昔々。
アニメやドラマの最終回には、きわめて重い意味があった。
例えば、大好きだったドリスデイの「ママは太陽」。
アニメでは「ハクション大魔王」。
銀河テレビ小説の「黄色い涙」。
歌番組の「ステージ101」。
山田太一さんが書いた「ふぞろいの林檎たち」。
みんなみんな大好きだった。
この番組だけは、ずっとずっと続けて欲しい。
そう思っていても、最終回は必ずやってきた。
そしてそれはほとんどの場合、涙涙に包まれた。
もちろんストーリーの中でのお別れに泣けた部分は多かったけど。
もう一つは。「ああこれでこの番組を二度と見ることができなくなっちゃうんだ。」という淋しさからくるものもあった。
だから最終回は、より感動的だった。
あ~、ボクはもう、ハクション大魔王とは二度と会えないんだ。
あの、ノンキでジャジャジャジャ~ンのオヤジの顔をテレビで見ることもない。
それがひたすら悲しかった。
最終回の意味はそこにあった。ところが・・・。
今は最終回が来ても、大丈夫。録画しておけばいいのだ。
その前の週の部分もちゃ~んと見られる。
正直うれしい。
でも・・・、うれしいけどそれは、最終回の感動の意味を薄めたのかもしれない。
ボクがVTRを初めて買ったのは25歳の時だった。
そしてやがてDVDが誕生し、ハードディスクが世に出ることとなり、録画機能・記憶装置は格段に発達した。
今は、子供の頃見た番組を、ひょっこりDVDで見ることができる。
ネットでも、その画像を見つけ出すことが容易にできる。
本当に素敵でいい時代になった。
けど・・・、フランダースが死んだあとも。また、生きてるフランダースにすぐ会えちゃうボクらは。
本当に幸せなのだろうか。
もしかするとある意味それは不幸なのかもしれない。
それは、微妙な微妙な話である。