Mad / NeYo 

 

NeYoのMadで、ING形について改めて考えてみた。ING形は、一応、動名詞と分詞に分類できるとされている。動作・状態を現に生じているものとして描写する INGと、本来は動詞で表される動作・状態などを名詞概念化したINGである。しかし、簡単に言えば、「何かをしている状態」にあるのか、「何かをしている(する)コト」なのかということであり、両者は意味的につながっている。以下の歌詞で、この点についてみてみよう。この歌では、恋人同士がこれといって理由もないのに喧嘩ばかりしている状況が、リアルタイム感覚で描写されている。

 

She's starin' at me 

I'm sittin' wonderin' what she's thinkin' 

Nobody's talkin' 

'Cause talkin' just turns into screamin' 

And now it's I'm yellin' over her 

She yellin' over me 

All that that means is neither of us is listening…

 

相手を見すえたり、腹の中を探ったりしても、お互い口はきかない。口をきけばすぐに怒鳴り合い。結局、お互いの話にまったく耳を傾けていない、といった状況か。ここに出てくるING形を、あえて分類してみれば、現在分詞:staring, sitting, wondering, thinking, talking(1), yelling(1), yelling(2), listeningに対して、動名詞:talking(2), screamingとなるだろうか(括弧内の数字は歌詞内の出現順)。しかし、これでは分類のための分類であって、解釈にはあまり生かせない。“ ’Cause talking just turns into screaming”では、talkingは主語でありscreamingは前置詞の目的語であるために動名詞と分類されることになる。しかし、意味内容としては、ここで話題の恋人同士の会話と怒鳴り声がかなり具体的にヴィヴィッドにイメージされるはずである。つまり、ここでのtalkingやscreamingは、純粋に抽象化された名詞概念というよりも、むしろ、現実に生起していることを描写する性質を帯びたものとして解釈するのが自然である。ここにみられるのは、ING形の実際の用法には、「現在分詞か動名詞か」という文法用語に基づく分類的発想では掬いきれない意味の連続性がみられるということである。

 

たしかに、INGが文中で名詞的に振る舞うのか、あるいは形容詞や副詞のごとく振る舞うのか、その識別はセンテンスの基本構造を理解する上で不可欠であると思われる。しかし、そうしてセンテンス内で異なるポジションを与えられたINGであるから意味的にまったく異質なはずだと考えてしまうのはむしろ不自然なのであり、そこに意味的なつながりを感じ取れると想定するのがより自然だということである。今の例でいえば、Talking just turns into screaming.において、talkingとscreamingは名詞的に振る舞うのだけれども、そこに現在進行形につながるようなINGのニュアンスも感じられるということである。

 

ここで得られる教訓を整理しよう。実際の用法におけるING を解釈するにあたっては、最初から相互排他的な2つのカテゴリー(動名詞か分詞か)に分けて考えるのではなく(もちろん、そのINGが名詞的にはたらくのか否かの識別は不可欠だが)、むしろ、まず差し当たり、「何かをしている」という共通のイメージで捉えておいて、次に、具体的に与えられたコンテクストを考慮しつつ、必要に応じて、同じ「何かをしている(する)」にしても、その「状態」を描写する性質がより強いのか、あるいはそれを抽象化した行為概念として提示することに主としたねらいがあるのかという判断を行うようにすると、柔軟で自然な解釈ができるということである。ただし、繰り返しになるが、「状態」であれ「コト」であれ、「何かをしている(する)」という行為(動作)において相互に関連しあっているということは忘れないようにしたい。