父は「書くこと」が好きな人だった。
父の遺した雑記帳や記録ノート、(大半は父が捨てたり母が処分してしまった)を
弟から預かってゆっくりと読み返している。
遺されたものは、彼の書きだした大量の記録のごくごくわずかな量だけど
きれいな、そして細かい文字でびっしり綴られていて
今の私の老眼度合いでは メガネなしには読み取れなくて
少しずつページをめくっております。
(読み終わるのがもったいない気もするし)
そのなかに
「1978年(昭和53)55歳(父の年齢)」のときの記述がある。
“奇人・変人”
♯~略~同じ月の一日に文化勲章受章の数学者・岡潔さんが先に逝った。
この人の話をお寺できいたことがあった。岡さんは演壇に上がると、やおら新しい
ハイライトを取り出し、封を切り 中の20本全部をそっくりマイクの横に置いた。
大脳の前頭葉が ドータラコータラと話して終わったら、その煙草を無理矢理もとの函に
押し込んで退席。無論1本も吸わずに・・・
~略~ やせ枯れた岡さんのおもしろさ、、、、奈良市は名誉市民を二人も失った。
その岡潔氏の本を、今年は読んでいる。
びっくりした。
あー、アタシも岡先生の講義聞きたかった!
(最近YouTubeに岡先生の動画が上がっていた)
今、おとうさんがいたら
もう少しいろんな話をして、いろいろ教えてもらって
雑記帳なんかも、いっしょに書けたかもしれない。
それも、「かも」なんだけども。
お父さんが26歳のときにお母さんが亡くなったと、記録にある。
死に目に会えず、電報を受け取ったお父さんは
「母に最期に会うべきか?」と悩む。
交通費が工面できず、結局、行かないことに決めたと、書いてある。
その夜、布団をかぶると「涙がこぼれた」と。
そして お父さんが51歳になったときに
ふと、「父も母ももう、遠く遠くに行ってしまった」とまた淋しく思ったとも。
そんな話も 今ならできるのに。
「人生というものは、本当に善く生きようとする者にとってはまことに
生きにくいものだと思う。」
~岡潔「春宵十話」より
最近は 岡潔さんの本を鞄に入れて 出先で好きなページを開く。
自分に沿った落ち着く世界観、心を整えたいときにも。
父の記録ノートと、日々の出費帳にしている私のロルバーン。