「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」Bunkamuraル・シネマ | サーシャのひとり言

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11月19日に鑑賞しました。

ロダン没後100周年記念作品
「ロダン  カミーユと永遠のアトリエ」
監督  ジャック・ドワイヨン
キャスト
オーギュスト・ロダン  ヴァンサン・ランドン
カミーユ・クローデル  イジア・イジュラン
Bunka muraル・シネマ


以下、ネタバレがあります。びっくり

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感動された方にはごめんなさいですが、正直微妙な作品に思えました。
ロダン没後100周年記念作品ですから当然ですが、全てロダン目線。


カミーユも残されたポートレートを見ると若い頃は夢見る様な大きな目の美しい女性ですが、カミーユ役のがっちり体型の女優さんは絶えず偉そうに腕組みをして、大して手も汚さず師匠ロダンの作品にダメ出しばかり。
ロダンとの関係の倫理的な良し悪しは別として、カミーユ本人は後年性格が破綻するまで孤独の中ででも彫刻家として必死に生きていたはずなのに、映画のカミーユはひたすら恋に溺れているだけとしか見えません。
まあ、ロダンにとってカミーユは同等の芸術家というより女性の一人だった、と解釈すればこの映画の描写は理解できますが。


そしてロダン・・。
映画の宣伝では「まるで実際のアトリエにいる様な臨場感」とありましたが、実際はバルザック像でちょっと悩んでいる以外のロダンはひたすら女性に囲まれている場面ばかりで、少しも記念作品ぽくありません・・。ガーン
どちらかと言うとロダンのモテ自慢?作品ですね。

一人息子に「お客さんが来たら、お父さんではなくロダン先生と呼びなさい。」とか、隠し子はいないか内妻に問い詰められ「いたらお前とは別れている」とかかなーり酷い人に描かれています。

別離後のカミーユは出て来ず、クローデル家の家族についても全く触れていません。

監督が何を言いたくてこの作品を作ったのか、拙い私の想像力ではちょっと???でした。

ラスト、日本の彫刻の森美術館が出てきて懐かしかったです。





先日、セザンヌとゾラの映画を観た後は、生きづらそうなセザンヌにうるっとして「もっとセザンヌの作品を見てみたい!」と思ったものですが、今回は「もっとロダンの作品に触れてみたい!」とは1ミリも思わない私でした・・。ガーン
いえいえ、芸術家としては素晴らしい方なのでしょうけど私には作品に触れる契機にはならない映画です、と言う意味です。ニコ

🌷🌷🌷


そうそう、こちらのロダンの映画に超内気そうなセザンヌが出てきました。
ロダンに「私が君の年の頃はまだ認めれらていなかったよ。」と励まされ感極まってロダンの前に跪いて手にキスをするセザンヌ。
この前見た映画とは随分キャラが違いました〜。爆笑