だいぶ記事が遅れてしまいましたが 2/17は富士吉田で富士山について勉強しました。
北口本宮富士浅間神社。杉と石灯籠がずらりと並ぶ参道。寒い朝です。
姿勢の良い狛犬です。
リボンを付けてもらっている
このあと 溶岩流の上に建つ新屋山神社へ参拝してから無戸室(むつむろ)浅間神社・胎内神社
へ行きました。
ここには船津胎内樹型という溶岩樹型があります。
江戸時代に行者達が富士山登頂の前に胎内巡りをしていたことが描かれています。
どのようにして胎内樹型ができたのかが説明されています。
溶岩流に取り込まれた樹木が焼失し、樹木のあった所が空洞になるということです。そんなふうにしてできた溶岩内のトンネルに潜入するのが胎内巡り。
胎内へ入ります。
電球が灯されていて、暗くはありませんが、だんだん背丈が低くなり四つん這いでないと通れません。腰痛患い中だった私には残念ながら無理でした。
母の胎内は断念しましたが父の胎内へ参りました。大日如来。
ここは立って歩いて通れます。
出口を振り返る。
次は 富士山世界遺産センターです。想像より遥かに面白かったです。
現代版冨士北麓参詣曼荼羅が大きく描かれ、江戸時代の絵図も展示されていました。
登山者たちはこのような版画を参拝記念に頂いたようです。
案内図。
浅間神像
次は御師旧外川家住宅の見学。
御師の家には富士山の版木があって、富士山が誕生したとされる庚申年には、庚申の牛王札が刷られたのだそうです。
富士講の寄進したものが色々展示されてました。浅草の太々講の名前はこれまでに 登山記念の石碑で何度も見たことがあります。
この講紋も何度も見たことがある。
銅壺は燗をつける銅性の湯沸かし器らしい。
そしてふじさんミュージアムへ。ここは文句なし、最高に興味深い資料館でした。また行きたいくらい。入口に富士塚
金の富士山の上に立つ木花開耶姫
沢山の講札
所謂ガイドブックですね。
「富士山に登るにはお金が必要です。」江戸時代には山役銭を登山口で支払い(上納)、元禄時代からは 山中4箇所の役場と御師に分配されたとのこと。江戸時代後期に山役銭や宿泊費など色々合わせると登山者一人当たり食費2ヶ月分に当たるくらいのお金がかかったそうです。
山役銭は廃仏毀釈のときに廃止になったらしい。(富士山NET参照)
不動明王像御正体(懸仏)
虚空蔵菩薩像御正体
富士山の女神と大日如来
大日如来
牛王宝印の版木 おサルがいっぱい
沢山の講があります 江戸後期には9000ヶ村に富士講があったのだそうです。
講社の奉納品
江戸後期には 交通案内や名所も記されるようになり、旅行的になっていたようです。
御朱印をいただくように このような絵札をいただいたのでしょうか。
江戸時代の銅製の鈴。富士登山で使用されたものです。こんなの欲しいです。
富士山明細図 胎内巡りも描かれています。
小室浅間神社を参拝
山中の4箇所の役場の一つ。
5合目の下にあり、山役銭を支払って頂いた登山切手の改場だったそうです。
大日岳のそばに12軒の石室があったそうです。
色々なことが想像されて、とても興味深いです。もっと勉強してみたくなりました。