ロシア映画

もう随分昔の映画で観ることが困難のようです。

私が観たのも高校生の頃かな…。

映画に夢中になっていた時期でもあります。


ロシアの貴族が没落していく時期を描いています。社交界といった華々しいものの中にありながらもどこかこの先の終焉があちらこちらに垣間見れて、貴族たちが交わすお喋りが来るであろう未来の暗雲を怯え、見ないようとするかのように虚無的なシーンがとても印象的です。


貴族たちのそれぞれの孤独と焦りが伝わって来て目が離せなくなります。

痛々しいのに目が離せないってなんだろう?と今も映画を思い出して思います。

あの頃の感性を自分の中に再認識したくて、もう一度観たいと思うのですが、今ではビデオ、DVDがどこにも置いてなくて観ることが困難です。


映画の題名にあるように、実際映画の中で機械仕掛けのピアノが自動で鳴るのですが、それもなんだか虚勢の象徴のようなもので虚しさが伝わって来ます。


ひとつの社会制度の没落から思わず、人の心の奥にある孤独感が普遍に広がる感じです。

まったく関係のない違う国、違う文化環境の中にある当時高校生だった私にも伝わって来ました。


村人が訪ねて来て病気のものを診に来てくれないかという、しかし、医者である貴族の一人は断ってしまう。村人はそうなるだろうと分かっていたのかそれでも「それならば村人を診るなどとお約束されなければ良かったのに…」と哀しげに言って去って行く。

そのやりとりを見ていた別の貴族が何故病人を診てやらないのだと云う…、それだけいうのが精一杯で自分の中の正義も萎んでしまう。

同じ貴族としての立場ながらも歪みや自分の心の中を覗き込み厭になったのか…。

昔の恋人に想いを告げるもうまくはいかず、丘の坂を唄いながら駆けていく。その物悲しさを通り越して滑稽さに変わってしまう。

湖に飛び込み、心配で駆け付けた妻の顔を歪むほど掴みながら云う「もう30才になった!何も出来ずに30才なった!俺は今まで何をして来たんだ?!人生を無駄にしてしまった!何も俺には無い!」と泣き叫ぶ…。


それを見て今まで他人事にようによそよそしかった他の貴族仲間たちが心配し慰めに毛布を持って来て彼のそばに駆け寄ってくれる。

「大丈夫だよ、お前は立派だ」などと声を掛ける。

一人を慰めるために皆で集まりながら城に戻っていく、それを登りかけた朝日が照らしていく…。


一つの連帯感が生まれたかのような瞬間。


映画はそれだけでは終わらない…、独りソファに寝ていた少年が映り出される。安眠してた少年に貴族達が戻って来る方から朝日の眩ゆい光が差してくる。少年は眉を顰めて朝日と貴族たちから背を向ける…。


少年が背を向けたシーンが最後にこの映画は終わります。


当時、まるで自分の心を見透かされたような気がしてとても動揺して悲しくなった。


安直なものを寄せ付けないそんな高貴なものを感じる映画で衝撃を受けました。

何年か経つと観たくなる映画です。


観れるかな…?

翻訳が違ったらまた、違う物語りになったりするのかな?それでもまた観てみようかなと思います。