1985年の中2の夏休みのお盆に123便の事件は起きた。救助された4名のうち確か小5か小6の女の子はインタビューで、『家族と乗っていて、墜落したあと大勢の声が聞こえて、家族も生きていたが機体に挟まれ身動きできなかった。そのうち寝てしまい、朝起きたら誰も声がしなかった』のような話をして
— MasaDjp (@masjp72) 2022年4月26日
当時私も疑問晴れず関連書籍読み漁り飛行場までへも足を運んだ。救助に向かった自衛隊員射殺のニュース速報。周囲の木は幹の中まで焼けてないのに遺体は二度焼されたかのように骨の芯まで焼けてるのはなぜかと話した歯科医。事故後拒否していたプラザ合意で250→120円の急激な円高。そしてバブル崩壊 pic.twitter.com/poGqUSWBXo
— 瑞季 (@mizuki3581) 2022年4月26日
・JAL123便は、7年前の1978年に着陸時に機体尾部が滑走路と接触し中破する「しりもち事故」を起こしていた。
・その時の、米国ボーイング社の修理が不適切だった。・結果、圧力隔壁に金属疲労による亀裂が生じ、そこから客室内の空気が流出して垂直尾翼が破壊された。
① 墜落から救出開始まで16時間という、異常に長い時間がかかっている。しかし、その発見の前から自衛隊のヘリコプターが来ていたという目撃情報と、ヘリコプターの音を聞いたという数少ない生存者の記憶が合致する。
② 事故直前の写真や目撃情報などから、衝突物があったとの見方がある。ボイスレコーダーの内容が出ているが、明らかに2度の爆発音があってから異変が起きている。③ 事故発生後に日航機を自衛隊機(ファントム機)が2機追従していることが目撃されている。
④ 自衛隊で事故に関わった人の自殺者が相次いだ。
4.日本の国産OS「TRON(トロン)」と日航ジャンボ機事故
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ここまででの話でもかなり衝撃的と言える内容だが、更にあるのが、当時日本の国産のOSとして注目されていた「TRON(トロン)」の技術者がごっそり乗っていたのが、この日航ジャンボ機(JAL123便)であった。「TRONプロジェクト」と言われるプロジェクトを手がけていた天才エンジニアの17人が乗っており、全員亡くなった。
「TRON(トロン)」とは、当時「Windows(ウィンドウズ)」と「Machintosh(マッキントッシュ)」が、少しずつ広がっている中で、純国産で作られていた日本版のOS(オペレーティングシステム)である。OSとは、今のWindowsと同様のソフトと考えればいい。これが、当時でWindowsの10年先を行くと言われていたものであった。
すなわち、今のWindowsの代わりに日本産のTRONがコンピュータを席巻するかも知れない状態、と考えてほしい。これをアメリカが脅威と思わないわけがない。アメリカでは、コンピュータのソフトに力を入れ始め、軍事から始まった「インターネット」の構想が大きく練られていた頃である。
もちろん、こんなことが理由で飛行機を打ち落とすとは思えない。しかし、TRONがその価値に値するほどのものであったことは言える。国防上の大きな脅威であったことはアメリカは認識していたと思う。今の状況を見てもわかるように、「OS」とは、全てのコンピュータを制御する中核となる技術であるからである。その開発に「しのぎ」を削っていたアメリカがその重要性を知らないはずはなかった。
この事故が全てではないが、かくして「TRONプロジェクト」は大きく後退せざるを得なく、実際に世界のOSを握ったのは、Windowsのマイクロソフトであった。
しかも、この後の1989年にアメリカが強力に日本に貿易不均衡を主張し、いわゆる「スーパー301条」という強硬手段に出たときに、なぜかTRONがやり玉に挙がった。アメリカは、TRONを日本政府が応援するのは市場への介入である、という訳のわからないことを言ってきた。日本のOS市場が「TRON」に支配されることを恐れたのである。もちろん日本政府は、アメリカの言うとおりにして、かくしてTRONは衰退を余儀なくされた。
なお、TRONの生みの親である「坂村健(さかむらけん)」氏は今も健在で、活躍されている。そして、国産のOSである「TRON」はちゃんと生きており、少しずつ広がっている。トヨタ自動車がそれを採用したことも言われ、確かな技術の芽はなんとか健在である。坂村氏は国産に大きなこだわりを持っており、しかも、無償で提供することに強いポリシーを持っている情熱家である。しっかり広がってほしいと思う。