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生涯学習=ペット共生住宅  「世話好き」「人が喜ぶ顔が好き」「利他の心得」=生涯コンサルタント

現在、ペットと暮らせる集合住宅には、主に3つのタイプがあります。

ペット可マンション、ペット仕様マンション、そして当社がご提供するアニマルマンション(以下アニマンといいます。)の3つです。

それぞれの特徴は以下のとおりです。

 

<ペット可マンション> ※ローリスクローリターン

単に「ペットを飼ってもよい」と認められているというだけのタイプです。このタイプで多いのは、空き室を解消するために「ペット可」を打ち出しているケースです。貸主側は必ずしも積極的にペット飼育を受け入れていない場合があります。「ペット共生」にみられるようなペット用の設備は少なく、ペット好きな方も嫌いな方も混在しているので、適切な飼育規約、飼育者の高い意識や相互理解がないと、トラブルが発生しやすくなります。(出典:日本愛玩動物協会)

 

<ペット仕様マンション> ※ハイリスクローリターン

ペットを飼うことを目的として設計されているタイプで、飼育者だけでなく、飼っていない人も気持ちよく居住できることを目的としています。専有部分には傷つきにくい床材や掃除しやすい壁紙などが使われ、共有部分には足洗い場やリードフックなどペット用設備が設置されていることが多いようです。すべての居住者がペットに理解のあることが前提ですから安心感があり、また、簡易的な飼育規約があるのが一般的なので、ペットトラブルは発生しにくいといえるでしょう。(出典:日本愛玩動物協会)ただし、管理会社もペット共生のノウハウを持っておらず、また量販されているペット用設備を代用品にしているため、退去時の原状回復で管理会社や貸主側とトラブルが発生する可能性があるといわれております。

 

<アニマン(animan)> ※ローリスクハイリターン

アニマンは、ペットと単に住める(モノ)から、ペットを飼っていると少しだけ煩わしい「お散歩ケア(足洗)」や「大切なパートナーを自分でケア(シャンプー)したい」(コト)などをサポートする、ペットケアサポート付きマンションです。また、アニマンの最大の特徴は、ペット共生型にある設備面だけではなく、トラブルの未然予防を入居者様×管理会社様×オーナー様×近隣の住民様に配慮した「HARD(オリジナル設備)」「SOFT(規約・ルール)」「SERVICE(ペット飼育申請サポート)」「ペットとつながるIoT」がシナジーとなるよう仕組化されたマンションなのです。その結果「高値安定経営」が生まれるものと私たちは考えております。

 

生涯学習=ペット共生住宅 

「世話好き」「人が喜ぶ顔が好き」「利他の心得」=生涯コンサルタント

 

50歳となり、2015年は天命となる出来事が多かった。

①     2015年一般社団法人犬と住まいる協会 初代理事長(現在は名誉会長)となる。

※140社の加入はペット業界では成功した部類の一般社団法人である。

②     株式会社西武ペットケア(旧アドホック)がペットケアマンションネットワーク事業を廃業

③     週刊賃貸住宅新聞社やペットケアマンションOEM設備メーカー、既存加盟店より野中社長が復活してくれないか・・・などの理由によりアニマン事業をペイクにて再スタート

 

https://animan.jp

 

 

ペットマーケットでのヒット商品プロデューサー?!

https://peiku.jp

 

エピローグ

私の最近までの“素性”を一纏めにするとこんなかんじかな?

 

 

このブログはこれにて終了とします。

なぜならば、その後は「peiku.jp」「animan.jp」に掲載しているからです。

是非ご覧くださいね!

 

最後に・・・

僕の好きな孔子の論語から

「吾、15にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳順(耳にしたがう)、70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」

 

まさしくその通りの人生ですし、その人生を今後も歩みたいと思っております。

現在59歳、まだまだ70迄時間はたっぷりあります。(笑)

生涯学習=ペット共生住宅の調査研究追及探求

「世話好き」「人が喜ぶ顔が好き」=生涯コンサルタントを需要がある限り走り続けたいと思っております。

次回更新は還暦になった時に更新するとしよう!(笑)

ブルーオーシャンビジネスのススメ

2023年弊社には、二つの嬉しい"結果”が生まれました。

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詳しくは↓

 


とてもありがたいことです。
利他の心得をモットーに一心不乱に挑み続けた結果、たくさんの顧問コンサル企業よりヒット商品が生まれました。
一つ一つの企業に物語があります。
物語はモノをカタルと書きます。
生み出したそのモノ自身に深い物語がなければなりません。
やがてその物語をユーザーが唱えて、はじめて「ブランド」になるのです。

ブルーオーシャンビジネスのススメ「戦わずして勝つ方法」

詳しくは↓

 

 

2024年の2月で60歳を迎えます。

還暦です。

若い時は還暦など遠い先のことと考えておりましたが、月日が過ぎるのは早いものです。

何を生きた証として残せるか・・・。

充分残せたではないですか?とおっしゃる方もおりますが、自分としてはまだまだなのです。

 

50で天命を知る(一般社団法人設立秘話)

50歳となり、2015年は天命となる出来事が多かった。

①     2015年一般社団法人犬と住まいる協会 初代理事長(現在は名誉会長)となる。

※140社の加入はペット業界では成功した部類の一般社団法人である。

一般社団法人 犬と住まいる協会 (inusuma.org)

 

設立発表会の式典で日経新聞の記者がこう質問を投げかけた。

記者「なぜ野中理事長はこの協会を設立されたのですか?」

野中「大きく二つあります、一つはペット共生住宅に関して並々ならぬ情熱と想いをもっていること、もう一つは私が50歳になり孔子の論語を交えて”50で天命を知ったから”」と答えたのである。

 

(情熱と想い)×継続力×正しい考え方=成功の法則

 

社団協会の立上げはベンチャー企業一社の立上げと同じくらい体力知能を潅ぎます。

設立趣意書、名称、コーポレイトアイデンティティ、資格ビジネスのテキスト&ビデオ録画、WEBマーケティング、将来的な支部会の構想、リフォームカタログ実例集、収益構造の柱である会費と資格ビジネス収入、協会認定事業など経営計画書策定を推し進めた。

多岐にわたり自分の持っているのもの全てを潅ぎ込んだと言っても過言ではありませんでした。

一番気を使ったのが己の人脈を活用し、支援してくださったイオンペットの小川会長、あいおいニッセイ同和損保様などリフォーム業界とペット業界の垣根をなくし、WINWINの関係づくりと大手スポンサー誘致活動だった。

また、イベントセミナーでは自分はもとよりペットタレントでおなじみの”松本秀樹さん”など起用した企画などなど。

会員になってくださる企業様へ”役立つ情報””ペットリフォーム集客ノウハウ”など活気に満ちた会にしたかったのである。

お陰様で髪の毛が薄くなった。(笑)

 

↓資格事業の理念でもある憲章

 

2015年春に理事長職を退任し、名誉会長という名ばかりでありますが授けていただきました。

まずは外側からでも何か支援ができたらと考えております。

まずは、AGA(薄毛)治療に行こう!(笑)

 

②株式会社西武ペットケア(旧アドホック)がペットケアマンションネットワーク事業を廃業

③週刊賃貸住宅新聞社やペットケアマンションOEM設備メーカー、既存加盟店より野中社長が復活してくれないか・・・などの理由によりアニマン事業をペイクにて再スタート

 

ある雑誌の深いい~記事

最近新聞等のメディアを忙しさにかまけて“まとめ読み”する癖がついて困ったものである。
朝必ず読むものは日経新聞であるが
それ以外の新聞は、まとめ読み・・・(苦笑)

雑誌関連も同じである。

その中で気になった、共感した記事をお知らせすることにします。

「選択の視点」
フジマキ・ジャパン副社長 藤巻 幸夫さん
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『冒頭』
景気後退が叫ばれる時代にあっても、売れ行きを伸ばしているブランドは存在する。そこで、カリスマバイヤーとして名をはせ、現在もマーケティングを中心に多方面で活躍する藤巻幸夫さんに、時代の消費トレンドからモノ選びにおける自身の視点までインタビューした。
『専門特化の時代へ』
『時代に支持される「微変」』
『「モノは心」という意識』
『行動力が養う「選択の視点」』

自分がいかに楽しく生活できるか、

それが、モノを選ぶときの私の基準

特に共感した言葉でした・・・。

 

マスの時代が終わり、日本人の多くは

「子育て」「ペット」「バイク」「自転車」「サーフィン」「釣り」「ガーデニング」「週末農家」「音楽」「バンド」「映画観賞:シアタールーム」「読書」「絵画」「デザイン」「自転車」「料理」・・・。

生きがい=一生の趣味をこのバブル崩壊後の経済成長のない日本で“身に付けた”のだろう・・・。

住宅を提供する者は“ライフプランナー””趣味の達人”にならなければならないと僕は思った。

 

私のコンサルティングの強みは「ブルーオーシャンビジネスを創出すること」「利他の心得」である。

ブルーオーシャンビジネスは戦わずして勝つ方法である。

利他の心得は、相手の利益が優先である。

お客様と繋がっている【強みを生かす】

ペクマガを通して

①お客様と繋がっています。(マーケティングの基)

②新たなビジネスを模索している企業とも繋がっています。(コンサルティングの基)

③25歳からペットビジネスを自ら投資し見てきている強みがあります。

これらを最大限に生かしていただければとペット業界新規参入組の企業には言いたいのです。

 

毎日毎日ペットの事を考えられる強みと幸せ・・・。

これが継続しているのです・・・22年も。(59歳になった私:継続35年)

その結果・・・。

ハリオグラス社 ペット用フードボール“ワンプレ”アニマル工学デザイン


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アーバンコーポ、モリモト、ダイナシティ、穴吹工務店、日本綜合地所の倒産・・・。
もともと集合住宅は、高度成長時代の“国家的住宅量産ビジネスモデル”だったのでは?
マスの時代は終わったのではないかとつくづく思う今日この頃です。
住宅の量産モデル⇒住宅設備の近代化⇒新建材の創出⇒デザイン重視⇒共用施設の充実⇒???
大量生産大量消費も住宅分野では終焉を告げた“今”まだ不動産業界は、同じ住宅づくりをしています。

マーケティング会社に高いフィを支払いながら・・・社内のマーケティング力に頼りながら・・・。


日本の総世帯数5800万世帯中ペット飼育世帯が平均28%。
4人に1人(25%)が高齢者の時代です。
それよりも多いペット世帯率です。
こちらに目を向けたらどうでしょうか?
今まで、何人の破たん先不動産企業の社員さんとコンセプトマンション(特にペット)についてMTGをしてきました・・・。
必ず多い言葉を最後に列挙させていただきます。

第1位 弊社の役員が“ペット”に対して理解をしてくれない。
第2位 良い勉強になりました。
第3位 弊社はまだ、御社が言う“マス”を狙っています。
第4位 社内の調査では、まだペットは少数意見だ。
第5位 前例がないので、社内を通せられない。

原因と結果・・・。
悪い原因があるから、悪い結果なのだ。
良い原因作りがあるから、良い結果が出るのだ。

他社との優位性はなにか・・・。

私どもニッチコンセプトマニアは、そのことについて24時間365日“深堀一心不乱”です。

深く掘れ!それは新なり!

私が毎日言い続けている言葉です。

 

プロダクツマーケティングとは?

 

2009年コンセプトマンション研究会発足

週刊住宅新聞社のセミナーホールで開催された、ペット共住×花粉対策マンションセミナーに私こと㈱ペイク野中と㈱ミキハウス子育て総研藤田社長とで講演。
それと同時にコンセプトマンション研究会の発足の烽火をあげた。

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各コンセプトリーダーは、コンセプトユーザーたれ!
私は、人一倍“ペット共住”に人生をかけてきたと自負している。

遡れば、26歳からである。
バブル崩壊前に、私の大切なお客様でもある“地主・オーナーさん”のことを、親しみをこめて“お父さん”“お母さん”と呼んでいました。
そのお父さんが私を信用して建ててくれた“賃貸マンション”が、バブル崩壊とともに賃料の下落、空室と予想外も甚だしく音をたてて崩れていくではないか!
これじゃいかん!なんとかせにゃならん!
そんなとき、私の妻がペットを飼いたいと言い出したのである。
それが、シーズー♂翔太である。
その情熱と想いが“ペット共生型マンション”のビジネスモデルを生み、その結果アドホック株式会社を29歳で、四畳半一間から立ち上げたのだ。
≪野中著書:週刊住宅新聞社ペットと暮らす集合住宅を読んでください≫


あれから15年、今も不動産不況である。
私の愛犬翔太も来月の3/9で17歳・・・まだまだ元気である!

その情熱と想いは今も廃らないで続いています。

なぜ、オーナー様やビルダー様を“救いたいのか”が45歳の元日にわかった。
私の母型の祖父が、渋谷区幡ヶ谷でMEGUMI(棟梁)の人であったのだ。
火鉢を囲い、キセルを吸って、いなせな格好をして、背中に入れ墨まで背負っていたとか・・・。
私の守護霊がそうさせているのではないかと心からそう思う。
だから不況になると、オーナー様やビルダー様を無性に助けたくなるのだ。

不況をチャンスに変える「コンセプトマンション研究会」
不況で苦しむビルダーオーナーを救いたい!

覚えておいてくだされ!

ペット共生マンションコンサルNO,1を目指すのです!

 

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この歳(45歳)で・・・まだベンチャーしています!ベンチャー企業家 第二弾 


peikumagazineのブログ-animal pep

peikumagazineのブログ-PeikuMagazaine
リーマンショックはなんとなく読めていた・・・。

だから、ペット雑誌社(メディア)を取りに行ったのだ。

なぜって、、、雑誌会社が一般に認められるのに「10年」はかかるのです。

それが不況というチャンスで、3~5年で作れる!!と思ったからです。

なぜ3年で??

周りが淘汰してくれるからです。

手っ取り早く言うと、生き残れれば生存者利益がでるかもしれないからです。

 

案の定未曾有のリーマンショックで、¥700前後の愛犬雑誌やフリーペーパーが淘汰されてきた。

結果、そのの通りになった。

ANIMAL PEPという首都圏850店舗へ配本していた老舗のフリーペーパーを縁あって事業を引き継ぐことになった。私の打算は、手持ちの資金を全部使って、¥100マガジンに変えることであった。

¥100 PeikuMagazine(略称ペクマガ)の誕生である。

だが、このペクマガが私のボディーをどんどんえぐるのである・・・。

広告に頼らないで継続できるビジネスモデルにしているのだが・・・。

約2年間とても苦しく、忍耐、我慢、陰に潜み、穴倉に入り、ひたすら耐え続けていた。

なぜって、ペットメディアNO,1になるための方策としてモバイルコンテンツ大手のサイバードと【モバイルキャリア公式化&スマートフォン戦略】を2009年の秋から構築していたからである。

自ら投資するか、コンテンツを持つ企業としてアライアンスが組めないか・・・。

暗闇から一点の光がやっと見えてきた・・・。

それが2010年暮れの事である。

 

ベンチャー企業家への第一歩

「独立開業」 ベンチャー企業家への第一歩。
①マイホームを売って、ペット可の賃貸マンションを探す。55件目にしてようやく見つかる。改めて己のビジネスモデルが社会貢献性のあるビジネスであると認識した。

※インターネットが一般的に普及した時期。

※犬と一緒に部屋で過ごすなど慰安では考えられない時代

※その当時はベンチャーと言う言葉すらない時代である。


②1994年10月、3LDK4畳半の一室から㈲アドホックを立ち上げる。資本金300万円。


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③自ら土地を購入してペットケアマンションを建設できるわけがないので得意分野である不動産コンサルティングを生かし、知り合いの地主さん三人に3棟建設してもらう。


④1995年3月に、その3棟の賃貸管理のためにJR武蔵野線南越谷駅徒歩3分の店舗(12坪)を借りる。ペット可賃貸専門店アドホックのOPENである。「二人歩記」


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⑤しかし宅建業の許可が新設のため遅れる。完成引渡し日6月下旬、宅建業許可日5月初旬。私は初めて胃炎を患う。宅建業が許可されなければチラシを配ることも広告を打つことも募集及び契約行為することもできないのである。完成=200%満室をオーナーに還元したい為でもある。(ノウハウ:契約行為ができないのであればその間、口をあけて待っていても仕方がないと思い、愛犬雑誌に取材の申し込みを営業する。これが無料の宣伝になり最高70倍の問い合わせをつくる。その後アドホックの営業ツールともなり現在のペットメディアPeikuの原点となる。)
⑥その3棟のコンサルティング収入を全て特許等に投資する。(明日の食う米も考えず、人に真似されたくない一心で申請し始める。)エピソードA:私の妻(反町さん)が独立後営業して利益を生めない為、近くの特許事務所のバイトをする。その内容は特許公告をワードに打ち込みフロッピーに保存する仕事である。一文字いくらの地道な稼ぎだが、その手伝いをしているうちに実用新案・特許申請って簡単なものだと気づく。エピソードB:西脇国際特許事務所(現クレオ特許事務所)の西脇所長よりマンションのトレードマーク(商標)はこれからは大切である、今日は何が何でも足のマークを出願していってほしい・・・と嘆願される!?当時足のマークが他社で出願してないか本来調査費用がかかるものだが西脇所長は、その場で部下に指示をだし無料で調査してくださった。

 

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⑦テレビ局や雑誌社に情報提供して、脚光を浴びる。(メディアの連鎖の始まり)

※毎日のようにメディアへお手紙を投稿した。


⑧全国のゼネコンや不動産業者から問い合わせがあり、特許の使用許諾ビジネスである「ノウハウライセンス事業」を立ち上げる。


⑨事業拡大のためすぐ近くに本社移転。(12坪→35坪→45坪)


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※読売新聞:1997/10/17 「平成の士たち:ペット同居型マンション」


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⑩しかしあまり収益の柱にならず、その間不動産コンサルで地道にペット同居型賃貸マンション建設受注をとりキャッシュフローの経営を維持する。


⑪2000年本格的にノウハウライセンス事業を開始し、全国の各地にセミナーをしかけ縦断する。※全国縦断セミナー開始
※2000年賃貸住宅フェアブース初出店!!


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⑫念願のペットケアショップPETSPA越谷店を2001年5月にOPENさせる。
エピソード:愛犬翔太を素人の腕で自らケアしはじめる。それは満足するペットケアショップがないからである。ペットショップやペットサロンはたくさんあるがクオリティがなくそこには知性も知識もないからである。
petspas越谷店はその当時資金もあまりなく手作り感満載の第1号店舗である。


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⑬PETSPAとペット同居型マンションのシナジーが生まれ、高付加価値、高入居率が実現する。そのころにペットケアマンションの商標を出願する。
※日経ベンチャー8月号:2000/8/1


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⑭PETSPA越谷店に続き春日部店・浦和店を開設。
⑮本社移転、自社ビルを購入。


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⑯2002年(第8期)株式上場(IPO)構想を立ち上げ、社長自身が営業して稼いでいたのを一旦やめ社員数(本社管理部含む総勢25名)を増やす。


⑰彩の国ベンチャーファンドに申し込み、見事合格。埼玉県創造的育成企業団とりそなキャピタルより投資決定!!


⑱世田谷区駒沢に日本初トリミングサロン×ドッグカフェ「Cafe de petspa」出店!!


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※野中英樹初出版英樹著「ペットと暮ら集合住宅」


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ペットスパ都内で展開 ペット同居型マンションと併設も 

日本経済新聞:2001/12/4


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⑲PETSPAの単月赤字と大手ハウスメーカーとのノウハウライセンス提携の時間差に苦しみそれが要因で第8期は一億二千万円の赤字に転落。
⑳私のペットケアビジネスは壮大なロマンだと揶揄される。目先の困り事でもあるPETSPAの単店舗黒字化に社長自ら乗り出す。
※テレビ東京ワールドビジネスサテライト 取材風景


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※ワールド ビジネス サテライト:2002/7/19
21、IPOの条件の一つに資本政策があり、他資本を受け入れなければならない。VCは銀行出身者で「社宅住まい」の人が多く、ペットのことを知らない種族の為「データ」のない事業には「NO」を言い渡され、出資者に苦しんでいた矢先でもあった。しかしアドホックのブランドは着々と右肩上がりであった。その証拠にテレビ東京のガイアの夜明けに出演依頼がくる。3ヶ月にも及ぶ密着取材を受けた。
※テレビ東京12ch 「ガイアの夜明け」出演 


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2003年1月5日(日)午後22:00~ 放送
仮称:ペットビジネス最前線
この時代にペットビジネスで駆け抜ける


㉒全国にペットケアマンション100棟達成!! 
大手デベロッパーとのライセンス提携が軌道に乗り始める
(三井不動産:AOYAMA Park towarなど)
   ノウハウライセンス事業が全国展開!!


㉓IPOはタイミング(日本の政治経済)と増資(資本政策)が両立しなければならない。IPOから一部上場企業へMBOを決断。

2004年6月9日アドホック㈱はグッドウィルグループの傘下となる。
※VCがペット関連事業体に出資しなかったのがグループ傘下の決断となる。


㉔同年6月14日(月)午後13時、折口会長と共に日本経済新聞社記者等にプレスリリース。
※同年6月16日(水)の日経新聞朝刊に発表される。


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※折口雅弘:バブル当時注目を浴びた六本木のディスコ「ベルファーレ」「ジュリアナ東京」の創設者。グッドウィルをジャスダックに株式公開させ、後にコムスンを買収。同期生として、ソフトバンクの孫正義社長、光通信の重田社長と交友


㉕2005年6月30日、潜在株を売却後アドホック㈱代表取締役を辞任


㉖2006年11月 株式会社ペイクを設立 自らも社会貢献・知多の心得を実践するビジネスプランが出来上がった為、ベタベタのベンチャーを創業する。
  ペットビジネスコンサルNO,1を目指す!

  ペット共生マンションコンサルNO,1を目指す!

大きい会社には就職せず・・・

僕が転職する前に、妻が転職を・・・。

彼女は都内の商社に勤めており、通勤時間は約1時間半。

結婚を機に近くの会社で勤めたいから、探してほしい・・・と。

僕は新聞の求人欄や求人チラシを片っ端からリサーチし、

地元に根付いた不動産開発業者に妻を勤めさせた。

理由は簡単である。

給与が良く、即正社員でボーナス年2回3カ月保証、社会保険完備だったからである。

 

入社して3カ月ぐらい経過し、妻から思いがけない言葉が・・・。

「あなた、私の会社に入社する気がない?」

「専務がしつこいのよ・・・旦那と会わせろと・・・」

しかたがなくその専務と会い、会社の規模が小さいが会社の夢を聞き、それとなく気になり始めた頃に、高橋社長と会い、入社を即決したのである。

それは・・・賞与がインセンティブ(売上の約10%)なのと、支度金ありと聞いたからである。

その時の僕は「現金」なのである(笑)

 

大きい会社へ入らないで良かったと思った。

わずか15人位の会社であるがマンツーマンで土地の仕入れから土地の有効活用アパートマンションの建設営業と仲介管理まで学べるからである。

大きい会社だとそのセクションしかプロにしかなれないと思ったからである。

つまり・・・カタワは嫌だったのである。

土地有効活用のプロになりたい・・・と思っていたのだ。

 

幸い、入社した会社は、ある大きな建売会社の「土地仕入部」が独立したような会社。

地主さん営業ができて、土地を直接仕入れるノウハウと地主さんの資産を運用するビジネス・・・つまり土地の有効活用を提案し、建設の受注につなげることが出来た。

そして、その営業収入がボーナスへ反映される・・・。

僕にとってこんなに楽しいことはなかった。

 

「中堅ゼネコンに入社」 やばそうな感じの会社・・・第一印象。
① 妻が都内の商社へ通勤していたので、自宅近くのスーパーでレジでもはじめたいとの要望をすばやく却下・・・。これからの時代は不動産の時代だからそちらの条件が良くなると判断、妻は受付譲となる。それが越谷市の中堅ゼネコン㈱武蔵野建設であった。
② こんな我侭女の亭主の顔が見てみたいとNO,2が私に面接のアピール。私はその当時飛ぶ鳥を落とす勢いの初穂インターナショナル(不動産開発)に面接を受けようと考えていたところ迂闊にも武蔵野建設の社長と食事をしてしまう。
③ 支度金100万円に目がくらみ入社する。当時㈱武蔵野建設は15人ほどの会社である。
④ 最初の営業活動は「地上げ」
※分譲戸建住宅用の土地(田・畑一反)を農家より仕入れる営業。
⑤ 国土法、銀行の総量規制により地上げで利益が取れなくなるのを見て上司に提案・・・。これからの時代は土地の有効活用による賃貸マンション建設の受注が会社の柱になります・・・とその上司に話し、二人で建築営業部を立ち上げる。
⑥ 初のインセンティブ賞与〇〇〇万円。最高年収3000万円突破。


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⑦ 田舎者が念願のマイホームを取得。(もちろん自ら地上げした土地を土地所有者から直接購入し、いつも下請けに出している工務店に3分の1の価格で建物を依頼)当時バブルの売買相場価格4500万円の物を2500万円で取得。


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⑧その頃、愛犬翔太(シーズー)を飼いはじめた。


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バブル崩壊に近づき、このままでは10年後、賃料の下落と空室率で顧客が大変な目に逢うと・・・。本気で考え始める。
辿り着いたビジネスプランが「ペットと住める集合住宅」であった。


その当時の不動産屋の三大タブーは、水商売の方お断り・外国人お断り・ペットお断りであった。

⑩運良く!?、勤めていたゼネコンが急速に倒産への道のりを下っていく・・・。入社当時15人の会社が200人!!
⑪すぐに独立を考えず、自分に足りない物は何かを冷静沈着に考え一つの答えをだす・・・。投資に関する知識と知性だ・・・。
⑫その当時武蔵野建設の賃貸管理事業部をM&Aした事業家のところに門を叩く。当時ある意味では有名人のところに1年間と割り切って投資に関する勉強をさせていただく。
⑬朝8時半に出社、社用車5台を毎日洗車。日中は建築営業を行い、午後の6時から社長の株式講義を6時間聞き、その後銀座・赤坂へ運転手として買って出て同行する。それは海外の市場がはじまるからであり、特にその社長はニューヨーク市場が気になっていたからである。※そばにいて「なぜそこで売りなのか?買いなのか?空売りってなんだろう?」を覚える。またレクチャーを受ける。
⑭その社長は個人所得税法違反の容疑で国税庁と真っ向勝負・・・逮捕される。フライデーにも掲載される様な事件にもなる。
⑮その当時建築営業において武蔵野建設時代からの地主さんとペット同居型賃貸マンションの企画を練っている最中でもあったことが独立への準備にもなる。

 

1990年 なぜか不動産業に転職? 

私は高校を出て鹿児島から東京へ就職しました。

1987年卒業 インテリア科という非常に珍しい科の高校を出たおかげで家具の卸では日本一のダイクラという会社へ就職しました。

全国の家具メーカー⇔ダイクラ⇔百貨店・家具販売店

入社4年目にようやく念願の営業職に・・・それも百貨店担当になることが出来ました。

渋谷東急本店、渋谷西武、東急たまプラーザ店、船橋西武・東武、東急吉祥寺店。

その当時、渋谷西武は芸能人御用達で、たくさんのVIPが家具インテリアを購入していました。

 

あるとき渋谷西武のバイヤーから大切なお客様がいて、購入した家具のクレームが入ったから訪宅してほしいとの依頼でした。私はすぐに田園都市線のたまプラーザへ行ったのです。

その頃のたまプラーザは、街がどんどん開発され当時5000万円台(現在では一億近い価格)の住宅がどんどん飛ぶように売れていた時代です。

そのお客様のお宅も土地面積60から70坪ほどで新築2階建てでリビングが30畳もある、どこかクラシカルな造りで気品があったように思いました。

そこの家具を調整し一段落すると、そこの主人が帰宅されお茶を一杯いただきながら世間話に付き合わされたのです。

その時が僕の人生で一番初めのターニングポイントでした。

 

「なぜか不動産業?」の起因になった「出来事」でもありました。

景気が良くなると金融業がよくなるよ・・・金融と言っても現在では株や証券、不動産と言ったように範囲が広く、特に投資家向けの不動産が良くなる・・・。

その帰宅途中では、自分の胸の高まりと渋谷の街のネオンのざわめきなのか・・・胸騒ぎやざわめき感を感じたのです。

それがバブルのきざはしたっだのでしょう。

その半年後には、不動産開発会社初穂インターナショナルへ転職しようと思い、退職願いを出したものでした。

今思えば内定されてからでも良かったはずなのですが・・・(笑)

思い立ったら吉日・・・が僕の行動力・・・と思っていた時代です。
 

「集団就職?」 憧れの東京を目指す。
① その当時の私の財産・・・。「布団一式、背広一着、下着、筆記用具etc」プラス母から貰った一か月分の生活費6万円。それが私の出発点であり全財産。
② 家具のデザイナーを目指し、東京に上京。しかし住んだのが埼玉県越谷市である。それは寮がそこにあったためである。
③ 手取り10万円、寮の食券2.5万円+3万円が仕送り・・・。
④ 25日が給与支給日、30日にはスッカラカン!後の土日はバイトにあけくれる日々・・・。夜逃げやの手伝いがおもしろく、見入りがgood!社会勉強にもなった。
⑤ 開発センターに配属され、家具の倉庫番が耐え切れず、営業職を希望する。
⑥ 商品知識が功を奏し百貨店担当となる。
⑦ 営業にでることによりバブルのざわめきを肌で知ることとなる。
⑧ 10万円の物を売って1万円利益することよりも1億の物を扱って1000万円の利益をとる方に芽生える。
⑨ 当時23歳で結婚をする。
親父の職業:走る魚屋ビジネス・・・焼酎と博打でまだまだ超貧乏生活。それに追い討ちをかけるようにJA(農協)がAコープ(スーパー)を展開。田舎の人もAコープで魚を買う時代に突入し、売上が落ちていく。