子どもの頃。

体育の時間は、体育座りだった。

足を曲げて。

両手を組んで膝を抱く。

背筋を曲げないように、まっすぐな姿勢をとると、体育座りが完成した。


若林で見た空


ボクは・・・。

体育座りが苦手だった。

体育座りを続けていると、両手がツルンって抜けた。

ツルンって抜けた後、足がガクンって伸びた。

背筋をピンとし続けるのも辛かった。

最初はピンっとはった背筋は、時が経つにつれ、ズンズン曲がっていった。

胡坐(あぐら)の方がよっぽど楽なのに。そう気がついたのは、中学生の頃だった。

体育座り。

いったい、誰があんな理不尽な座り方を考えたのだろう。

日本国憲法第25条に。

「全て国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と書いてある。

いわゆる生存権だ。

体育座りはこの、生存権を脅かしているんじゃないか。中学生の頃、ボクはそう思った。

「体育座りは、文化的という面で大きな問題を抱えているんじゃないか。」

そう思った。


ところで・・・。フローリング全盛の昨今。

ボクの家の床も一部を除き、全てフローリングだ。

そこで、久しぶりに体育座りをしたら。

やっぱり窮屈で。

息が止まるんじゃないかって思った・・・。

若者たちは、あの体育座りを日々行っているのだから。すごくエライ。それだけで褒めてあげたいと思った。