夏休みを頂いて、帰省してきました。久しぶりに姪っ子2人(9歳と2歳)と甥っ子(5歳)に会えて、嬉しかったです。2歳の姪っ子の成長が早いことに驚きました。 かわいいのです。 母、妹、義弟、祖母、そして大阪の親友に会えて楽しかったです。 祖母の加齢の速度が速くなったのかなって・・・ 感じました。 いつも会っていると、変化は少しずつなので、そんなに気が付かないのですが、何か月間か空くと、急に老いたなぁと思ってしまいます。 

職場から直接新宿駅に出て、友達のSさんと一緒に食事をしました。Sさんがバスを見送ると言ってくれて、Sさんと一緒に東京駅まで・・・ バスは大阪駅が終点の女性専用夜行バスでした。 京都駅に着いたのは6時過ぎ・・・ 妹の家が奈良市にあるので、京都から近鉄で南に下れば良いわけです。 ところが…寝ぼけていた私は、折角、苦労して購入したお土産(Sさんと私は午後9時半過ぎの東京駅で東京バナナを買うというタスクをしました。駅の外は9時で閉店するのですよ!! そこでもう一度入場券を買って駅の中へ入ったのです。そこまでして・・・根性で買った東京バナナ… )を棚の上に置き忘れてしまいました。 京都駅に入り、「京土産」の看板を見るや否や、記憶が蘇りました。 「ひいいいい!私の東京バナナちゃん!!! 取り返さなきゃ…」  ということで 「走る走る俺たち(世代が違う人々には分からないでしょうけど…昔流行った爆風スランプの歌です)!」のメロディーが頭の中に回っていましたが・・・ 走りました。  バスは動き始めていたのですが、信号で停車・・・ まだ駅の中でしたので… それに早朝で、ほとんど車はありませんでした。 運転手さんに手を大きく振って・・・そしたら、横の方にバスをつけてくれて、バスの中から運転手さんが出てきてくれました。 

ペンギン:「はぁはぁはぁ・・・(息切れしながら…) すみません。ありえへんことをしまして・・・ でも姪っ子と甥っ子のために買ったお土産を棚の上に置き忘れてしまい…・・・」

運転手さん:「随分と走りましたね。とても早かったですよ。でも、置き忘れに気付いて本当に良かったですね。(にっこり笑って)取って来てください。」

一応バスの乗客の皆さんには謝罪しました。大阪にお急ぎのところ…申し訳ないと思いましたし…  大阪のおばちゃんが乗ってたので、ちょっと怖かったんです。怒鳴られるかと思ったら… 褒められました。

大阪のおばちゃん:「あんたすごいで…走ったんやろー! そこまでしてまで東京バナナが食べたかったんかぁ…  凄いなぁ… なんでもゲットするんと違うか…その根性好きやでぇ!! 大阪の子なんか?」

答えてる時間なかったので…にっこり笑って、頷いて出てきました。心の中では…

おばちゃん、ちがうんやけど・・・私だけのためなら、あきらめていたと思います。 それに東京バナナで2千円も使ったんです。諦められるか!!!  もし大阪までバスが行ってしまったら、大阪駅の忘れ物センターに取りに行かないとダメになるじゃないですか…できるわけないやん!!

そう苦労して取り返した東京バナナを持って、奈良へ行きましたよ。おほほ・・・

妹の子どもたち3人とも可愛いのですが、私と最も波長が合うのは真ん中の甥っ子。 考えるのが大好きな男の子です。 どこか私と似ているところがあるので、合うのでしょうか…。3人の中でたった一人男の子ということもあって、他の2人と比べて、少し要領が悪いようにも思うのですが…  話す内容が面白いのです。 そのうち哲学でも教えようかな・・・  

奈良について・・・シャワーを浴び、しばらくごろごろさせてもらってから、昼過ぎに・・・親友ヒッキーちゃんが待つ、大阪難波に行きました。しかも、妹のところ小高い丘の上の住宅地でして・・・ 貴重なバスを見逃してしまい(目の前を通り過ぎていきました)、30分ほど炎天下を歩いて、駅に行きました。汗だく!!!  京都で走り、奈良で競歩し、いったい私は何をしてるんだって言いたくなりますよね。超ハードスケジュールでしょ。ヒッキーちゃんは呆れていました。「ペンギン、あんたあほかぁ…何のために携帯電話持ってるの? バス逃したから、ちょっ遅れるていえば良いやんか… 昔から思ってたけど、あんた頭良いのか悪いのかさっぱり分からんわ。」 良いの良いの! ただ早く会いたかっただけです。 おほほ・・・でもね・・・楽しかったし、元気を沢山もらいました。 彼女とはずっと仲良しで…青春を共にした本当に気の合う友達です。私が男だったら、彼女と結婚したかったなとおもうほど・・・大好きな人間です!  世の中の男性は見る目が無いんですね! あんなに素敵な女性を一人にして!!  楽しかった! いっぱい話して…!!いっぱい笑って!! 今度いつ会えるんだろうか…   ヒッキーちゃんには就職祝いに高級な革の鞄を貰いました!有難うね! 大切に使うよー。  

8時頃奈良に戻るはずが・・・10時半になってしまった。妹からの電話で気づきまして… でも妹も分かってくれてるんでしょうね。ヒッキーと会う時は少々遅くても怒りません! ごめんね・・・ というわけで… 妹のところで1泊し、その次の日、妹、子どもたち、そして私の5人は徳島へ向かいました。奈良から神戸までは電車で・・・そこからはバスです!   3人の子どもを連れて帰るのは大変ですね。 今度皆に会えるのはお正月かなぁ… お正月はM君も一緒だぞー。
 
阿波踊りも楽しかったです。3日間はあまり晴れなかったし、雨が降ったりやんだりしていたので、踊りを見に行けなかったのですが、最終日4日目は行きました。 楽しかったですね。 叔母と叔父、従妹夫婦も加わってにぎやかな夜でした。 

休み中にしなければダメだった仕事が…  成績を付けることでした。 悩みに悩みましたよ。 いろんなことを考え始めて…悩むと、成績なんてつけられなくなってきたので、割り切りました。  1点の差で落とした子もいます。 ボーダーをどこかでひかないとダメで… 辛かったんですが…ひきました。 問題自体を考えた時、私は大サービスしてそれを作ったんです。難しい問題にはしてなかったんですよ。 毎週みんなが書いてくれていたコメントペーパーを読み直し、出席率を確認してみると、やっぱり・・・きちんと出席し、コメントペーパーの内容もきちんと書いてくれてある人はとても良い点を取っていました。 満点の学生さんいましたよ。 ですが、逆に30点未満の人も沢山いました。 悲しいけど…落とさなくてはいけないんです。基準が設けられている以上…  本当に辛かったですね。 後期は出席の取り方を変えたほうが良いのかもしれませんし、レジュメを配るというのもちょっとねぇ・・・ 疑問を感じます。 レジュメがあるから出席しない子が増えるのかなぁ…  

それと、翻訳のタスクを頂いていたので、それを終らせておきました。まだちょっと変な日本語になっているので、直してから提出しますが…   できて良かった。 締め切りは9月末なんですが、早めにしておかないと、どんどんどんどんやることがたまって来るので…  

いよいよM君が羽田に上陸します! M君にとって良い機会なると信じています。 もうM君の両親のことを気にせずに生きていけるわけですから… 私の考え方が変なのかもしれないし、彼らの考え方が正常なのかもしれないですが、そんなのは糞くらえです!  M君のことをできの悪い息子だとずーっと思い込んでいるあの人たちには何も分かっていないのです。 まぁ・・・見てろよ!っていう感じ。 別に見なくても良いけど…  彼らの思っているようなM君から脱皮できるのではないかなぁ…M君の変態するプロセスをこれからじっくり見たいと思います。私は応援しますよ!  おほほ・・・  あともう少しでM君が日本に行くというこのタイミングで、義父と義母は旅行に行っているそうです。 もうー。ありえへん! 彼が日本に来た後、いくらでも旅行に行けるのに・・・。色々な人間がいるので、面白いですけどね…  はぁ・・・  

もう、良く準備はできているそうですから…あとは26日の早朝、迎えに行けば会えるわけです。 また喧嘩ばっかりするんでしょうねぇ…  おほほ・・・ 近所に住むYちゃんとSさん夫婦が車を出してくれることになって、本当に感謝です。 有難うね…  なんだか頼りっぱなしです! 今日もプリンターを買いに連れて行ってくれました。   有難うございました!  M君が来るまでにやらないとダメな仕事はできるだけ済ましておこうと思います。 とはいえ・・・ できないだろうなぁ…

はぁ・・・暑い! なんて暑いのでしょう… 氷の上に座っていたいと思う今日この頃!

ロンドン・オリンピック開会されましたね。とはいうものの、うちにはテレビが無いので、ほとんど無縁です。近所に住むYちゃんとSさん夫妻のおうちで柔道と体操男子団体を見せてもらいました。でも・・・仕事が山のように積まれているので、テレビが無い方が良いみたいです。 暑ーい! 

イギリスでは事務能力は事務員さんより高いと言われて、私はきっと天狗状態だったのでしょう。日本に帰って来て、今の職場… 私の事務能力はゼロに近い!  覚えることばっかりです。 割り切りました。できないんですから、教えて頂くしかありません。頼れる皆さんに囲まれておりますので、何でも聞くことにしております。一人の勝手な判断でやると、失敗し、取り返しのつかないことになります。日本人のきめ細かいファイリング能力には感心しますよ。すごいんです! 


イギリスがいかにいい加減だったのか・・・ システムはかなり異なります。私には、事務的な業務に関しては、イギリスの方があっていたのかもしれません。 連帯責任なんてなかったので、皆自分勝手にやっていました。おまけにハルのK先生も私も良く似た性格で、ギャーっと言い合って、お互いに凹んでも、次の日はケロっとしておりました。 まあ、私、今でもそうです。 言わなかったら、むずむずします。言えない関係にあるから、心の病気になっちゃうのではないかな・・・良く言えば裏表はありません、悪く言えばバカ正直です。 日本ではあまりまっすぐに言わないほうが良いのかもしれませんが、この性格変えられません。気を付けて話すようにはしておりますが… 私は思っていることが顔に出てしまうタイプでして… 私の所属する研究プロジェクトのコーディネーター(会社的にいうと上司です。)であるI先生も、私の感情がお天気のように変化することにお気づきなのではないでしょうか…  コントロールはしているつもりなんですが、ダメです。感情が顔に出ます。

一方、ダーリンM君は、感情をほとんど出さない人間です。 一体どうして惹かれ合ったんだとよく不思議がられますが… 逆だからですよ。 きっと・・・ 感情的な私を見て、「またぁ・・・」と言う顔をしております。 感情を読まなかったのに…私が7変化するので、その変化を読めるようになったようです。 良いこともあるのです!!! (ウソウソ・・・)

もうちょっとお金が貯まったら、デスクトップのパソコンを買います。今のノートは小さくて、画面の文字が見えにくい・・・     英語なら、スペルチェックがあるので、良いのですが、日本語は・・・ メールを出した後で、「げえええ・・・誤字があったよ!」って、悔やむこと が多いのです。 テレビも欲しいけど、優先順位はパソコンですね。


さて、M君の配偶者ビザが取れました!!  やったぁ!!  祝:脱別居! でもなああああ・・・前のように主婦業には徹していられなくなっています。 M君にも家事を担当してもらわないと、無理なのです。私は働いているのですから…   

何とかなると思うんですよね。 将来に起こり得るリスクを強調して考える人も沢山いると思います。その人たちには私がどうしてこんな人生を選ぶのか理解できないでしょう。 もちろん将来の安定を考えていないわけではありませんよ。 できれば経済的にもっと安定したいと思います。 でも、それだけじゃない! ずっとイギリスで止まった時間を過ごしてきたので、できるだけ動こうと思っています。 静の時があれば、また動の時も来る。人生には波があるような気がして…  良いときもあれば、悪いときもある、また両方が一緒に来るかもしれない…    それに、リスクばっかり考えていては、守りに入ってしまい、攻めに行けません。 M君のご両親には申し訳ないけど、 唯一私が自分の父に似ているところは、リスクについてあまり深く考えないところかな…  父は失敗しましたが、その失敗で周りはかなり苦労を強いられましたが、でも、父の人生のみを考えると、何も挑戦しないよりは、やったのですから、その部分は尊敬しています。 私の場合、母の部分も貰っているので、やり始めたら、黙々とやり遂げてみせます。 M君を日本に呼ぼうと決めた時、母はあまり良い顔をしてくれませんでした。無言でした。その理由も分かっていましたし、私もあえて聞きませんでした。 私は夫を守ってみせます! 沢山の良い友達に恵まれました。私の人生はいつも想定外のことが起ります。本当は男性に守られる立場でいたかったんですよ。残念ながら、私にはそんな男性がつかなかった。 想定外は想定外で楽しいのです。今回のこのお仕事だって、全くの想定外。 いつも「ここで働いていて良いのかなあ…」って大学の門をくぐりながら、思います。 私にとって想定外でも、実は他の人から見ればそうでは無かったりもします。 スウェーデンの姐御Mさんがいつも・・・「今回の仕事は想定外じゃなかったと思うよ! 自分がこの場所にふさわしいと思っている人間は伸びないけど、ふさわしくないと思っているあなたは伸びる要素を持っているのよ!」って!  言ってくれて、頑張る気になりました!

守るものがあるほど人は強くなれます。 M君の母親にはならないように気を付けますが、M君の側から世界を視ると、これは大冒険です! 食べ物も違う…(これは、私も考えます。ローストビーフを作ってあげます。) 言葉も分からない…友だちもいない、文化も違う・・・ そこにいるのは彼の妻、つまり私だけです。 守ってやりますよ!  誰が何と言おうと。たとえ過保護になったとしても… 無理を承知で日本に来ることを決めてくれたんですから…  私しかいなんですから…

外国人障害者の体験ってあまり本にもなっていないし・・未知の世界ですよね。 ただ、私はご存知のように弱い人間です。 なので、周りに頼みまくります。 おほほ… 特に、近所に住んでいるYちゃんとSさん! よろしくお願いします。  

時間配分をうまくしなきゃいけませんね。  研究職が私のメインですから、研究は絶対にしていたい。事務の仕事もある。(覚えが悪くって…  てんてこ舞い)、非常勤もある・・・  そして、M君の病院探し・・・ どうなることやら…

おほほ・・・二人分の幸せと二人分の苦労・・・そして二人分のドラマがあるので、面白くなりそう!  M君は今月26日の早朝羽田に着きます!!  カウントダウン!

ブログのタイトルを変えようかな・・・漂流するんですけど…  どうしようかな・・・



 








今日、前期の授業が全て終了しました。 4月に始めた頃は、足が震えていましたし、頭が真っ白になっていました。初日にレクチャーホールに行ったときは、もう・・・ 心臓がバクバクして、「無理や…・こんな場所に立つなんて、絶対に無理!」と思っていました。 でも時間は残酷にも一方通行なわけです。 

そのころと比べると、ずいぶん慣れました。 楽しめる余裕も出てきました。 もし可能なら、少人数のクラスで教えてみたいと思いますね。300人もいると、名前と顔が一致しないのです。

今回の講義では、障害というテーマを哲学的に考察したらどうでしょう・・・ みたいなことをお話していました。 14回全て終えて、私なりに満足しています。


反省する点は沢山ありました。 思うように伝えられなかったし、 準備不足だったこともありました。音声ソフトを使うために、全て文字入力しなくては行けなかったので、アドリブでお話しをすることが出来なかったのです。でも、準備に費やす時間は本当に長かった。 その割に、誤字が多かったのも反省しないとダメですね。


今日、全ての内容を終えて、最後の言葉を述べた後、レクチャー・ホールの300人以上の学生さんが一斉に拍手をしてくれました。 驚いて・・・そして、嬉しくて、涙が出そうになりました。 いや、出ていました。 私は涙腺が緩いのです! 拍手をしてもらったことで、ステージの幕が下りた気がしました。 学生の数に変動はありませんでした。(最初の頃、300人いたら、100人ぐらいは減る!ッと言われていたのですが… 全く減らなかったんです。それどころか、潜ってまで聞きに来てくれていた学生さんも多くいました!) もちろん、遅刻してくる人もいましたが、全体的に見て、皆、静かに協力してくれました。 一人ひとりに「有難う!」って言いたかったです!


前期の途中で引っ越しになったり、新しく始めたお仕事が忙しくなったりして、準備不足になりがちな時もありました。 パソコンがおかしくて、音声ソフトが使えなかった時もありました。 問題があるたびに、アシスタントのN君とAちゃんが一緒に考えてくれて、対処してくれました。 彼らには本当に感謝しています。
彼らがいなかったら、無事に終われなかったと思います。本当に有難うございました。この二人から、お手紙を貰って、家に帰ってから読んで、号泣しました。 嬉しくって! こんなお手紙を貰えるって思っていませんでした。 この気持ちを忘れずに、後期も頑張ろうと思います。  

あと、忘れてはいけないのは、大学で今年から教え始めたSさん!  Sさんと水曜日の午後一緒にプラプラして、色々話し合えたから、続けてられたと思います。ウェンズデイ・クラブと称して… 支えて下さって有難うございました。

声が出せない私が講師として講義ができたのは、多くの人が支援してくれたからです。


最後に、このようなチャンスを与えて下さった東京のK先生、本当に有難うございました。


後期もこの調子で頑張ります。
 もう少し、早く準備ができるようになれたらいいな・・・ ちょっと対策を考えてみます。 新しい職場でのお仕事もきちんと丁寧にこなせるように・・・

最後の授業の後、ハル時代の友達のH君と高田馬場で食事をしました。(厳密に言えば、乾杯しました! ビールをジョッキで2杯も飲んじゃった。) H君も今年から新しいお仕事を始めて、頑張っています。私もガンバローって思えますね。

さて、来週の土曜日にシンポジウムのシンポジストの一人になることになっているので、他の方の足を引っ張らないように、準備をします。 緊張しますね。 初めての経験なので… 一度ウプサラでやりましたが…あれは英語でした!  

暑い!! なんて暑いんでしょう。 我慢大会をしてたら、Yちゃんに 「クーラーはちゃんとつけなきゃダメよ 部屋の中でも熱中症になるから!」って言われ、そうだなぁ…「ペンギン、お部屋でミイラ化!」とかなったら、嫌です! 他のところで節電します!


新しい職場や新しい土地にも少しずつ慣れてきました。 話し言葉は変えられませんので、関西弁のままですが・・・ 「まあええやん!」みたいに割り切っております。 この割り切りって危険かもしれない。 これじゃあ標準語が話せなくなります。標準語にしようと思うと、なんだか呂律が回りません。関西弁にも敬語表現はあるのですが、あまり分かって頂けないというのがあります。 

実は母が5泊滞在しておりました。 どんなところに住んでいるのか気になっていたのでしょうね。 (昔から放任主義ですが、私が住んでいるところにはいつも1度は来てくれていました。) 「夜の池袋」とかいう、歌謡曲があるらしく… 「池袋ってどんなところよ?」 とか 「銀座の恋の物語」・・・銀座・・・ 歌のイメージと違うぞ!って思うのですが、うちの母はそんなことを言って、私を笑わせてくれます。 今回は池袋には行きました。後、東京駅から浅草に行き、浅草から隅田川を下って日の出桟橋まで行き、そこから浜松町に出て、東京駅に帰るというコースでミニツアーをしました。(前回はW先生に連れて行ってもらって、スウェーデン人のMさんと私はW先生と一緒に浅草から浜離宮に行ったのです。)

母と私が気付いたことが… 東京の人は我慢強いこと! みどりの窓口でずーっと文句も言わずに並んで待っていることが不思議だったようで・・・ 母は、「誰も文句言わんなぁ… すごいなぁ・・・」とか言っているわけです。 あと、電車の中は静かです。携帯電話を触ったり、音楽を聞いたりしています。うちらはというと、べちゃくちゃぺちゃくちゃ話しておりました。母は聞こえるように…「東京の人って、あまり話さないのかなぁ・・・」と言いました。 確かに、大阪とかなり違います。 東京の人は寡黙なのでしょうか?

おもしろかった!

母には東京駅が大きすぎて、それに東京の街には人が多すぎて、人に酔ったと言っていました。 

東京都民になって1か月になります。 住み心地は良いし、通勤には少し遠いですが、私は家にいるとじっとパソコンとにらめっこっしているので、パソコンを見ない時間があった方が良いのです。 

誰に出会うか、どんな職場に出会うかで、人生が変わるのですね。仕事を早く丁寧にできるようになりたいけど、私は100%にはなれないでしょうね。 徐々にそこに近づけるように努力はします。  この職場に来て、色々な人に出会いました! 出会うことって、楽しいです!  最初は場違いな場所で仕事をしていると思っていたのですが、だんだん慣れてきました。 慣れないけど、少しでも役に立てていると思えるので、精いっぱいすることを続けて、前に進みたいと思っております。 

大学での非常勤も今学期の最終週を迎えます。早かったです。 徳島から東京へ通っていたのが、どんどん異なる方向へ導かれて、東京で住むようになり…  準備不足だったこともありました。反省点も多く残っています。 でも、今年の前期の私にできるすべては出し切ったと思うので、良しとさせてもらおうと思っています。 今週はまとめの週です!  名残惜しいですよ。 本当に良い学生さんが集まってくれていました。 静かでしたし、授業態度とても素晴らしかったんです。初めて受け持ったクラスの皆が協力的でしたので本当に助かりました! 人数の変動もほとんどありませんでした。320人ほど!  声の出せない私が教員になれたのは、皆のおかげだったのです!  今週の授業でお礼を言います。有難う!ってね!そして、忘れてはいけないのは、大学の支援体制! 本当に丁寧でした! アシスタントとして私を支えてくれたN君とAちゃん、本当に有難うございました。来学期もよろしくお願いします。


今の土地に引っ越してきて、美容師さんも見つけましたし、鍼灸の先生も見つけました。YちゃんとSさんがいつもいつも支えてくれているから… 私は安心してここで住めます。 この市の福祉体制はすごいです。低所得の障害者には鍼灸施術が無料になります。 週1で行こうと思って… 来年からもらえなくなりそうですが…  もらっている間だけでも・・・ 先日初めてマッサージ治療を受けました。とても良い先生だったので、鍼治療に挑戦してみようかなと思って… 来週は鍼をしてみます。 首は楽になりましたよ。

私のダーリンM君はですね・・・ 今週末にロンドンの日本大使館に行って、配偶者ビザの申請をするそうです。 イギリスほど難しくは無いので、大丈夫だと思います。私にも少ないけど所得はありますから…  結局は誰が金銭的な保証をするかなんですよね。国際結婚しているカップルで子供がいないと、全ては所得があるかどうかというところにかかってくるわけです。 M君にも働いてもらわないと、とてもじゃないけど、このか細い腕では2人を養えませんからね! 「養ってくれ!」とは言わないけど、「一緒に支え合いましょう!」ぐらいは言いたいです。 一応、英語を教える資格を取ってから日本に来ることになっています。今までハルでいた若い日本人学生さんたちの論文をボランティアで指導してきた経験は大きいと思います。 M君が論文指導した日本人の学生さんはパスしてきました! 日本人の学生さんは英語の論文が書けないのです。  今の職場でも「国際化!」って叫ばれています。 言語を言語として学ぶのではなく、使える英語を学べる場を作らないと、国際化できないと思います。 急にその環境を変えると戸惑いも多いので、準備期間がいると思うのです。じゃあどうすれば良いのかな・・・語学力だけアップさせる??? そうじゃないと思いますね。 実は日本人は英語ができるんです。できるのに、使えない・・・ それを使えるようにするには、どうすれば良いのでしょうか? 外国に行く機会を与える?それは良いことだと思いますが、海外留学した人間が全て英語や他の言語ができるようになるかというと、決してそうではありません。 できない人はいます! 「ペンギンはどうやって英語を学んだの?」ってよく訊かれますが、英語を学んだのではなく、自分の興味のある学問をするために英語が必要だったので、学んだというよりは慣れたっていう感じです。 私の勉強法をまとめてみれば良いのですが、実は方法っていうのが存在していないのです。とにかく多くの人と深くまで話すこと。 興味のあることを見つけて、そのトピックに関して、世界的なレベルで会話してみたいと思うことから始まるんじゃないかなって思います。

とにかく別居が終わることは確定しました! やった!!! でも、しんどいのはこれからですぞ!  これが終わりじゃないんですから! 始まりです!

ということで、私は元気に生きてます。皆さんも夏バテに気を付けて下さい!







スコットランドの小さな町ハントリーに住んでいた義祖父がお亡くなりになったというニュースが来たのは、今朝でした。 

イギリスの親戚の中では一番好きな人でした。 静かで・・・でも、とてもまっすぐな方でした。 第二次世界大戦を戦った人で、「日本軍は敵だったが、日本人は敵ではなかった。」と言っていた義祖父。 もう一度お会いしたかった。 お亡くなりになったのは、私の転入日、そして、M君の従弟(義祖父の孫)の結婚式が終って2日後でした。 その日を確認してから、亡くなったのだと、M君と私は思いました。 

M君の父方の親戚は「女性は家にいて、家事をしろ!」というような感じで私を締め付けていましたし、M君の母方の女性陣は「女性の幸せは夫のサポートをすること!」というような考え方をしていて、お話になりませんでした。 しかしこの義祖父だけは・・・ 「Mが君を選んだのには理由があるんだと思うんだ。Mは競争するようには育てられていないし、彼はきっとずーっとああだろう。 君は女性だけど、何かつかめそうだと僕は思っているんだ。 日本でも良いさ。Mを忘れないで、頑張ってほしい!」と、言ってくれたたった一人の親戚でした。

彼の手は働き者の手でした。 大きくて、沢山のしわが…  兵役が終った後、国鉄労働者だったそうです。 なんとなく、私の母方の祖父と似ていました。 その優しい目と優しい言葉にどれほど励まされたのか、お分かりになりますか。

でも、義祖父に言いたかったことが…

私だって、競争するようには育てられていません。 でも、どうしても社会に出ていたいと思っていました。それだけ。 たまたまご縁があって、今のお仕事を頂けることになって、とても嬉しいけど… 競争してこのポストを取ったとは思っていません。競争しなくても良いと思います。 男の子は競争に勝たなきゃって、義祖父は話していましたが、 その考え方は間違っています。  自分だけ良かったら良いわけではありませんから…  

私なりに…空を見上げて、お別れを言いました。 

Grandpa!! どうか安らかにお眠り下さい。 もう一度お会いしたかったけれど、約束を守れなくてごめんなさい。 どうか日本に来るM君と私をそっと見守っていてください。 親戚の中にあなたがいなかったら、私はもっと落ち込んでいたことでしょう。戦時中ビルマで日本軍と戦ったとお話をして下さったあの悲しい目、私は一生忘れることができません。 M君はあなたに似て、優しい人です。 彼はできないことをできないと認めないために、他人から誤解を受けます。 だけど、何かが変わりそうなのです。 あのままイギリスの温室にずーっといては、彼の哲学的な才能がひらかないまま終わってしまいます。 彼の哲学に惚れて一緒になりました。哲学ができないM君はM君じゃないと思う。 なので、そうできるように一緒に頑張ろうと思います。 あなたは言いました。「障害があるMを不憫に思う!」っと。 不憫だと思うのは、仕方ないかもしれません。 私たちは自由にならない身体と一緒に生きています。 あなたが晩年に歩けなくなったことと一緒に考えないでほしかったのです。歩けてた人間が歩けなくなることと、私たちのコンディションは違います。 これでずーっと生きてます。 障害との付き合い方が徐々にうまくなってきました。90歳まで生きたあなたの人生を振り返って、いかがでしたか?  生きていてくれたことに感謝しています。 最後まで精いっぱい生きてくれたことに!! 私もM君も二次障害が出てきているので健常者と比べると年齢を重ねる速度は上がっていくと思います。何歳まで生きれるか分かりません。(もちろん長生きするつもりです!) でも、あなたのように最期まで精いっぱい生きようと二人で決めました。 

最期の時、痛みに耐えていたあなたを尊敬します。

どうか安らかにお眠りください。

ーーー
みたいなことを、空に向かって話しかけました。 今の私にはスコットランドに飛んでいくような余裕がないのです。 おじいちゃんは私の最後のおじいちゃんでした。 おばあちゃんは3人います。 M君のおばあちゃん、私の二人のおばあちゃん!

悲しいものですね。 大切な人が亡くなるって・・・ M君はもっと辛いのでしょうね。 義祖父と話していると、私の祖母が私の障害のことを不憫に思っているんだろうなというのが良く分かりました。幸せなんですよー。 好きなことをさせてもらっていて… 不便なことは沢山ありますけど、私はそれを周りに話すようになりました。若い頃はなかなか話せないでいたのです。自分の中で障害は無い方が良いものだという固定観念を持っていましたから…  

それと、今日、市役所に行き、転入してきました。東京都民になりました! 都営交通が全て無料になるそうで・・・  さっそく手続きを取りました。 東京の田舎といわれる場所なのですが、対応がとても親切でした。 家から歩いて2分のところにあり、便利です!