「世界政府」なる用語は、意図する内容によって、使う人間のビジョンによって、多義的である。グローバリズムも同様。過去の忌まわしい歴史があったことは否定し得ない。しかし、それをもって未来のポテンシャルを完全に否定してしまうのは、新時代が求めるしなやかな感性とは言い難い。
まず、通俗な理解を通じて、過剰に忌避される、ネガティブな歴史的イメージの振り返り。世界政府といえば、何が連想されてきたのか。
国際連盟、国際連合、EUなどの先に見える世界統治機構。レプティリアン混血DSによるNWO。共産主義世界革命ののちの世界政府。中共による世界覇権。AIによるビッグブラザー支配体制。
また、世界政府を目指していたとされるグローバリズムを歴史的に振り返れば、国境をなくすという意味で共産主義と同根であり、それがアメリカ民主党と中国共産党が近年、異様に接近を遂げてきた所以でもある。
故に、グローバリズムは草の根の庶民感覚から忌避される経緯が確かにある。身体的生理的な嫌悪感があって不思議ではない。しかし、だからといって、未来指向で新時代を展望したときに、グローバルな営みが原理的に常に邪悪であるということを必ずしも意味しない。かつて人類史を通じて常に忌まわしい記憶とつながっていたことは否定すべくもないが、理論的な可能性の次元において、人類にとって有用なものたり得る可能性は皆無では(まだ)ない。
それは、ローカリズムを尊重するグローバリズムとしてグローカリズムであり、ディストピア的なビッグブラザー監視社会(スカイネット的監視システム)ではなく、むしろ、各国各地域の主権を最大限に尊重する、世界の小さな政府的な機能を有する緩やかな機能のイメージである。
その主要な機能は、GCR/RVなどを経て世界標準となるQFSシステムを主軸とする量子金融システムの運営であり、より民主的な意志決定のための量子投票システムの管理運営である。さらに、GESARAの世界規模での施行に不誠実な政府等に対して、最小限の警告的介入を行うことも当然考えられる。
このようなグローバルなシステムは、過去のグローバリズムの亡霊に縛られない、ポジティブな可能性を有していることは疑いない。
それを世界政府と呼ぶかどうかは、用語の問題(量子投票システムなど十分に政治的な統治に関与するが)であり、今、その用語の選択に固執しても意味がない。論ずべきは内実のビジョンであり、用語の選択ではないからだ。
そもそも、GESARAの”G”が、何を意味するか、妄失すべきではない。当然、Globalだ。「世界政府」という言葉自体に、生理的な嫌悪感を示すのは歴史的推移からして自然であり十分に同情に値するが、一方で、レプティリアンDS支配層が人類史を蹂躙してきた忌まわしい過去の経緯に必ずしも束縛されない、未来志向のシステム構想が可能であるという、新地球文明のポテンシャルを軽視してはならない。
今は人類総体においてゆるやかな連帯こそが大事な時期であり、細部の論争に流されて、見解の相違を殊更に強調するのは得策ではない。
しかし、急いで付け足すが、健康や医療の管理をグローバルに行うことには徹底的に抗わなくてはらない。それは、統計的な生権力の行使につながり、ナチスさながらの医療全体主義を容易に生み出すからだ。健康や医療については、むしろ、ひとりひとりの身体環境の個性や相違を考慮した、personalized medicine(個人個人へ向けての医療)& integrated medicine(統合的医療)こそが求められており、そこでは、マスクの常用やワクチンの接種などはまったくの論外。自然免疫を重視し、腸管造血説を前提とした、「食は人なり」の徹底が求められる。日光を浴びてビタミンDを活性化させ、人々と会って話すことにこそ心身の健康の触媒を見出す方向性である。