〜以下、FBより転載〜
今から130年前の明治10年、日本に東京大学の教授としてエドワード・モースは来日しました。
同教授は持ち前の好奇心で庶民の生活用品のコレクションを集め膨大なスケッチと日記を残しています。
『日本人は行儀がよく働き者で正直で、親切で微笑みを絶やさない。善徳や品性を、日本人は生れながらに持っている』
『日本人の家は開放的で鍵をかけない、日本人の子供や召使いは触ってならぬ物には決して手を触れぬ。部屋に子供や召使いが何度出入りしても物がなくならない。泥棒や乞食が少ない』
『貧しい家も清潔で品があるし、下流に属する労働者も正直、節倹、清潔だ。最も貧しい寒村の子供は不潔だったが、野獣性も悪性も、また憔悴した絶望の表情もなかった。子供たちは大事にされ優しく育てられている』
『子供はうるさく叱られることもなく大切に育てられた。
日本の子供ほど、行儀がよくて親切な子供はいない。
また、日本人の母親ほど、辛抱強く、愛情に富み、子供につくす母親はいない。
他のどこの国の子供達よりも多くの自由を持っていた。
世界中で両親を敬愛し老年者を尊敬すること、日本の子供に如くものはない』
『日本人の暮らしぶりは見栄を張ることが全くない。生活道具は少なく簡素だが洗練されている』
『火事の災難にあっても涙を流す人も、いらだった様子の人も見ることはなく、意地の悪い言葉も一切聞かなかった。
そして持ち出した畳や襖をたて、その中で小さな火で魚を焼いたり汁を作ったりして彼らは普段通り幸福そうに見えた』
『日本人は、ある神秘的な方法で、彼等の廃棄物や屑物を、目につかぬように埋めたり焼いたり利用したりする。
いずれにしても卵の殻、お茶のカス、その他すべての家の屑は、綺麗にどこかへ持って行ってしまうので、どこにも見えない』
『この地球の表面に棲息する文明人で、日本人ほど自然のあらゆる形況を愛する国民はいない。嵐、凪、霧、雨、雪、花、季節による色彩の移り変わり、穏やかな河、とどろく滝、飛ぶ鳥、跳ねる魚、そそり立つ峰、深い渓谷。自然のすべての形相は、単に嘆美されるのみでなく、数知れぬ写生図や掛け物に描かれるのである』
『日本人の繊美な装飾芸術を見た後では、日本人が世界中で最も深く自然を愛し、そして最大な芸術家であるかのように思われる』
『衣服の簡素、
家庭の整理、
周囲の清潔、
簡素で魅力に富む芸術、
礼儀正しさ、
他人に対する思いやり、
自然に対する愛
これらは恵まれた富裕な階級の人々ばかりでなく、
最も貧しい人々も持っている特質である』
『この国のあらゆるものは、日ならずして消え失せてしまうだろう』
引用文献 : 清水友邦著『よみがえる女神』
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