BGM:HERO 「HEROになる時、それは今」 甲斐バンド

http://www.youtube.com/watch?v=IB25r_o0m5g


大学1年生の時。

ボクは軽音楽同好会に所属してギターを弾いていた。

ギターを弾いて・・・、下手な歌を歌っていた。

ボクらの大学は、部活動や同好会の上に、よくわからない任意な団体があった。

その人たちが学祭を企画・運営した。

任意な団体は、今思うと少し「政治がかって」いたように感じる。

だから、大学の学生手帳のスケジュール表に、学祭の日程は載っていなかった。不思議なことに。

大学側が認めない形で、任意な団体を中心として学祭が行われていたのだ。

今なら、施設目的外使用届けがいるんじゃないか??なんて、お堅いことを考えそうだけど。

その頃はまだ、そんなことは知ったこっちゃなかった。


若林で見た空


そして・・・。その団体によって、部活動やら同好会やらから代表者がかき集められ、学祭の全体としての企画運営のお手伝いをさせられた。ボクも、その中で縁の下の力持ち的なお仕事をしたことがあった。

1年生の時。学祭のコンサートで、誰に来てもらうかという話し合いが行われた。

学祭に「スター」を呼ぶ。そんな風潮が、全国的に広がっていた時代だった。

その時の話し合い・・・、覚えてる。

多くの人が、南こうせつさんや風など、当時、超人気なフォーク歌手を呼びたいって言っていた時。

誰かが、「甲斐バンド」がいいって言い出したのだ。

みんな、「えっ?」って顔をした。甲斐バンド。

実力もヒットあり、知られたバンドではあったけど、人気的にはまだまだ、テレビをにぎわすまでには至っていない。そんなバンドだった。

でも、その人は甲斐バンドを徹底的に押した。

東芝EMIと関係を深めていた「・・・そのお話はまた置いといて・・・、」軽音楽部の先輩だった。

甲斐バンドのレコードをボクらは皆で聴いた。

いいなぁって声があちこちでもれた。彼らを呼ぼう。

1978年9月。こうして、ボクらの大学は甲斐バンドを呼んで、大いに盛り上がった。

学祭は、大成功だった。


この年の12月。

彼らが出したシングル。

HERO「ヒーローになる時、それは今」は、爆発的な大ヒット曲となった。

甲斐バンドの知名度は、音楽に興味をもたない人にまで知れ渡るようになった。

ボクらが、学祭で甲斐バンドを呼んだことは間違いじゃなかったって。

その時、心からそう思った・・・。