どうも、こんにちは。
出張先での休みです。
掃除機かけて浴室の掃除をしてコインランドリーに行こうと思いつつ起きれずにいます。
昨日も社宅に帰ろうと車に乗った瞬間に疲れがピークに達してそのまましばらく車の中で休んでおりました。
電池がすぐ切れます…。
昨夜、疲れ果てて社宅で一人寝ていると庭側の窓の外で音がしてました。
なんの音かよくわかりません。
雨かな?とも思いましたが、確認する気持ちも眠くてわざわざ窓を開けて確認することもせず、「泥棒さんか?」とかはたまた「幽霊さんか?」とか思いましたがとにかくそんなことよりもシンドくてそのまま音もしなくなったので寝てしまいました。
今朝、そういえば昨夜、音してたな?と思い出していました。
泥棒さんが来てもとられるものないし…。
幽霊さんも出て来て貰ってもなんにもしてあげられないし…。
などと思っておりました。
霊界は信じるというかあるものだと思っています。
それだのに霊体験はほぼゼロです…。
教会の内部にいた時もなんにも見えない。
霊体験をいろんな人がしてたのを不思議な気持ちで聞いておりました。
見える人には見える。
結構見える人はいるのではないかと勝手に思っています。
でも、あまり口に出さない…。
世の中、霊的なものへの偏見がありますから霊体験をしてそのまま伝えても誤解されることが多いし、辛い思いをすることのほうが多いのかも知れません。
教会の中の人も外の人も普段は雑談して普通に話しをしているのにその延長でより仲良くなりいろいろ話しをしていると霊体験を話してくれる人がいます。
「あまり人には言わない、話しなんですが…」と言って語ってくれる話しは、聞いてて本人の前では平静を装って聞いていますが、中にはすごい体験している人もいてびっくりしたことありますね。
ある人は見た目はチャラチャラしてて変な冗談ばかり言っているし、ふざけ合って笑ってばかりいるから周りの真面目な食口から誤解されていたけれど、内面を聞いているとものすごく真面目で真剣に求めていたりして外見では分からないなぁってつくづく思いましたね。
その兄弟は「見えるというのが辛い時があるんです」みたいな事をボソって言っていたかな…。
心情の十字架。
誰にも見えない、誰にも分からない、誰にも理解されない
そんな心情の十字架を背負いながら、1人で歴史的な蕩減条件を立てているのかもしれない…
その兄弟の話しを聞いていてそんなことを思いました。
元気出して、これから掃除します。
それでは
今日も読んで下さってありがとうございます!