みっちーこと、三井俊介です。
先日行われたダイアログについて感じた事を書きます!
10月30日に復興協働ネット主催の
「震災復興とこれからの日本を対話しよう。~現地NPO/事業者とのダイアログセッション~」
に登壇させて頂きました。

復興協働ネットの理事さんの鷹野秀征さんは、
私が通っていた社会起業大学というビジネススクールの講師の方です。
今では、「復興地視察&応援企画」という企業人向けの気仙沼と陸前高田視察ツアーを
一緒に企画し、「企業の力を社会に活かす」をスローガンに、
被災地域での関東圏の企業との恊働プロジェクト作成を進めています。
私がとても尊敬する方です。
その鷹野さんが今回は上記イベントを企画、主催しました。
会場は30人のお客様がぱんぱんに入り、熱気溢れる物でした。
来場者は主に企業のCSR担当者や復興事業に関わる方がメインでした!
会場の熱気を創り上げたのはやはり鷹野さんの導入部分でのストーリーテリングでした。
これは実際に震災後からの活動紹介とその時々に気付いた事を
お話頂くという物でしたが、さすが!としかいいようがありません。
「圧倒的な無力感、絶望感。
しかし新しい事が“ここ”から生まれるという一筋の希望を感じた。」
「この人達と一緒に未来を創る」
「道なき道を行く。ぜったいにやりきるという覚悟。」
「日本の地方の問題に対してのソリューションを今、創っている」
共感するキーワードがたくさん。
中でも、
「この人達と一緒に未来を創りたい」
というのは私が移住するきっかけでもありました。
==========
2011年4月6日、震災が発生してから3週間後に、
初めて陸前高田市広田町への足を踏み入れました。
当初、ボランティアの受け入れも行っていなかった広田町に、
東京からの若造が1人。
「何かできることをやらせてください!」
何の専門性も持ち合わせていない学生。
紆余曲折ありながらも、地元の人は受け入れてくださいました。
それから1年間、何もできない私たちにたくさんの仕事をくれました。
そして、
「これからの未来を担っていくのはおまえらだ。
だからたくさん勉強して、吸収してほしい。」
そういうお言葉を頂きました。
ここに懐の深さを感じ、この人達の力になりたい!
そう思いました。
そんな彼らが抱える問題、それは、
「50年後、この町はなくなってしまうかもしれない。」
というものです。
様々な要因はありますが、それの解決に対して、
少しでも力になりたい。
その想いがとても強かったです。
じゃぁいざ、それに貢献しようと思っても、私には
専門性もない。
力もない。
お金もない。
そして何よりもまだまだ若く、未熟者。
だけど、地元の方との信頼関係は絶対的に必要。
そうなった時に、
自分の人生を投げるしかなかった。
もう他に選択肢がなかったんです。
この町の復興に、本気で関わっていく為には、
今の自分は人生をかけてやるしかない。
そう想い、移住し、現在の活動を行っています。
=============
6ヶ月経った今、改めて自分自身の無力さを痛感しています。
社会人経験もない若造が、被災した地方で、なおかつ震災前からの問題が根深い地域で、
復興・活性化に貢献していくこと、それもボランティアではなく、
事業として行っていく事がどんだけ難しいか。
地域のしがらみや田舎での礼儀、物事を進める手順も分からない。
折れそうになる事も何度もある。
悔しい事、理不尽な事、たくさんたくさんある。
このイベントで原点に立ち返れた。
「道なき道を行く」
その覚悟をしたのが、今回の
「移住」という選択だったんじゃないのか?
自分の無力さを知りながらもあえて挑戦したんじゃないのか?
だからこそ、今たくさんの問題があるのは当たり前なんじゃないか?
でもそれを謙虚に受け止め、それは全て自分のせいと反省し、
次への糧にしなければならないんじゃないのか?
移住して、8ヶ月目。
改めて原点に立ち返ってがんばろう。
一筋縄じゃ行かない。
だからこそ、人生は楽しい。
わっしょい!
それでは!

【現代の若者の姿を社会に発信!!】
【7人の若者の被災地支援体験記を
App Storeよりリリース!!】

【大学を休学して自身の夢を追い求めた
9人のノンフィクションストーリー集を
App Storeよりリリース!!】

