玉名クンが食堂を始めたのは、彼が定食屋さんに行かなくなってから数日後のことだった。

玉名食堂。

下宿の部屋に暖簾はかかっていなかったけど・・・。

明らかに、彼は商売をはじめた。


若林で見た空


玉名食堂には、メニューがなかった。

あるのは、呼びかけだけ。

「GINクン。大船渡クン。一緒にご飯を食べないかい。」

そして彼は、こう続ける。

「ボクがご飯を作ったから・・・・。」

最初の日は、ボクも大船渡クンも喜んで出かけた。

玉名クンがご馳走をしてくれる。なんていい人だ。

我々、か弱く貧しき民衆を救う、大塩平八郎のような方だ。そう思った、ところが・・・。

食べ終わった後、お代が請求された。

なるほど。そういうシステムだったのか。ボクと大船渡クンは、しぶしぶ大塩平八郎さんに食事代150円を支払った・・・。

彼の料理は、缶詰が中心だった。熊本の実家から送られてきた、豊富な缶詰物資を駆使して食事を作っては、ボクらにお誘いの声をかけた。

「今日は、おいしいおいしいサバ料理だよ・・。」

ボクと大船渡クンは、定食屋さんで食べるよりずっとずっと安い玉名食堂にその後、お世話になることになった。

そして・・・。

彼はそのお金を、ブタの貯金箱にチャリンチャリンと入れていた。


彼はその後、アルバイトも始めた。

サンチェーン。

国道246号線沿いにあるコンビニ店員さんとして、彼は勤めはじめた。