういう意味で、きれいごとは、あまり好きになれない


政治家とかそんな傾向にあると思う


きれいごと、出来もしないことを大げさに主張して、失敗して政権交代w


政権のたらい回しが始まる


もちろん、それぐらいのことを言わなければ勝てないのかもしれないけどね


仕事だから仕方ないのかもしれない




でも、プライベートでそんなことが行われるのは悲劇だと思う


何が目的で人を信頼させ、裏切るのか


やはり、自分の存在価値を確かめたいからだと思う


人に必要とされてる充実感が欲しいのかもしれない


人望が厚い人間になりたいからなのかもしれない


それは、もはや人の役に立ちたいからじゃなく、自分のエゴにすぎないと思う


自分のエゴのために、人を傷つけることだね


八方美人という言葉がある


四方八方からみても美しいと解釈しよう


でも、中身はカラッポだ


やはり無理がある


聖徳太子じゃあるまいしwww




浅い関係と深い関係を適切に使い分けるのが普通だろうね


だが、中には浅い関係で渡り歩く人もいる


そんな人が信頼の言葉を悪用するのかもね


中身がカラッポな人間は、他者からの評価でしか自分を賞賛できない


他者の目に依存して生きていると表現できる


人からどう見られているかが全て


よく見られたいがために、温かい言葉を投げかけて、そして、都合が悪くなると逃げる


自分の評価を上げるために、調子のいいことをいって信頼を得ようとする


結局、自分が良ければ、人のことはどうでもいいんだろうね




何が重要か?


それは、最後まで味方でい続ける覚悟だろうね


覚悟があるなら、逆に、すばらしいことだと思う


覚悟がないなら、悲劇を生む可能性が高くなるだろう



読んでいただいてありがとうございます^^