2/2-2/4に埼玉から富岡・西上州へと旅をしました。「絹の道をたどる」という 隊長の気合の入った計画、素晴らしかったです。
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コクーンシティの看板からスタートして、まずは武蔵一宮氷川神社を参拝します。参道が2kmもあって丁石が案内します。早朝から何人もの人や犬が歩いたり走ったりしていました。広い参道の両側はケヤキの大木などが並び、周りは住宅で 時々おしゃれな喫茶店などがあります。文化14年の常夜塔。
途中にあった大きな常夜塔。
足元に獅子が隠れています。
三の鳥居は片倉製絲紡績株式会社奉納。絹の道ならでは。
ちなみに二の鳥居は明治神宮から移築したものだそうで、木造明神鳥居としては関東最大級とのこと。
その後の行程は隊長の記事に委ね、一挙に甘楽町の歴史民俗資料館へ。
素晴らしい資料の宝庫です。
ここには円空仏がおられて、以前訪ねてきたことがあります。かぶりつきで見ることができて写真も撮れます。感激の再会。
でも、この円空さんが霞んでしまうほどの興味深い展示物の数々。それもこれも この場所に来るまでの旅路で多くの知識を得たからです。勉強とは自分の世界を広げることですね。
田島弥平旧宅や高山社(明治時代に養蚕の研究・教育などを行った)では 蚕が病気になると大損益になるため顕微鏡で卵を観察したりしたそうです。勉強に来た学生さんたちが ズラッと並んで顕微鏡を覗いている写真も展示されていました。
ここには ドイツから購入してきた顕微鏡を真似て日本で作ったという顕微鏡が展示されていました。
すべて手作業だった江戸時代の養蚕の様子が描かれた浮世絵。絹笠大明神を掲げていたことがわかります。蚕棚や蚕に桑を与えている様子も描かれています。
蚕から糸を繰り出している。大黒さんのような絵は蚕がうまくいって大儲けする様子を描く。
大勢の女性が桑を刻んだり、蚕から糸をとったりしている姿が描かれています。そういう工程も今回ここに来るまでに勉強して知ったこと。
歌麿の作品もありました。
鈴木春信の浮世絵
時代は代わり、富岡製糸場で女工さんたちが並んで作業しています。
富岡製糸場工女勉強の図。産業として確立していくまで 外国から指導者がきていたそうです。立っている女性はずいぶん厚底の草履を履いていますがなんだろう。
絹笠明神
養蚕神の石造物。しびれる美しさ。
こんなポスターもあったらしい。これを見ると 山梨のピストンさんちゃんさんが子供の頃「桑の葉を食べてしまうカミキリムシを捕まえると役場が1匹5円で買い取ってくれる」という話もなるほどです。
大きくて良い糸の取れる繭を得るために品種改良もされました。食べさせる桑の葉も同じく品種が沢山あったようです。「大正13年からこの品種以外の繭は買いません」 と描いてありますね。
神棚の様子。
すごい人の数。。。この方たちが 日本の近代化を支えたのですね。あゝ野麦峠の世界。
後方の滝は何でしょう。
このあと富岡製糸場も見学しました。
最終日には 一之宮貫前神社へ。大きな青銅灯籠。養蚕業・生糸産業の繁栄を祈願して奉納されたもので、県内外の関係者千五百人余が出資した とのこと。
参道が下る珍しい神社。
下仁田の歴史館も訪ねました。
ここには石造養蚕神の写真がずらり!!半分以上は以前に訪ね見たものでしたが知らない方々も。うっとりです。
衣笠明神の版木
衣笠明神の木造
西光寺にあった衣笠明神が移設されていました。明治37年。頭には養蛾 手には繭玉と桑の葉
美しい石造物実物を見ることができて大感激!
姫街道も絹のお陰で賑わったのでしょうか。
これらの施設は超お勧めの勉強スポットです。また行きたい。
何日もかけてこの計画を練ってくれた隊長に感謝です。