映画、虎の尾を踏む男達 黒澤明

頼朝の難から逃れ、山伏に扮して関所を越えて行こうする義経の一行…。
重々しくそれで居て機敏てどこか焦るように先を急ぐ一行。険しい山中、ただ淡々と山を登っていく一行に対照的に単純な山越えの労務から気を逸らすように陽気な強力…エノケン。

尚も山道は続き義経の心中のように険しくて厳しい。
中腹で休んでいる一行がついて来た強力の世間話から義経が山伏に扮して奥州の恩人、藤原秀衡を頼りに向かっていることを知る頼朝が関所を設けて待ち構えているという、それを知った義経はと弁慶は…。

エノケン演じる強力と義経、弁慶の一行の重々しさが何とも対照的でそれ故に兄から狙われる義経一行の言い難き苦悩が迫ってくるようで心が騒ぎだしてきます。壇之浦の戦いで昂ぶりが冷めやらぬ荒々しさと緊張感までまだ引き摺っているような一行。命と死の隣り合わせの日々、そこに思わぬ兄、頼朝の怒りと拒絶…。戦場では敵なしの活気盛んさも一転、その行き場を失った義経一行。
なんとも奇妙な山伏と強力である。

弁慶の案から新設の関所に向かう辺りそして、関所の長、富樫が登場してこの物語りはさらに各々の思いが深くなっていくようでした。

死を覚悟して生きて来たもの達が見てきたものとは一体何でしょうか?その先にあるものと言えば一体?それらを生きながら目の当たりにして来た者たちがそれぞれの立場で関所にある…。
不思議で重々しく危険な時間。
直ぐそこに死がある。

それを目の前にする義経、弁慶達、そして富樫の家来たち。

この緊張感を始終持ちながら進んでいく映画には息を呑んだし、全てを知った強力と共に焦燥感が伝わってくる連続の瞬間でした。

何故兄から追われてなければならなかったのか?
力で必死に勝ち取って来たのに何故?

この窮地と死と隣り合わせのこの瞬間とは一体何なのでしょうか?

戦の最中にある人の生き様、家臣への惜しまない忠臣、誇りと死への潔さ、その悲哀

それらを余すことなく一つの映画にした黒澤明の才能には映画を超えた思いが伝わってくるようでした。それは威厳高く高潔な世界。

お能の「安宅」も歌舞伎の「勧進帳」も私は知らない…。

それでも心に迫って来る感動と安堵と焦り、そして何よりも根源に横たわるものの精神に触れたようで安宅での美の極み、勧進帳での美の極みの音色が聴こえてくるようでした。