上市駅がスイッチバック駅になった理由 ビフォア北陸新幹線延伸・北陸旅12 | 日本中の駅を旅する 駅と駅舎のブログ

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この時間は,私鉄乗り潰し旅をお送りします。

今回は、北陸新幹線敦賀延伸前に訪問した北陸の私鉄・3セク鉄道旅です。

 

 

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では,ごゆっくり!

 

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前回は、上市駅に到着したところまでのお話でした。
地鉄本線の途中駅なのに、なぜかスイッチバック構造の構内になっている上市駅、なので駅名標も……
 
……こんな感じで、頭端仕様となっています。
その謎を探るべく駅訪問をしてみましょう。
 
構内でいちばん目立つのはスイッチバックとは関係のないこのパネルかも?
上市町が作者・監督の細田守さんの出身地で、背景の設定にも使われています。
 
構内は頭端式の2面3線です。
 
電鉄富山・宇奈月温泉方面をみたところ。
直進して下っているように見えるのが電鉄富山方面、業務車両の左を回り込んで右に向かっているのが宇奈月温泉方面です。
 
味のある末端部、萌え~☆
 
改札も広いですねえ。
 
駅の中にパン屋さんがありました。
 
自動券売機も2台あります、利用者が多いんでしょうねえ。
 
観光案内所にはお土産も売っています。
それより、見事な書ですねえ、高校生の作品みたいですよ。
 
駅舎の2階はJALが入居していました。
 
元々は上市駅の駅ビル、たくさんの飲食店が入居していたみたいですねえ、こんな雰囲気好きだなあ。
 
駅舎全景です、JAアルプスって長野県にもありそうですが、被らなかったんでしょうか?
 
駅前です。
さてここで上市駅がスイッチバック駅になってしまった経緯をお話ししましょう。
実は、先代(二代目)の上市駅(現在の上市駅は三代目)は、この駅前通りを先に進んだ場所にありました。
 
時系列に沿ってお話ししていくつもりですが、資料が少ないので、若干時系列が前後してしまっているかもしれませんのでご了承ください。
 
時代はさかのぼって大正時代、軽便鉄道が滑川駅と立山線五百石駅の間に開業し、上市駅が設置されました。
これが、初代の上市駅ですが、路線は廃止され、この当時の上市駅の痕跡は何も残っていないようです。
 
 
昭和の時代に入ると、軽便鉄道は富山地方鉄道となり、富山市内と上市駅がつながりますが、上市駅の先、つまり駅前通りの先まで路線が延長され、初代上市駅は移設されて上市口駅となり、駅前通りの先、現在の上市児童館あたりに二代目上市駅が開業しました。
 
上市駅が延伸して移設されたのは、上市町の中心街まで路線を延ばして集客するという意味もありましたが、それ以前から、二代目上市駅よりさらに先、上市町大岩にある日石寺まで延伸する計画が合ったからです。
 
終戦前の昭和18年、延伸計画は全く進行しないどころか、本線上を1駅分重複運行しなければならない運行体系を解消するため上市口駅と二代目上市駅間を廃止しました。
そして、上市口駅は三代目上市駅、つまり現在の形となったのです。
 
ちょっとややこしいですが、石北本線の遠軽駅がスイッチバック駅になってしまったのと同じような理由かなと思います。
 
地鉄全体の運行を効率化を考えれば、上市駅をさらに移設して、スイッチバックを解消するという方法もあったかと思いますが、そうすると上市町の中心地からさらに駅が離れてしまうことになって、住民の利便性は損なわれることになります。
二代目上市駅から現在の上市駅に移設する際も同様の問題で反対運動が起こったそうなので、さらに同じ目に遭うことは許しがたいのかもしれませんね。
 
以上、私見も含めたスイッチバックの謎を解く解説でしたが、つたないワタシの説明でお分かりいただけたでしょうか?
 
おっと、そろそろ富山市内に帰らないと日が暮れてしまうかも?
こちらのカボチャ電車で富山に向かって帰ることにしましょう。

 

 

 
(令和5年6月撮影)
 
全国私鉄乗り潰し率
 
本日は上市駅の駅紹介だけで終わりました。
 
 
 
90.189%

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