ヘブル人への手紙 6章13節〜7章28節
「古い大祭司は、神の前に出る時、まず自分の罪をきよめるために、そして人々の罪のために毎日、動物のいけにえの血をささげる必要がありました。しかしキリストには、その必要が全くありません。なぜなら、主ご自身が十字架にかかってご自分をいけにえとしてささげ、ただその一度の行為で、すべてを成し遂げてしまわれたからです。 古い祭司制度のもとでは、彼らは大祭司であっても、自らを悪から守ることのできない罪ある弱い人間でした。しかし後に、神は誓いをもって、ご自分の御子という完全なお方を、永遠の大祭司に任命されたのです。」へブル 7:27-28
ここでは再び大祭司のことが出ています。これは強調してもし過ぎることがないほどに大事な箇所です。主イエスが永遠の大祭司として立てられるために、以前のレビ人中心の律法と祭司制度は廃棄され、新しい制度となったと書かれています。その制度とは
最初はメルキゼデクとアブラハム
第二はモーセとレビ人
第三はレビ人ではないキリストと聖徒達
とあります。
最初の制度では、サレムの王であるメルキゼデク、つまり平和なるサレムの王なる、正義そのものメルキゼデクを祭司としてアブラハムが捧げ物を渡しています。メルキゼデクの名前の意味は「平和の王なる正義」まさに祭司にふさわしい名前です。アブラハムは戦利品の1/10を捧げました。
面白いことにこの方は、二つの職業を持っています。「王」であり「祭司」であるという記述です。世界中の富を握るとされるユダヤ人は特に起業家として生まれた時から訓練されますし、箴言31章にも女性起業家の鑑(かがみ)が書かれています。日本の洗剤のLIONや、山崎パンなどのいわゆるトップ起業の社長達や会長はクリスチャンであり、ギデオン協会という聖書を配布するクリスチャン実業家団体の会員です。聖書を読むと聖霊が働き、沢山の未信者が自ずとクリスチャンになります。教会に行かずとも、クリスチャンに説得されなくとも、読む方々に光と慰めと救いをもたらします。2000-2002年まで2年間、毎朝8時に慶應大学日吉キャンパスに着いて祈っていた若い韓国人の宣教師は、教会に行かずともクリスチャンに会わずとも聖書を読み救われたそうです。聖書は歩く伝道者なのです。そう考えると、ギデオン会員は、実業家であり伝道者であり、み国の宣教サポーターであるとも言えます。二つの職業とミッションは成立します。
これはペテロも指摘している点です。
しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。
(1ペテロ2章9節)
今や完全な第三の祭司制度が始まっています。第二のユダヤの祭司制度では罪を赦すことができませんでした。この新しい制度において私達は「王なる祭司」であるとペテロは言っています。英語はroyal priestつまり王家の祭司とあります。今朝、油注ぎを主イエスからいただきましょう。王または王子、王妃または女王として、額にオリーブ🫒油を塗って「仕える」権威をもって一日を歩みたいと思います。主イエスのみ国は支配し拘束するみ国ではなく、愛し捧げて赦し祝福し僕として仕えるみ国だからです。
主イエスと共に1週間を始められる愛する兄弟姉妹をみ名で祝福し送り出します🌸💐行ってらっしゃい!
🌹🌹私達もキリストに連なるroyal priest王なる祭司....