今の現状をなんとかしたくてそう思いながらも気が付けば流されて疲れ果てている自分がいます。

夜中、独り目を覚まして、いた堪らない気持ちになりベッドの上で壁に寄りかかってしまう。

それは出張先でもかわらず、「このまま眠れなかったら明日の仕事しんどいなぁ」などとボンヤリ考えたりします。
ちょっと昔の自分だったらただただ焦って眠ることに必死になりパニックなったりしてたのですが、ここ数年はそういう焦りを感じる自分もなくなり、「仕事に支障が出たら出たで仕方ない」と力なく思うようになった。

そうするといつの間にか眠りの中に落ちてしまう。

目の前に「荒野」が広がっていて行けども行けども更に広がっていくばかりの荒地に溜息ついてしまう。

力のない目で今、生きている自分を感じています。

今どうあがいてもどれも上手くいかないという鈍い確信が全身を覆い、お腹に力を入れようとしてもそこに力の源の片鱗すら見つけることが出来ません。

と、ここまで書いて

改めて自分を振り返るとそこにはいつも死の匂いを漂わせた心の底の闇がヒタヒタと私の核なる部分に近寄ってくる。

底知れない闇は、私に近づくことで何をしょうというのか?

ちょっと前まではそれに怯え、それを近付かせてしまう「自分」というものを嫌悪し、忌み嫌っていた。

しかし、崩れようとする崖の上に立ちながら崩れる丘と自分を冷静に見ている自分がいます。
情けなくて直視出来なかった自分。

今、「命」を失おうしてもいるのにそれに対してなんの手立ても講じる気が湧かない。

それがいいのか悪いのか分からない。

飲み込まれようとする闇の中で「闇」の核を見定めてみたいという衝動の中にいるのかもしれません。

何度も自分と向き合って見すぼらしい自我を発見しては落胆してきました。

何故かな?最近は「冷たい自分」、「生きる価値のない自分」の闇の中に浸かりながら闇の本質を掴もうとしてしまいます。

けっしていいことではないと思いながら対峙していこうとする自分を止められずにいる。

橋の下のコンクリートの壁に囲まれてもしかしたらはじめて私は安堵感を感じるのかもしれない。

誰とも話さず、誰とも接することもなく疲れ果てたまま眠り続けることを悲しいような気持ちで願ってしまう。