自由意志 | ハッピー・バースディ・ファンドの記録

ハッピー・バースディ・ファンドの記録

2008年からフィリピンはデュエグ山、パンパガ、セブ島やマニラや北京のゴミ捨て場、ネパールはカトマンズ、シンドパルチョック、東日本大震災の宮城県・岩手県・福島県や熊本・阿蘇大震災などの被災地で働いてきました。愛と感謝の記録。




【自由意志】



"わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。"
(ヨハネの福音書10章17~18節)
“Therefore My Father loves Me, because I lay down My life that I may take it again. No one takes it from Me, but I lay it down of Myself. ”」(‭‭John‬ ‭10:17-18‬ ‭NKJV‬‬)




  近年、イスラム過激主義を背景とした武力テロによる邦人犠牲者が増えてきました。一般的に日本人は一神教的世界観について明るくはありません。宗教のために自らの人生や命までも捧げる人々に不気味さを覚えているのが大半の日本人の姿ではないでしょうか。今後益々、この点の無知が私たちを危険に晒す事態となります。彼らの行動原理を理解することは、私たちの立ち位置を把握する上で非常に重要なことと思えます。それでは彼らの行動原理とは一体何なのでしょうか。

 テロリストたちは、自らの価値観にかなうことならば、たとえ個人の自由意志や尊厳を奪っても、それは正義だと考えているのです。善いことであるなら、政治力や武力によって押し付けてもよいのだと。

 実はキリスト教界も、かつて同じような間違いに陥り、この大きな失敗の痛手から学び今に至っています。中世ヨーロッパの暗黒時代と呼ばれた時代、政治と宗教は一つの権力機構として体をなしていました。彼らは、本来、善いものであるはずの“信仰”を個人の自由と決断を奪うことによって、悪辣なものに変質させたのです。政教一致時代のキリスト教界の堕落については今更言うまでもありません。

 神は、創造の初めから私たちに自由意志を与えました。この自由ゆえ、神も人も今に至るまで血を流すほどに苦しんでいます。私たちに自由意志など与えられなかったらこんなに苦しむことはなかったでしょう。何ゆえ主は私たちが意思をもって選べるように創られたのでしょうか。それは愛ゆえだと聖書は断言します。

 私たちの主は逃れる事が出来たのに、自ら意思をもって十字架の道を選ばれました。それによって私たちに愛ということがわかったのです。私たちが自由意志をもって、選択し、決断し、選ぶとき、私たちが神を愛しているということがわかるのです。決して自由それ自体が目的ではありませんが、自由は、愛の関係において不可欠な前提なのです。

 今日、世界を二分する大きな対立構造は、この自由を奪う方向で時流を逆行させる中世的価値観と、人間の尊厳や自由を尊重する近代的価値観の対立構造であり、福音的な観点から言うなら、後者のそれは、決して人間の自由それ自体が目的ではないのですが、創造者との愛の関係において私たちキリスト者も共有する譲ることのできない価値観なのです。現に歴史を導いておられる方の御手は人類をそのように導いて来られたのです。

願わくは、私たちに与えられている自由をもって、私たちの神への愛がいよいよ明らかになりますように。
 
兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。(ガラテヤ書五章十三節)


今日も主と共に歩む皆さまの上に豊かな祝福がありますように


By Hiroshi Ishino