日常という「宝物」

時々、子供の頃を思い出してあの頃に無性に戻りたくなる

中学の頃の福岡中洲

祭りの日は夜通しどの店も開いていて夜遅くに本屋に行き、いろんなジャンルの本を見つけては立ち読みしていた。

あの頃の福岡中洲の活気がとても懐かしく感じる。


十四夜さんのブログで40年前、畑で降るように蛍がいっぱいいたということを書かれていましたが未だかってそのような蛍を見た事がなく、もし今タイムマシンがあればその40年前の日本に戻り、降るように飛び交う蛍を見たいと思う。


小学生の頃、学校を飛び出して泣きながら帰っているといつもとは違う通学路の風景があり、朝早くは開いていないような商店街も開いていてどこのお店の人も忙しそうにそして活気に満ち溢れていたのを思い出す。

いつもこの時間、歩くことがなかったのですごく新鮮な気持ちだった。(当時はそれどころじゃなく、もう人生終わった、苦しい、悲しい、死にたいと思いながら歩いていたんだと思うけど、ふと俯瞰する自分もいて泣きながらも、私の知らない活気ついた町並みがなんとも不思議だなと思っていた、余談の余談だけども、この時はとにかく学校に居たくなくて無理矢理教室に押し込もうする先生方や同級生を振り払い、校門まで走り、やっと学校から出られると思いきや偶然にいた校長先生に捕まり、それが無性に子供ながらに腹が立ってその校長先生の手を噛んで更に振り払って飛び出した後の話です…、余談が長くなりました)


人生、今の感情に振り回されて「この時」の街並みや時代の良さを感じとるなんてあまり考えないけれど、昔の福岡の動画なんか見てるとどれも手に取って頬ずりしたくなるほど愛しく懐かしく感じてしまう。


「懐かしい」って感情は一体なんなんだろうか?

子供の頃の思い出がどれも時々、いとしくなる。

あの頃の町並み、あの頃の家族、あの頃の雰囲気がすべて「宝物」のように感じてしまう。


そう思うはたで「時間」や「人生」を選んで来たとするならばこの時代に産まれて来たことも分かるように気がして来ます。


嘆いてばかりいた人生も一つの「アトラクション」的に楽しんでも良いのではないか?と気持ちが湧いてくる。


「昭和」という時代を絶望的に感じていて「これからこの世界を生きていかなければならないのか?」という暗澹たる思いに駆られた子供時代だったと思うのに、ふっとあの頃の実家(もうありませんが…)無性に懐かしくなるし、子供の頃の自分に「凄い面白い時代に生きているんだから楽しんで!」と言いたくなる。


だとするならば「今」という時代もこれまた二度と経験の出来ない「今」だとすると少し高級感に包まれる何とも贅沢な気持ちが湧いて来る。


明日から納期を気にしながら年末も正月も無くなってしまうのではないかという忙しくうんざりしてしまう毎日が始まっていくというのに、今日はそんなことを思ってしまう…。