大学1年生の時。ミスターサマータイムを聴いた。
サーカスが歌うその、物悲しいメロディに吸い込まれた。
ボクは、物悲しいものについつい吸い込まれてしまう性格だったから、すぐにそのもの悲しいレコードを買って、部屋で何度も聴くこととなった。
当時、新宿のディスコでは、日本の音楽をよく流した。
勝手にシンドバッド。たそがれマイラブ。愛で殺したい。東京ララバイなどが。
ハローミスターモンキーや、宇宙のファンタジーの合間にちょこちょこ流れた。
ミスターサマータイムも時折流れたけど、これが踊りづらかった。
ビリージョエルのストレンジャー以上に、踊りづらかった。
頑張って、リズムに乗ろうとするのだけど、なんだかモゾモゾしているうちに曲はクライマックスを迎え、踊っているという現実感を味わえないままエンディングに辿り着き、挙句の果てにそれはやがてフェードアウトした。
気が付くと頭の上に、ミラーボールが回ってた。
喧騒と、電飾と、アルコールが交じり合った世界で。
もの悲しくも、踊りにくく、モゾモゾした経験とともに、ミスターサマータイムの記憶はボクの中に残っている。
サザンが現れ。
世良公則が踊り。
かもめが飛んだあの頃。
藤圭子の夢は夜開く以来、どこかに暗さを保ち続けていた昭和歌謡が一気に変貌する。
振り返ると、それもまた文化だったのかもしれない。
ボクの中の過渡期は、先ずそこにある。
音楽を聴くことの本当の意味での楽しさを知った。
時代だとか。生き方だとか。そんなことも含めて、全身で音楽を受け入れるという意味がわかったのも、その頃だった・・・。