NHK朝ドラ『虎に翼』がついに最終回を迎えた。


 『らんまん』も『ブギウギ』もここ最近の朝ドラはみんな面白かったけど、『虎に翼』は少し異質な意味で大変、面白かったと私は思っている。ここ最近の私の見た朝ドラの中で、No.1かもしれない。故に、今、『虎に翼』ロスである。 


  このドラマの何が秀逸だったかと言うと、まだ家父長制も堅固な戦前戦後の時代に司法の世界に参入した女性主人公の寅子が、男性社会に風穴をあけ突き進む姿を通じ、当時の女性への差別、置かれていた立場、その空気感をありありと描きながらも、現代になるまで詳らかにされてなかった様々な諸問題を同時進行で扱い、かつそれを違和感なくまとめ上げたところだと思う。 

 

 例えば、LGBTQへの偏見、差別の問題なんて、当時、女性さえ差別されていた時代にそういう人が存在していたとしても、人々の意識の水面上に出てくることさえない状態だったはずである。


 しかし、このドラマは果敢にも、現代の諸問題も当時の世界の中に埋め込んで描いてしまう。何度も言うが、違和感なく、である。


  そして、違和感なく、という点に私はある意味、驚愕してしまうのだ。違和感なく描けるということは、つまるところ形を変えても、この国の集団心理はちっとも進化していないことを明らかにしてしまうからだ。 


  女性への差別は当時ほど、あからさまではないとはいえ、続いているし、男性への逆差別の問題もある。もちろんLGBTQへの差別もある。


 それらが詳らかにされてきた現代、表面上は国際的な声と歩調を合わせるかのように日本の社会も“多様性”を唱えているが、その実、人々が“多様性”に耐えられる心性を育てられているとは到底、思い難い。


  相変わらず日本人お得意のホンネとタテマエが幅を利かせており、タテマエでは“多様性”をまるで神々しいもののように祭り上げ、その実、“ホンネ”では、理解できない相手の陰口を叩く。


  そういう心性は、当時から現代まで一貫している。


  故に、当時の日本社会を描いたドラマに現代の諸問題を当て込んでも「違和感なく」描けてしまったのだと私は考える。


  批判的な口調で書いているが、この問題先送りの心性に私自身も加担していると言うことは強調しておきたい。なぜなら、私も日本人特有のホンネとタテマエの心性にどっぷり浸かっているからだ。 


  そのことを内省しつつも、考え続けていかなくては(それは自分自身の足下をぐらつかせ壊してしまう、とてもしんどい作業)、この国に未来はない気がしている。 


  さらにこのドラマはそれに加えて、人類に突きつけられているある命題をも取り扱ったことに私はさらに驚愕を覚えた。 


  それは、「なぜ、人を殺してはいけないのか」という命題である。 


  この問いに主人公の寅子は「失われた命は取り戻せない。死んだ人とは二度と言葉を交わすことはできない。だから、人間は人を殺してはいけないと本能が知っている」という主旨の話をし、さらに「人を殺してはいけない理由は分からないけれど、わからないならそれをやってはいけない。やってしまうと取り戻せないのが命だから」という主旨の寅子なりの“現時点”での回答を与える。


  確かにこの解答は最適解に近いと私も思う。


  ただ、哲学的に問うと、これも論破はできてしまう。 


  そこはここでは割愛するが、この問いに対し、哲学的に答えを出すことの意味を私はあまり積極的には見い出せていない。


  それは、単にエクスキューズを与えるに過ぎないと考えるからだ。


  こと、この類の問いをする者は今の社会に不満があったり、何らかの人生の不遇で、その満たされなさを自分ではなく、社会に向けて、歌の歌詞ではないけれど「すべてを壊したい」というナルシシズムに陥っているパターンがほとんどだからだ。 


  その人の不遇には、同情はする。しかし、それを他殺や破壊など「他者との境界線」を突き破る形で、それも「命を奪う」という取り戻せない形で実行するのであれば、それは「人を殺してもよい」価値観の世界、つまるところ戦場などで、やってもらいたいと思うところである。 


  自分は安全な高みから、「なぜ人を殺してはいけないのですか?」と問うこと自体が、ナルシシズムの極みであり、ならば「自分も命を奪われるかもしれない」立場になってから言え、という話なのである。


  自分が「日本という安全な社会」に守られていることにあまりに無頓着すぎる自己愛過剰な状態だと本人が気がついていないのであるから、たちが悪い。 


  とは言え、哲学的に問うなら、そういうナルシシズムを除いたとしても、人間の一部には、もしかしたら、良心の呵責を感じないサイコパス的な価値観の持ち主もいるのかもしれない。


  だから主人公の寅子の言うようにこの問いには、おそらく究極的には正解はない。


  人間の思考の範囲で、哲学的に突き詰めても「なぜ人を殺してはいけないのか」の答えはおそらく見つからないのである。


  だから、答えは程度問題。


  寅子の言う答えが「絶対解」ではなくとも、「最適解」である、と私も思う。しかし、倫理とはそういうものでなかろうか。民主主義社会においては「倫理」を形にして、権力を与える「法律」も。 


  むしろ「絶対解」がある方が私は怖い。悩んだり、矛盾に引き裂かれたりしてでないと、人間や社会は成熟していかないと私は考えるからである。 


  寅子の言うように時代時代の「最適解」を求めて、「法律」という船を漕ぎ手である「国民」が、矛盾に耐えながら考え続け、漕ぎ続けることが大切と思う。


  無論、船を壊れにくいものにしておくことも大切だが、あまりに堅牢すぎて、ビクともしないのも問題だ。 


  ある程度の「流動性」を持たせておくのが、「法律」であり、その土台は「倫理」でなくてはならない。漕ぎ手は「国民」である。しかし、民意も間違うこともある。多数派が正解という訳ではない。


  その「倫理」を考えるために、「哲学」がある。「哲学」の目的は「絶対解」を求めるためではなく、「最適解(倫理)」を見つけるための厳密な手立ての1つなのだと私は考える。 


  にしても、このドラマの脚本家の吉田恵里香さんがまだ弱冠36歳という若さであることに私はさらに驚愕する。若い人たちがこんな秀逸なドラマを世に出せるなら、日本の未来にまだまだ希望が持てると感じた。あきらめかけていた私に喝を入れてくれてありがとうございます。



『虎に翼』“美雪”片岡凜「どうして人を殺しちゃいけないのか?」“寅子”伊藤沙莉の出した答えに反響「ずしんときた」(クランクイン!)#Yahooニュース

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