「カミーユ・クローデル 極限の愛を生きて」湯原かの子 作 | サーシャのひとり言

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ずっと積ん読に入っていた「カミーユ・クローデル」ですが、ロダンの映画を観に行く前に慌てて読みました。

「カミーユ・クローデルー極限の愛に生きて」
湯原かの子 作
朝日文庫

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ロダンの弟子で恋人でもあったカミーユ・クローデル(1864-1943)。
美貌と才能に恵まれながらも、人生の後半30年間にも及び神経科病棟で過ごした彼女のドラマティックな人生はこれまでも何度か映画化されているそうです。

この本は、カミーユの人生を大きく2つの側面から捉えています。つまり
①クローデル家におけるカミーユ

それなりに知的なブルジョワ家庭に生まれるも、幼い頃から母親との折り合いが悪くこれは後年ずっと尾を引きます。(母親は娘の若い頃の奔放な行動をついに一生許せなかったようです・・)

弟ポールは早くから文学を目指し、家庭の中で同じ芸術に携わる同士、美しく非凡な才能を持つ姉に憧れ近親相姦的な愛情を抱きますが、他方姉の暴力的かつ嘲笑的な性格を恐れてもいました。

しかし、カミーユが精神に異常を来してからは、その目も当てられない変貌にポールは一種の同族嫌悪的感情を抱くようになります。
最後まで娘カミーユを心配していた父が亡くなるとその機を待っていたかのように、ポールは母親や妹と共にカミーユを神経科病院に入院させる手続きを取り、以後30年間、どれほどカミーユが希望しても退院どころか外泊も許可を出すことはありませんでした。

作家であり外交官でもあったエリートコースを歩むポールにとって、何を言いだすか分からないカミーユを外に出すわけにはいかなかったのでしょう。

晩年のカミーユはもう決して見ることの出来ない故郷の風景と彼女を一顧だにしない家族の存在だけを心の拠り所にしていましたが、家族にすら看取られず病棟で亡くなり共同墓地に埋蔵されました。

その後、カミーユの回顧展が開催されたりもして、ポールの息子達が叔母の墓所を立て直したいと市役所に照会するも、既に墓は没収され跡形も留めていなかったとのことです。


カミーユ・クローデルのポートレート
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②師であるロダンとの愛憎
カミーユ17歳の時、パリに出て自分の才能を試したいと家族を強引に説き伏せ、父親のみを任地に残して一家はパリに移住します。

そこで入学した美術学校の友人達と借りたアトリエを指導者として訪れたのが42歳のオーギュスト・ロダン。

20年も連れ添ってきた糟糠の妻ローズ(しかし束縛されたく無くて入籍はせず家政婦さん状態)が居るにも拘らず、ロダンは他の画学生達の顰蹙を買うほど19歳の美貌のカミーユを依怙贔屓し、やがて二人は恋に落ちます。
創造力を触発し、弟子として、また同じ彫刻家として対等に渡り合える芸術上の伴侶としてカミーユはロダンにとっても特別な存在となります。
しかし、長年連れ添ったローズとの穏やかな生活も捨てられないロダンとは、結局15年も交際しても結婚には至らず、子供も諦めたカミーユはやがて彫刻家としての自分の仕事がうまくいかないのは全てロダンが邪魔をしたりアイデアを盗んでいるからだと言う妄想を抱くようになってしまいます。

ロダンとの破局に端を発して、生活の困窮、殻に閉じこもって誰とも会おうとせず、やがて被害妄想から自分の作品の破壊へと壊れて行くカミーユ。
そして、父親の死を待っていたかのように、ロダン以外では唯一心を許して頼っていた弟らに神経科病棟に入れられて・。

一方のロダンはカミーユに去られてショックを受けたものの、世俗的な大成功を収めた為取り巻きの女性には事欠かず・・その後も内妻ローズを裏切り続けます。
しかし度重なる脳梗塞で一気に体調を崩した最晩年、新郎ロダン76歳、新婦ローズ72歳で漸く二人は正式に結婚。
50年も献身的にロダンの世話をし、長い間裏切られて苦しんだローズですが、ついに正式な妻の座を手に、そして僅か2週間後にロダンに幸せだったと感謝しながら彼女は息を引き取りました。

そのロダンもローズの後を追うように一年も経たずに1917年に亡くなります。




カミーユ・クローデル「分別盛り」
取りすがる「若さ」(カミーユ)を置き去りにして否応無く「老い」(内妻ローズ)に引きずられて行く「壮年期」(ロダン)
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正直、この本で読む限り、ロダンは対女性の面では人間的には屑ですね。
貧しく若い頃、苦労を共にした糟糠の妻と子供には、自分が成功してからは目もくれず、ひたすら他の女性に目移りするも、帰って静かに疲れを癒す場所としての家庭はキープ。

一方のカミーユは若さも美しさも芸術的な能力も自分の方がずっと上、とローズを蔑んでいたものの、やがて結婚にも至らず仕事も上手くいかないまま、自分の一番美しい年代を15年もロダンに捧げてしまうことに。

🌷🌷🌷

なんだか今でもありそうな話ですので、ロダンとカミーユについてはおやおや、としか言いようがないのですが、カミーユとクローデル家の話の方が考えさせられました。

娘の若い頃の反撥と傲慢な態度を、その娘が心を病んで入院してからもずっと忘れられない母親。
母親とカミーユの妹は30年間一度も姉を見舞わなかったそうです。
そして憧れていた姉の変貌を許せず、正視しようとしない弟ポール。


本の中ではカミーユはパラノイア的な病状と書いてありましたが、彼女の妄想は全てロダンに関わる被害妄想だったとのことですから、少なくてもロダン亡き後は入院を継続させる必要があったのでしょうか?
長い間、故郷に帰りたいと手紙で訴えていたカミーユ。
その意味で、彼女は家族のエゴの犠牲者だったとも言えると思います。





映画「ロダン  カミーユと永遠のアトリエ」。
きっと恋愛映画なのでしょうけれど、クローデル家の話にも触れているか楽しみです。