Love Story (Taylor Swift, 2008)

 

英語の表現も、おやっと思う箇所をやりすごしてしまわず、ちょっと立ち止まって考えてみると新たな気づきが得られることがある。その点、題材が洋楽の歌詞であっても例外ではない。

 

歌の歌詞という言語表現は、音楽と不可分の関係にあるため、言語のみを表現媒体とした客観的な記述・説明を旨とするディスコースとは本質的に異なっている。言語が音楽とコラボレーションを行うことによって、どちらか一方(コトバか音か)の表現媒体では決して生み出せないメッセージを伝えることが可能になってくる。歌の歌詞は、音楽的に表現されることを想定しているために、身体感覚に対してより開かれた表現となる。しかしまた、歌の歌詞が言語表現である以上、そこで生じる表現形式は、やはり書き手(歌い手)の表現の動機に支えられて生じてくるはずである。

 

そういった点をふまえると、歌の歌詞を味わうにあたっては、特に以下の要素に注意を払いたい。表現者(=歌い手・歌の書き手)の視点から捉えられる身体感覚、時空感覚、それと地つづきになって生ずる情感や情念などである。

 

そのような観点から、Taylor SwiftのLove Storyの歌詞をみてみよう。この歌は、恋する乙女の視点から、自分と恋する相手の間柄をRomeo & Julietのそれになぞらえて歌ったものだが、最初の回想シーンの導入の仕方が実に興味深い。

 

We were both young when I first saw you

I close my eyes and the flashback starts

I''standing there on a balcony in summer air

 

この冒頭3行、テンス・アスペクトの使い方に注目したい。were; sawの「過去・単純」〜 close; startsの「現在・単純」〜 am standingの「現在・進行」という具合に展開している。目を引くのは、I’m standing thereという表現である。I’m standing here.であれば、「今・ここ」の状況だから自然な表現だが、I’m standing there.とは、「今私はそこに立っている」ということで、これは常識的にあり得ない表現と映る。あるいは、I was standing there.であれば、「そのとき・そこ」となるから、これもおかしくない。では、なぜ、I’m standing there.なのか。

 

1行目から確認してみよう。ここに出てくるwereとsawは、過去の具体的な出来事を回想していることを示している。2行目のI close my eyes and the flashback startsは、現在・単純形になっているが、なぜだろうか。これは、回想の内容(過去のストーリー)ではなく、回想する主体の側の状況を描く表現である。それが現在における静止画的なイメージであるために、現在・単純形で表現されているのである。そして、そのflashback(現在から過去へとフッと遡ること)のストーリーの中身が、We were both young when I first saw youから展開するということである。そして、問題のI’m standing there.へと至るのだが、この現在・進行形は主体の現在状況への言及と思われるが、thereは今いる「ここ」ではなく、過去にいた「そこ」であるはずだ。このねじれをどう説明したらよいか。

 

おそらくこうではないか。すなわち、回想される中身の物語は過去の出来事であるけれども、その物語の中に入り込んでいっているのは、今現在の自分であるという意味で、それを心理的な現実と捉えて現在・進行形で表現しているということである。「今・ここ」ではなく「今・そこ」に自分が(心理的に)いられるということで、回想という行為も、実は現在を生きる主体の意識による振舞であるということを想起させてくれる。このわずか数行の表現から感じ取れることは実に大きい。文法というのも、無機質なルールの体系なのではなくて、言葉を使用する主体の思考や感情の影響下にあるということを、改めて教えてくれるものである。

 

このLove Storyの歌詞を、テンス(現在か過去か)に焦点をあてて、語り手の視点からどのように事態が構成されているかを考えてみると、以下のような分析も可能となるだろう。

 

We were both young, when I first saw you ―― 回想の内容過去テンス
I close my eyes and the flashback start.   ―― 回想する主体現在テンス

 

■以下、回想の内容を(現在テンスで)眼前の出来事のように描写
I'm standing there, on a balcony in summer air
I see the lights; see the party, the ball gowns
I see you make your way through the crowd 
And say hello

 

■以下、現時点からの回想(過去テンス)へシフトバック

Little did I know…   
That you were Romeo, you were throwing pebbles 
And my daddy said "stay away from Juliet"
And I was crying on the staircase 
Begging you please don't go...

And I said...

 

■以下、私(ジュリエット)が彼(ロミオ)に言ったコトバを再現(現在テンス)
Romeo take me somewhere we can be alone
I'll be waiting; all there's left to do is run
You'll be the prince and I'll be the princess

It's a love story, baby, just say “yes”

 

上の歌詞に関して、「話法」という観点で、一点、補足しておきたい。

 

Little did I know… 

That you were Romeo, you were throwing pebbles

And my daddy said "stay away from Juliet"

 

のくだり。まさか思いもよらなかったわ。あなたが私のロミオで、私の気を引こうとしていたなんて(ちなみに、“throw pebbles”は、男性が恋する女性の部屋の窓に小石を投げて自分の存在をアピールすることで、ある文化圏では求愛の象徴的行為の一種として理解されるようである)。でも、パパが「ジュリエットに近寄るな」って言って。

 

ここでは、語り手(歌い手)本人はジュリエットになりきっているのである。だから、父親が本当に自分の娘に対して、「ジュリエット」と呼んでいたとは考えにくいのだけれども、歌い手の記憶からそういうコトバとして引き出されて用いられているのである。

 

引用符の中にある表現(いわゆる「直接話法」におけるセリフ)は、現実に使われた言葉をそのまま正確に借用したものだと一般に考えられている。しかし、むしろ実際には、それは話し手(書き手)の記憶を介して再現される言葉であるという、実は当たり前のことが改めて了解される。だから、それが実際に使われた言葉と(微妙に)ズレる場合があっても、それは不思議なことではなく、むしろ、自然な現象とみなされるのである。

(SATO)