「カランカラン・・・」
タリスカーが注がれたロックグラスをしきりに傾けながら、そのウイスキーのラベルを見つめていた。何かに悩んだ時、何かに行き詰った時、タリスカーはいつもぼくを救ってくれる。ぼくはタリスカーの蒸留所であるスカイ島に打ち寄せられる荒々しい波しぶきを想像する。それが心の葛藤を打ち消してくれるような・・・そんな気がするのである。
ジャズバー「ブルーマンハッタン」のカウンターで、ぼくはゆっくりと自分の心の中をまとめていた。店内にはエディヒギンズのピアノの音色がぼくの思考を後押ししてくれるように静かにゆったりと流れていた。
・・・・優也さんも私の存在で勇気を出してほしい。
僕の頭の中で木綿子さんのこの言葉が何度もリフレインされた。何年もぼくは同じような葛藤の中で生きてきた。
「こんなんじゃない・・・・。僕はこんなんじゃない・・・・。」
僕はいつもそんな気持ちに蓋をしてきた。そうする事が正しいと思っていたから・・・。でもその結果が、妻の薫を苦しませているという事に、気づきもしなかった。
何かを守り、何かに縛られ・・・、気がつけば僕はとてもつまらない男になっている。そんな気がした。自分の仕事に満足をせず、そして家族も表面的な部分しか見えてなくて・・・。
ここ数カ月、木綿子さんとのメールのやりとりが、僕を少しずつ変えてくれているように感じていた。そんな木綿子さんの言葉・・・・、とても重く心に響いた。
ブルーマンハッタンを出て北野坂を上る。その視線の先にはキレイな三日月があった。少し千鳥足の僕の目には、ゆらゆらとブランコのように揺れているような三日月だった。
よし、そうしよう。
僕はようやく決断した。
人生もうすぐ折り返しの年齢だというのに、まだまだ僕の心は大人になりきれていない。自分にも、そして大切な人たちをも結果的に傷つけている。本当にダメな男だ。でも今からでも遅くはない。自分を変えてみよう・・・。
家に帰ると、薫は一人起きてダイニングに座っていた。
「おかえり。今日もいい顔ね。」
いつものクールな薫の出迎えに少しの笑顔でこたえながら、僕は薫の前に座った。
「薫、話があるんだ」。僕は唐突にきりだした。
「実は会社を作ろうって声をかけられている。同期の山本、イタリアの輸入生地を扱っていた川端さん、そしてもう一人は薫の知らない人で、同業者の佐々木っていう男。この4人で新しいインポートファブリック専門の販売会社を立ち上げないかって。声をかけられてからもう1カ月くらいになる。成功するかどうかなんてわからないし、この歳で家族もいて、チャレンジするような事ではないのかもしれない。でもすごくやりがいがあって楽しいだろうと心から思えるんだ。」
薫は黙っていた。
「このままサラリーマンを続けていたら、僕はダメになると思ってる。人生、チャレンジさせてくれないだろうか。自分の道は自分で切り開いていきたいんだ。お前たちには経済的に相当な負担をかけさせる事になるかもしれない。でもお前たちのためにも、そして自分自身のためにも、精一杯チャレンジをしたいんだ。」
「まぁ勝手な人ね。生活できなくなったらどうするのよ」。薫は少しからかうようにそう言った。
「うん・・・、それなんだが、今さらのようで言いにくいんだけど、薫にも働いてもらえないかな・・・って。もちろん家計のためではあるんだけど、薫自身にも人生にチャレンジしてほしいなって思うんだ。僕が間違ってた。世間の体裁ばかり考えて、本当の中身を見れてなかったように思う。この歳になってこんな事言うのもおかしいかもしれないけれど、ひとつ大切な事がわかったように思うんだよ。まぁ・・・何て言うか、薫には薫の人生があって、もう少し自分自身のために時間を使ってほしい。」
僕はそう言うと、しばらく薫の顔を見つめていた。そこには完全に理解している訳ではないが、仕方ないか・・・というような表情に変化していく薫がいた。
「去年はあんなに私が働く事に反対したのにね。でもいいわ。やりなさいよ。あなたが人生に後悔しないように。その代わりやるんだったら、とことんまでやってよね。私の事を想ってくれるなら、大金持ちになってちょうだい。」
薫はそう言うと、ようやく笑顔になった。それは、僕が1年ぶりに見る笑顔だった。
「あなたが好きなようにするなら、私も好きなようにさせてもらお!っと」
「じゃ、これからの人生に乾杯しますか!」。
僕たちは缶ビールで乾杯した。久々に家族のぬくもりを感じる夜だった。テラスに出ると、まだキレイな三日月が輝いていた。
次の日、僕は朝一番に木綿子さんへメールをうった。
- 木綿子さんへ
- おはよう!
- 今日はね、木綿子さんに報告があるんだ。
- 色々悩んで考えた結果、独立して会社を立ち上げる事にした。
- まだ具体的ではないんだけどね、今からそれに全力で向かっていこうと思ってる。
- 実はこの1年、色々あってね。
- 夫婦の関係も表面的なものになってて、お互いに何かに蓋をして、そこに触れないように通り過ぎていくような関係になってしまってたんだ。
- ちょうど1年前に、妻が仕事をしたい!って言いだしてね。
- 僕は女は家にいるものだ・・・なんて言う古典的な人種だから簡単に拒否しちゃってね。
- 僕にすればすごく軽い気持ちではあったんだけど、彼女にしてみれば子育てやら何やらで相当なストレスを抱えた中で、自分の時間すら自由に持てず、人生の変化を求めたと思うんだよ。
- で、思い切って一歩踏み出そうとしたのを、僕が簡単に拒否してしまったものだから、ふさぎこむようになってしまってね・・・。
- でも、それでも、僕はそういう事に気づいてあげれていなかった・・・。本当にダメな旦那だよ。
- でも今回そんな僕の心の重い扉を開いてくれたのが、木綿子さんなんだ。
- 本当にありがとう。
- 木綿子さんの言葉に、僕は自分の人生を見直すきっかけを与えてもらった。
- 本当に感謝してる。
- 今日はそれが言いたくて、メールしました。
- ありがとう。
- 優也
朝、家を出て北野坂にでた僕は、キラキラ降り注ぐ太陽に背伸びをした。
To be continued・・・ Written by 琉咲 凌