昭和な頃。

小学生の交通安全を見守る、ミドリのおばさんがいた。

彼女たちは、小学校の通学路に立って、子どもたちの歩行の安全確保に努めていた。

今はいない。

いつ頃から彼女たちがいなくなったのか。ボクにはわからない。

ただ、最近小学校の通学路に立つ、安全見守り役は、PTAの当番制になっているから、それでミドリのおばさん制度がなくなってしまったのかもしれない。

いや、本当のところはボクにもよくわからないのだ。

ミドリのおばさん。

ボクの記憶が正しければ、黄色い旗を持っていた。

黄色い旗を持っているとしたらその呼び名。黄色いおばさんでもよかったのに。

なぜ、彼女たちは黄色のおばさんではなかったのか。

そのへんのナゾも、どなたかご存知の方は教えていただきたい。


若林で見た空


「交通戦争」。そんな風に言われる時代だった。

マイカー時代。車が急激に増加し、町に車があふれ出した。

それに伴う、インフラ整備も遅れていたようだ。

歩道のない、幹線道路。

信号のない交差点。今思うと、まだまだ子どもが安全に歩行するのには危険な時代だった。

それなのに。

ボクは、その歩道のない幹線道路で、ローラースケートをして遊んでいた。

半ば命がけの遊びだった。

あれから数十年。

ボクらを取り巻く環境は、驚くほど変化した。

もちろん、ボクらの意識も、同様に・・・。


あれっ?今日はオチがないの?今日は真面目で終わるの?

って思ってる人はごめんなさい。ボクにもそういうときがあるんです。年に一回くらいは。

真面目に語るGINをお許しください。