※これは、このブログの管理人である、三井俊介が2010年8月5日~14日の間、
カンボジアに滞在した時の想いを綴ったものである。
~未来を掴め~
第1章 俺はこの夏、未来を掴む。
第2章 俺達は、やっぱり世界を変えることができない。
第3章 俺達は、何に追われているんだろう?
第4章 俺達は、世界を変えることができる。
第5章 日本は「平和」なの?
第6章 逃げも隠れもしない。リアルと向き合う。
終章 流れゆく時の中で、流されず、流れる。
第2章 俺達は、やっぱり世界を変えることができない。
3.カンボジア・ファーストアクション(Day2)
観光地であれば、どこいっても通じる日本語。
どこいっても評価される日本人。
その一方で、外国に出ない日本人。
アジアの中でもプレゼンスが下がる日本人。
どこにいっても、観光客である俺らは見られる。
日本では無関心。他人に関しての関心自体が低いんだろうな。
アンコールワット。
大自然と人口の融合をみた。
しかし自然が人工物を凌駕しようとしていた。
それを隠すようなことは現地の人たちはしていなかった。
ただただ、彼らは先祖の歴史を守ることをしたいのかな。
観光客の俺らは、そういう工事現場などを取ることは
しない。
クルージング。
水の上の人達はお金がないから移ることができない。
彼らはおれたちのことをどうみているのだろうか。
ある人は、首をかっきってTHE ENDってしてきた。
ある人はにこにこわらかけてくれる。
やっぱり人それぞれ。
韓国の援助で、あそこの川は、毎年乾季になると、水がなくなってしまったが、
今ではなくならなくなった。韓国が掘ったから。
じゃぁそれによって、何が変わる?
観光収入が途切れず入るようになる、
だけどそれはだれのため?
そこで暮らす水の上の人たちは?
俺らが見ているカンボジアの人が住んでいる家や生活は
博物館なんかじゃなくて、完璧なるリアル。
それをいかに感じられるか。
かれらの生活にいかに思いをはせられるか。
村の人は年、いくらでくらしているのだろう。
カンボジアのサラリーマンの平均月収が100ドル。
アンコールワットに入るのに、一人当たり20ドルかかる。
この滞在中に俺は200ドル以上のお金を使った。
通訳のリーマンに「一緒にご飯食べようよ」っていったら、
「高いから無理。」だって。
彼らは毎日のように観光客のひとたちが高級料理をたべるところを
見ているけど、彼ら自身はまったく食べることができない。
毎日見てるけど、見ているだけ。
なにをしなくても笑ってくれる物乞いの子や物売りの子。
なにをしても笑ってくれない子。
日本でもいる。
ただのパーソナリティーなのかもしれない。
けど、私は笑顔が見たい。
だからこそ、やってみた。
まったく笑顔を見せない一人の女の子。
折り紙を一緒に作って、紙飛行機をプレゼントした。
鶴をつくってプレゼントした。
通訳の方に訳してもらった。
だけど、彼女は顔をあげることすらほとんどなく、去って行った。
最後見送る時も、手を振ったけど、ふりかえしてはくれなかった。
ずっと、あげた折り紙のみを見つめていた。
ただただ悔しかった。
目の前にいる一人すら、
笑顔にすることができない、
笑顔を共有することができない。
自分の陳腐さ。
圧倒的な無力感。
物乞いの、根本的な解決をするためには
政府や教育制度を変えていく必要がある。
だけど、一大学生である私達にはそれは何年も先の話。
ならば私達に「今」、何ができるか?
それはやはり、目の前の子にたいして、
笑顔を共有することだと思う。
だけど、その子の笑顔を見ることができなかった。
その子の世界を変えることもできなかった。
絶対最後は笑ってくれると思ってた。
そう信じることで、絶対そうなると。
だけど、これは、逃れようのない現実だと知った。
俺達はやっぱり、
世界を変えることができない。
青いままでいい。
熟れちゃったらもう戻れないから。
間違っているものは間違っていると。
好きなものは好きと。
自分の心に正直に素直に。
一生青春。
今できることをがむしゃらに。
空でけー。
全ては俺の手の中に。
そして翌日、グラウンド建設地である、
スマオン小学校へと向かった。
そこには大きな感動と激しい葛藤がまっていた。