「苺とチョコレート」1994年作品
キューバを舞台にした映画。
彼女と話をしていると映画の話になって、それは実は私の映画の話に合わせて彼女が語り出したもので映画といえば「苺とチョコレート」が面白いよという話になった。
一時期、ベルリン映画祭で賞をとり日本でも有名で持て囃されて随分有名になった作品ではあるけれども未見の作品だった。
彼女とその映画の関係性が全く見えないし、何故数多い映画の中からわざわざ「苺とチョコレート」が出てきたのかまったく理解出来なかった。
私も映画は好きだけどもその作品にはあまり興味がなかった…。
ちょっとした話しの流れで言っているのかな?という思いで話しを聞いていたのだが、それだけではなく、更に強く「観てみてよ、面白いから」と彼女には珍しく薦めるのであった…。
んーん、どうしょうか…、全く興味のない映画見ると苦痛を感じてしまう…。
彼女がどこにその映画が面白いと思ったのか分からない。
どんなふうに面白いのか?訳を聞くこともなく観ることになる。
映画制作に関わる学生の青年が登場し、恋をしそして呆気なく振られてしまう…。彼女からは「私が好きなの?それともただしたいだけなの?」と聞かれてしまう。若者らしく性についてふっと俯瞰してみたりする。失意のままカフェいると妙な男に声掛けられるそれで不本意に汚されたシャツを洗って上げると言われて男の家に向かう事になる。男の怪しさは家に行っても増すばかりで「自由主義的な考えの持ち主なのではないか?」と訝しがるのだが…。
お国柄、危険分子と男を見なし告発する目的でさらに男に本意を装い近づいていくのだけども、男は男で邪な気持ちで彼に近づいたものの、芸術への若々しい純な気持ちに心打たれ、さらに伸ばして上げたくなる。彼は彼で男の芸術への洞察の確かさ、センスの高さに心動かされてしまう。
そして何よりも人間性溢れるものの見方、深さに共感を覚え始める…。
彼の周りの住民も生活の中で傷つきまた、恋をしていくそれを同じように見つめる男と主人公の青年。
男はさらに青年から影響を受けて昔の芸術への熱意を呼び覚まされる、さらに更に芸術性を高めて行きたくなって活動を拡大し、積極的に活動する…。
ある時、男は深く傷ついてしまう。準備していたイベントが政府の意向により中止になったのだ。
芸術への燃えるような情熱を注いで来たのに何も理解して貰えない…。意向に失意してしまう。
男は国を出る事を青年に告げる。青年は驚き、故郷を離れ、仲間と別れ行こうとする男の気持ちが理解出来ないお互い尊敬する友人としてこれからも一緒に居ようと語る。
男はいう「誰が好きで故郷から離れたいと思うのか?誰が好きで仲間と離れて一人知らない土地行きたいと思うのか…?そして、誰が好きな友人と離れて行こうとするのか?この国ではこれ以上行けない求めているものが果たせない」と青年を見つめて別れを告げるのであった。
人の本意を離れた体制とは一体なんなのか?生を営みがながら確かなものを掴もうとしてあらぬ方向に行ってしまう…。強化し、はみ出す者を除外していく先に何があるのか…?
キューバだけの問題ではなく、より深く国の事情圏をさらに越えて届く思いは、真摯で本質的であった。
彼女の視点が垣間見られる作品でした。