”【ホームスクール】学校の存在意義。” | バリキャリでもゆるキャリでもないワーキングマザーの自分×バランスの見つけ方

バリキャリでもゆるキャリでもないワーキングマザーの自分×バランスの見つけ方

3姉妹(12歳中1、9歳小3、6歳小1)の子育てをしながら、おくすり開発の仕事をしているワーキングマザーです。

バリキャリでもゆるキャリでもないワーキングマザーの日々の暮らしやそんな私が考えていることを綴っています。


こちらのブログをいつも楽しく読んでいるのですが


こちらを読んで自分の考え方が少し変わったので記録ですニコニコ




私は長女を出産した頃は、成長して社会に出ていくにあたり


集団の中で自分をどう表現していくのかを学ぶ場として



保育園や小学校という場での経験は必要かなと考えていました。



勉強をする場、としてではなく集団の中でどう振る舞うかを学ぶ場として



学校を捉えていたのですね。



これは私自身の経験に基づく考えで、私は母が専業主婦で



幼稚園に通っていたのですが、3歳頃にはすでに


周りの大人をみてあまり自分を出さないようにしていて



ベースの質もあると思いますが、比較的手のかからない子どもでした。



そんな感じで過ごしていた影響もあってか歳を重ねるにつれ



社会や集団の中でどう振る舞ったら良いのかわからず



生きづらさを感じていたのですね。



例えばですが、仕事を通しての関わりは仕事という共通項がありますが



そういう何かがないと、関われない自分がいました。



そんな思いがベースにあり、保育園のように



小さくて自分のことができないくらいの頃から



できないことを周りに助けてもらうために自分を表現することを


身につける場は大事かなと考えて、保育園や



公立の小学校という場を経験することは、重要な経験かなと考えていました。



でも、こちらのブログを拝見して、



また、社会のあり方の変化をここ数年感じる中で



集団の中でどう振る舞うか?



よりも、自分にあった場所や人と繋がる力の方が


これから先の時代は必要なのではないかな?と感じています。



世界中の人と繋がれる今の時代、学校のような特殊で小さなコミュニティの中で



自分とあう人に出会う確率は実は非常に低く



そこで振る舞う方法というのは、必ずしも皆んなに必要な能力ではないのかなと。




そう思うと学校という場が合わないのであば



合わせる方法を考えるより、自分に合った場を探したりする中で



ホームスクールのようなあり方も1つの選択肢なのかなと感じました。



あえて学校で学ぶなら何故、集団の中で学ぶ必要があるのか?



特に公立で、受験のない環境を選ぶのであれば何故選ぶのか?



このことを改めて考える必要なのかなと思うようになりました。



今の日本だと学校に行かないことを親として選択することは


なかなかハードルが高いことと感じますが



ホームスクールも普通に選択できる方が子どもたちには



それぞれにあった環境でもっと自由に自分を表現できるのでは?と



そんな風に感じました