ちっちゃい頃の写真を見ると、ボクはいつも笑ってる。

いつもニコニコ笑って暮らすその子どもに悩みはなかったのか。

なかったのである。

いくら勉強ができなくても。いくらかけっこが遅くても。

それは人と比べてのこと。自分の中の問題として捉えると、そんなことはたいした問題じゃなかった。だから、ボクはいつでもニコニコしていた。


若林で見た空


ところで「右と左」。

ちっちゃい子にはなかなかわからない。

お箸を持つ手が右。茶碗を持つ手が左。

そう言われて人は、少しずつ右左の概念を取得する。

上下の概念と違って、右左の概念はちょっとややこしいから、子どもには戸惑いが多い。

お箸お茶碗理論によって、子どもたちは少しずつ、右と左がわかっていくのだ。

ところがこの右左概念。

ようやく取得したと思われた矢先、ボクらはもう一つ、新たな問題に直面する。

それは、自分と相対する正面に位置する人の右左は自分が思うそれとは逆になるという問題だ。

今までは自分のことしか考えずに生きてきた子どもたちが、自分以外の人と交流を持つようになると、必ずこの問題に直面する。ボクの右左と友だちの右左が同じでない・・・。

「どっちが本当の右なのか?」

せっかくお箸を持つ手が右だって覚えた子どもは、混乱する。

そう、つまり。

社会という枠組みの中で生きるためには、「相手」を意識し、自分の立ち居地を確認する作業が必要なのである。


で。

ボクもその後、自分の勉強のできなさに気づくようになる。

「あれ?ボクの学習力は、友だちよりちょっと低いぞ」。

そう気づいてきた頃から、ちょっとずつボクの笑顔は減っていく。

アルバムで言うと、小学4・5年生の頃からだ。

その後ボクは、「輝かしい」笑顔を取り戻すために、ちょっとずつ勉強をするようになる。

古銭を集めて歴史を勉強したり、オリジナル子ども図鑑を書き始めて理科を勉強したり。


若林で見た空


そんな遊びから少しずつ、勉強能力を回復していく。

人並みになるまでにはすごく時間がかかったけど、それもまたいい思い出だ。


ところで、「鏡はなぜ左右反対なのに、上下反対に写らないのか。」

小学5年生の時にボクが書いた夏休み自由研究テーマだ。またいつか、そのことについて書くね。

あっ。ビスケットさんごめんなさい。Nか村君のことも、きっと書きます。