to 不定詞の日本語訳が「未来っぽい」
Q:先日、私立の中学生から次のような質問がありました。
「We were happy to see you again.」の日本語訳がどうして「私たちは君にまた会えて嬉しかった。」なんですか?
僕の答えは「私たちは君にまた会えるから嬉しい。」にしたんですが…。
そしてもう一つなんですが、どうして、この英文には動名詞の「seeing」で書かれていないのですか?
の2点の質問でした。
実はこれと同様な質問がありました。
「She is the first woman to go to the moon.」の英文です。
この英文が載っている参考書の日本語訳は「彼女は月に行った最初の女性です。」となっていますが、生徒の答えは「彼女は月に行く為の最初の女性です。…なのでまだ女性は月に行っていない ! ! だって、to 不定詞って未来っぽいんですよね ! !」と…。
更にもう一つあります。
これは【イメージで分かる表現英文法】の中に出てくる「Daniel grew up to be a lawyer.」です。
こちらの日本語訳は「ダニエルは、成長して弁護士になった。」となっています。
この英文を見た生徒は「ダニエルは、弁護士になる為に成長した。」と日本語訳しました。
どうしてそうなるの?と尋ねると生徒は「だって、to不定詞 の「~ために」とかって日本語訳するのが…ありましたよね…。
日本語訳した時に何となくしっくりくるのが ( こと ) ( ために ) ( べきための ) の中からだと、( ために ) だと思ったので…選びました。ダニエルって人は、きっと弁護士になる為に努力して頑張ってたんだと思います。その過程をこの英文は言っているのではないんですか? だから、ダニエルはまだ弁護士にはなっていないはずですよね。」
そして更に更になのですが、「Saki went to Keio University to be a lawyer.」→「サキは、弁護士になる為に慶應義塾大学に行きました。」を生徒は「サキは、慶應義塾大学へ行って、そして弁護士になりました。」と解釈しました。
「to 不定詞は未来志向」「ing は過去志向」といった言葉を学校の先生が授業内で断言してしまっているみたいなのですが…。
生徒さんのほとんどが「to 不定詞」で詰まっています。
日本語訳 ( 正しい理解をする ) するにあたって何かポイントと言いますか、見極めらしきものはあるのでしょうか。
また、生徒の各日本語訳は全て間違いとなるのでしょうか。すみませんが中学生にもわかるような解説でお願いできたらと思います。
①「We were happy to see you again.」
→「私たちは君にまた会えるから嬉しい。」
②「She is the first woman to go to the moon.」
→「彼女は月に行く為の最初の女性です。」
③「Daniel grew up to be a lawyer.」
→「ダニエルは、弁護士になる為に成長した。」
④「Saki went to Keio University to be a lawyer.」
→「サキは、慶應義塾大学へ行って、そして弁護士になりました。」
A:とても奥が深い問題提起だと思います。以下、私なりの解答を試みてみます。
まず第一に、「to do=未来」という刷り込みが、どうもひとり歩きしてしまっているなあ、という印象を抱いています。そういう傾向は確かにあると思うのですが、完全にイコールというわけではない。そういう留保が、必要になってくる。少なくとも、紹介頂いたような質問をされる生徒さんのようなケースでは、そういう留保が必要になってくるかと思いました。
もちろん、導入の段階では、「to不定詞には未来指向の意味合いがある」という指導を行なって全然問題ないと思います。以下の例などは、おそらく、すべてその説明でカバーできるものかと思います。
1)To be or not to be; that is the question.
2) I’ve decided to study abroad.
3) My dream is to become a movie star.
4) There is too much laundry to do in a day.
5) He worked day and night to support his family.
6) She grew up to be a distinguished scholar.
7) To tell you the truth, I broke up with him.
ですが、上で生徒さんから質問を受けた例としてあげられた、
8) We were happy to see you again.
などは、未来指向では説明できないものでしょう。ふつう、すでに会っていて、そのことについて嬉しかったと言っているからです。類例ですが、
9) I’m glad to meet you.
でも、「初めまして」という日本語に相当するように、事実問題としては、既に会っている人に対して言うわけですから、このときにto不定詞が未来指向だと言ったら、生徒さんたちは混乱してしまうだろうと思います。
では、どう捉えるべきなのでしょうか。
ここでも、コア理論に従って、to doを分析することによって、他では得られない形でその答が見えてきます。
まず、to doのtoは、最早、文法化(grammaticalization)していて、機能語としてのはたらきが前景化している一方で、意味的希釈化(semantic bleaching)が生じている。それゆえに、文法的に異なる範疇として扱われています(脱範疇化=de-categorizationを通じて、文法的に別の用語で呼ばれ別の分類がなされるようになっている)。しかし、「形が同じであれば共通の意味合いがある」という語彙意味論の原則に従えば、to doの “to”と前置詞の “to”には、やはり共通の意味あいがあるはずなのです。
前置詞toのコアは「対象と向き合う」というものでした。例えば、face to faceに、その典型的なイメージが彷彿としてくるでしょう。これは、「相対(あいたい)図式」といってもいい空間的なスキーマです。一方、to不定詞のtoは、直後に動詞の原形を従えるわけですから、(動詞が示す意味を「行為」として一般化して捉えるとすれば)「行為と向き合う」というコアが存するということになります。そして概して、以下のような比喩的な拡張が生じるのが不定詞の解釈につながるということなのです。
前置詞のto =〈空間的に対象と向き合う〉
↓ ↓ ↓
不定詞のto =〈時間的に行為と向き合う〉
ですが、「概して」というのがポイントで、上の1) 〜7)などはその解釈で収まりますが、8)や9)などは、その限りではないということです。
じゃあ、8)9)は、覚えなければならない「例外」ということなんでしょうか。コア理論に基づかないで、単に、「不定詞=未来指向」とだけ教えてすませてしまうというやり方だと、そうなってしまうでしょうね。説明不能ですから、覚えるしかない。先生も、「これはしょうがないね、覚えるしかないよ」と言うのかもしれません。
ですが、コア理論から捉えれば、to doは「行為と向き合う」ということですから、それは「行為と向き合う」ことから生じるリアクションを提示する文脈でも使えるということになります。つまり、9)I’m glad to meet you.などで、「未来指向」というコトバを使う必要はないのです。そうではなくて、to doのより本質的なコアである「行為と向き合う」だから、meet youという行為と向き合って、I’m gladという感情的な反応を示しているんだよ、といえばいいのです。8)We were happy to see you again.でも「未来指向」と言う必要はなく、see you againという行為と向き合ってWe were happyという感情的なリアクションなんだよね、でいいと思います。
これは、コア理論からのみ説明可能な現象で、言語学においても、他の説明の仕方では解決できない事項のひとつなのです。
では、8)We were happy to see you.に対して
8’) We were happy seeing you.
と言えないかといえば、言えると思います。We were happyという感情が生じているという骨格情報に対して、seeing youを「実際に会っていて」という具合に分詞構文的に解釈すればすんなり了解可能だからです。
一般的に言って、ある表現形式のペアなり選択肢なりがあって、一つの形式が圧倒的に頻度が高いとか、慣用性が高いからと言って、その他の可能性があり得ないのかというと、そういうことではないでしょう。たとえば、go to schoolに対して、go to a schoolと言は言えないのか。We go to school from Monday to Friday.で、a schoolはおかしでしょう。それはschoolが個体としての建物ではなく「学び舎としての場」として抽象化されていて個体として認知されないからです。が、We went to a school to play baseball.であれば、ある学校の校舎ということで、個体認知が可能ですから違和感が生じない。ですから、文脈の要請があれば、通常は不自然と思われる形式でも解釈可能性は生じると言う事なのだと思います。
ちなみに、英語の冠詞論、名詞の単数複数の捉え方についても、田中先生の理論・教育的応用へのアプローチは、他のいかなる理論よりもわかりやすいだろうと思います。
結果が目的か
先に挙げた例文の6)について、説明を足させてください。
6) She grew up to be a distinguished scholar.
でした。6)の例は、生徒さんからの質問の例であげられた、
③Daniel grew up to be a lawyer.と同じ用法ですね。これを「目的」で解釈できないかということですが、まず、一般的な議論から指摘すれば、「目的」の解釈はふつうではなく、「結果」で捉えるのがふつうでしょう。
同種の用例で、よく出されるのが、
10) Our grandmother lived to be 100.
などです。 ところで、「目的」と「結果」の共通点は何でしょうか。「行為と向き合う」ということでしょう。〈「行為と向き合う」ことをあらかじめ意図する〉という文脈で使われれば「目的」であり、〈ある出来事が生じてその必然的な結果として「行為と向き合う」ことになる〉というのが「結果」の解釈だろうと思います。そこで、6)や③や10)の例文などは、「目的」よりも「結果」が自然な解釈になる可能性が高いということでしょう。
ちなみに、「目的」の解釈と「結果」の解釈のいずれもが可能な場合もあると思います。
あまりいい例ではないので、板書などはオススメできませんが、例えば、
11) She took a lot of pills never to wake up again.
などであれば、「たくさんのクスリを飲んで二度と目覚めなかった」とも「二度と目覚めないためにたくさんの薬を飲んだ」とも解釈できるだろうと思います。ただ、「結果」で解釈するように書き手が求める場合には、She took a lot of pills, never to wake up again.のように、カンマを入れる方が普通だろうとは思います。
つまり解釈は文脈次第で微妙なわけですが、ひとつの線引きの方法として、文の後方にあるto不定詞を文頭に出せるか。また、In order to doで表現して違和感が生じないか、というテストを行ってみるというやり方があると思います。
実際にやってみましょう。以下、あくまでも言語表現の実験として、違和感が生じるものにも何も印をつけないで表現してみることにします。
③ Daniel grew up to be a lawyer.
③’ To be a lawyer, Daniel grew up
③’’In order to be a lawyer, Daniel grew up.
このとき、③’や③’’は、文法的に間違っているとは言えないでしょう。言語形式的には、まったく問題がないからです。しかし、意味的にはどうでしょうか。grow upというのは、日本語の「成長する」のように人格的な部分も含むゆるやかな意味合いと比較すれば、もっとダイレクトに「大人になる」といった意味だろうと思います。だとすると、「弁護士になるために、大人になった」という解釈が自然なのかしら?という問が生じるわけです。英語では、「大人になる」っていうのは、別にそんな目的なんか抱いてなくたって、自然と大人になるでしょ、と考えて、「目的」で解釈するのを不自然とみなすんじゃないかと思います。もうひとつやってみましょう。
6)は③と同じなので、10)でやってみます。
10) Our grandmother lived to be 100.
10’) To be 100, our grandmother lived.
10’’) In order to be 100, our grandmother lived.
これも10’)や10’’)が、文法的に間違いというわけではないでしょう。ですが、ふつうの表現には見えませんね。意味的に自然と解釈できる文脈が常識的にイメージできないからです。ですが、ちょっと無理やりそういう文脈を想像してみましょう。うまくワークするかわかりませんが、やってみましょう。
たとえば、ある地域で長寿コンテストが行われていたとしましょう。そこで、100歳まで生きられた場合には、子供、孫、ひ孫の代に至るまでその家系の子孫皆が、その地域の自治体から、立派な家屋がプレゼントされ、教育費・医療費も無料になる、そんな地域で生活しているとしてみます。おばあさんは、とにかく健康に留意して、日々の運動を欠かさず、自分のかわいい子孫のために、必死になって生きた。絶対に死んでなるものかという気迫で、100歳になることを目指して生きた。
そんなコンテクストがたとえば、ある小説の一節に浮上したとしましょう。そんなとき、私は10’)や10’’)のようなセンテンスを自然なものとして、もちろん「目的」の意味合いで解釈できてしまうと思うのです。そのときのlivedは、ものすごい余韻を伴うと思いますけどね。
③のDanielの例についても、もし、それに類するコンテクストの要請、つまり、状況的にその解釈が自然となるような文脈が与えられれば、「目的」で解釈する可能性もゼロとは言えないのだろうと思います。
ただ、人間は慣習の中で、常識に従って生きているというのも、否定し難い事実です。これは、田中先生が説かれる「概念形成論」の中で、特に、「(行動)スクリプト」の形成と関係する領域です。「概念形成論1:語彙学習の基礎理論」などに説かれるところです。ですから、単語の使い方は問題ない、文法的にも問題ない、しかし、解釈的に常識から判断してあり得ない。そういうケースが、実はとても多いわけです。
そして、教師の側も気をつけなくてはいけないのは、そういう人間行動のあるいは社会的現象の通念や常識を支える(行動)スクリプトに照らして解釈し難いというケースを、「そうは言わない」とか、「文法的に間違ってる」などと言ってしまうことが多いけれども、実はその指摘の仕方自体が正確ではない、ということです。
私が田中先生から学ばせて頂いた言語分析の姿勢のひとつとして、「規範主義的に、こうは言わない、ああは言わない、などと言ってはいけない。そうじゃなくて、こう言ったら、こういう解釈になる、と教えてあげればよい」というのがあります。
だから、たとえば、pianoという単語は、play the pianoのように「楽器だからtheをつける」とか決めつけてしまって、play piano, play a piano, play pianos, play the pianosなどの表現の可能性を最初から「そうは言わない」「文法的に間違っている」などと言って否定してしまったら、英語の面白さなんてわからなくなってしまうのです。これらすべての表現の可能性が、文脈次第であるわけですから。
この点、傍白ながら敢えて繰り返しますが、冠詞論において、aとtheの本質的な相違、これをほぼ完璧に理解するには、何冊の本を読むよりも、田中先生の動画を1本見る方が効果的でしょう。
話を不定詞に戻しましょう。
前口上の不定詞とING(分詞構文)
もう一つ、先に挙げた7)の例について、コメントを足させてください。
7) To tell you the truth, I broke up with him.
で「未来指向」で解釈可能だと記しましたが、それ自体は問題ないだろうと思います。「これから本当のことを言うけどね」と捉えれば、すんなりと理解できるからです。
そして、この慣用句は、圧倒的に文修飾的に文頭で使われるので、いわゆるセンテンス後半で本論に入る前の「前口上」の決まり文句です。
ただ、前口上にも、INGで表現するもののあるのはご承知の通りです。例えば、「対話に向かう態度」を示す前口上に、to be honest with you, frankly speaking, ironically speakingがあります(前口上にも、technically speaking, generally speakingなどING の慣用表現があります)。こ
のto be honest with youとfrankly speakingのニュアンスの差を、発話者の時間感覚に焦点をあてて述べるとすれば、やはり、「これから正直なことを言うよ」と言いたいのか、「(今現に)率直な話をしているんだけどね」と捉えるかの問題で理解できるだろうと思います。
動名詞は過去指向?
ところで、よくみられる予備校流アプローチとして、「不定詞=未来志向 vs 動名詞=過去指向」というのがあります。
これについては、前者(「不定詞=未来指向」)についてはすでに説明した通りですが(これも「概して」という留保が必要で、本来のコアは「行為と向き合って」でした)、後者の「動名詞=過去指向」というのは、前者との対比で実相をねじ曲げてでも、oversimplify(過剰単純化)してしまうという誤った学習ストラテジーの結果であって、それは学習者のみならず、教師の側も抑制しないといけないやり方だと思います。
動名詞のINGが過去を意味し得るのは、典型的には以下のように、主動詞がrememberやforgetのように、「記憶」を問題とする動詞であるときに、それに後続するING 自体は「〜している(状況)」を意味するにすぎないとしても、その主動詞remember, forgetの意味の影響から、動詞句全体としてあるいはセンテンス単位としての解釈において、当然、記憶が関与する結果として、INGに過去指向の含意が生じるまでのことです。
11) I remember seeing you somewhere before.
12) Did you forget making that promise to me?
ところが、実際には、INGは未来指向でも使われるのです。以下の2つなどは、その典型例です。
13) Would you consider joining our Facebook group?
14) I suggested going there by plane.
13)でも14)でも、INGが示す行為が過去の(あるいは既になされた)事柄でないのは明らかです。むしろ、これからの行為です。が、to doのように「行為と向き合う」という意味合いではなく、これらの場合は、INGの「〜している」が「〜している(こと)」という具合に名詞概念化して(つまり、主動詞が示す動作の対象が「行為」の次元にあるのではなく「概念」の次元にある)、それが未来指向のアイディアを示していると理解されます。ですから、上の2つの英文は、以下のように表現してもほぼ同趣旨の意味を表すことができます。
13’) Would you consider the idea of joining our Facebook group?
14’) I suggested the idea of going there by plane.
これらは未来指向でしたが、動名詞は以下のように習慣的な事象にももちろん使われます。
15) Seeing is believing.
16) Walking is good for the health.
これらは、習慣的な事象であり、これらのING(動名詞)は現在指向といってもいいでしょう。つまり、動名詞のINGは、「過去の記憶」にも、「未来のアイディア」にも、「現在の習慣」にもなる。いずれも概念化された行為名詞(動名詞)であり、時間的には中立だということです。
決して、「過去指向」に限定されるものではないということは、幅広く用例にあたっていけば、すぐにわかることなのです(教師の側がこの種のsampling biasに気づかずにいると、生徒は英語の本質を捉え損ねてしまう可能性が高いということになります。selective bias(学習者が提示された例のすべてを学習するとは限らない)とrepresentation bias(主に母語の干渉によって訳語との対応関係で英語の概念を捉え損ねてしまう)は、学習者に起こる問題ですが、sampling biasは教師が犯しやすい過ちとして、心しないといけないと思います。
ここら辺のくだり、ちょっと本題からそれてしまったかもしれませんが、関連する重要な問題と思われましたので、敢えてふれさせて頂きました。
例文とその和訳
例文とその和訳の問題に戻って、さしあたりの結論をだしておきたいと思います。
①We were happy to see you again.「私たちは君にまた会えるから嬉しい」
②She is the first woman to go to the moon.「彼女は月に行く為の最初の女性です」
③Daniel grew up to be a lawyer.「ダニエルは、弁護士になる為に成長した」
④Saki went to Keio University to be a lawyer.「サキは、慶應義塾大学へ行って、そして弁護士になりました」
上の和訳の問題ですが、まず、これからの英語の教室が目指すべきはコミュニケーション能力の養成が主眼におかれますから、これらの和訳があっているか否かで、あまり必要以上に時間を費やしたくないというのが、ひとつあります。
ただ、理解の入り口としては、日本語を介在させないとわからないという生徒さんが多いのは当然だと思いますので、そのあたり、できるだけ前置詞TOのコアの視覚的なイメージなどを提示しながら、この文脈でTO DO の「行為と向き合う」っていうのは、どんな感じかな?という具合に問いかけて、英語の意味世界が感じ取れていたらとりあえずOK、というくらいの柔軟さがあっていいと思います。
たとえば、私なら、以下のようにしゃべるかもしれません。
①なら、We were happyって、happyだったって気持ちだよね。to see you againだから、そういう「行為と向き合って」嬉しかったわけだ。ってことは?そうそう、「会えて嬉しかった」でいいよね。
②は、She is the first woman女性初ってことだね。なんの?to go to the moon.って、これZOZO前澤社長の彼女の剛力彩芽?ま、それはいいとして、go to the moonっていう「行為と向き合う」最初の女性ってことだね。ここで「ための」っていうのは、ん〜微妙。
③は、〈ある事柄が生じてその結果として自然と「行為と向き合う」ことになる〉ということで、to be a lawyerって言ってるんだ。「結果」は、後にくる。目的って、あらかじめ考えるよね。だから、目的はふつう文頭にもってこれるんだ。In order to doなんて言うね。In order to keep healthy, she used to take a walk every day.とか。そういうふうに、文頭でIn order to doって言えたら、目的で解釈できるってことだね。目的はあらかじめ考えるから、文頭に来れるって自然なことだよね(このくだりやや冗長ですが、「不定詞の意味が文中の位置と対応する」という「気づき(awareness-raising)」を与える意味で有益かと思います)。あ、この文で「ために」っていうふうに解釈した人?そうか、じゃ、どういう状況ならそういう解釈が可能になるか考えてみよう。
④は、Saki went to Keio Universityってことを、 to be a lawyerという「行為と向き合って」した。ま、ふつうそういう目的で行ったってことだね。将来の志望をもって大学へ行ったっていうことだ。「目的意識をもたずに慶応に行って、たまたま結果として弁護士になった」って解釈は、まあふつうはしないかな。
これでも、まだ、しゃべり過ぎの感があります。そこで、どうやって、日本語の説明を極力減らして、英文法の指導を行うか、これがこれからの英語教師にとって、とても大きな課題になってきます。
和訳の正確さにこだわるよりも、実際に状況を提示して、英語でto不定詞を使ってみる、言ってみる、表現してみる、というチャンスをたくさん、生徒さんたちに提供できるような仕掛けをしていくことが求められていると思います。
Grammar in Chunkingのアプローチ
そこで、どうするか。具体的な対策としては、GIC(Grammar in Chunking)」があります。「GIC(Grammar in Chunking)」とは、チャンキングの発想を文法指導に生かすことによって、文法用語を使わずに、また、日本語の使用を最小限にとどめて指導するための実践的メソッドです。
動画講義「GIC(Grammar in Chunking)」では、以下のような内容が解説されています。
GIC事例1:不定詞をチャンキングの中で使う/英語のtoは何?:「前置詞to」と「不定詞to」は共通点もある → To(前置詞)---「空間的に物や場所に向き合う」;To不定詞 ---「時間的に行為に向き合う」/チャンキングA+B → 自分の気持(チャンクA):I really want / I hate / I refuse / etc. + これから行うこと(チャンクB):to go to Hawaii / to study very hard / to clean my room / etc./Quick Response → What do you really want to do? --- I really want to . . . / What do you hate to do? --- I hate to . . . /チャンキングA+B+C → I really want --- to go to Hawaii +(なんで?)→ to try surfing. /AB+X(何時・何処で・何故・どうやって):I really want to go to Hawaii +「何時」:this summer; before I graduate from high school; sometime in the future; etc.
ちなみに、ここでは不定詞の典型用例を徹底的に発話させることで、スピーキング力、瞬発力、英語表現力を鍛えることに主眼を置いていますから、まずは不定詞の典型的な用例として、「これから〜すること」という意味合いの用法を集中的に訓練する形になっています。
以上、なにがしかの参考にして頂けたら幸いです。
(SATO)