血液内科のDr.シンの指導の元、抗がん剤の二次治療が始まる。


一次治療のアブラキサンは、アメリカの工場で出荷停止となり、レントゲンの結果、微増していたので、免疫療法のテセントリクと共に、抗体が出来たと判断された。


アブラキサンは、横ばいの内は、薬が効いていると見なされ、期限は永遠に延びる。それはそれで、止め時が分からず、スッキリしない。その間は、髪も生えて来ない。


二次治療は、AC療法と言って、ドキソルビシン+シクロフォスファミドの組み合わせだ。一次より奏功率(命中率)は下がり、30%。副作用も、きつくなって来ると聞いた。


Dr.シンの、インフオームドコンセント・タイムは長く、心の耳栓をして聞いている。倦怠感・不整脈・貧血・嘔吐・便秘・下痢・しびれ・生殖機能障害┅まだ半分だ。長いので省略。

これだけ副作用の言葉を、浴びせられると、投薬前から具合が悪くなる。


いっその事、遣らない方が、健康のために良いのではないかと、思ってしまう。


心臓に負担が掛かるので、3週間毎の6回コース。今回は期限付きだ。

5回目の入院は9/21からで、9日間の予定。相変わらずのコロナ禍だ。


左上腕神経に、ガン細胞に依るしびれがあったので、私なりの判断として、そこが良くなるかどうかが、指針となるボイントだ。


この頃は、咳と血痰がヒドく、一晩で、ティッシュひと箱を使うこともしばしば。入院前に、光治療のDr.サトコ推薦の“フコイダン”を飲み始めていた。高価だが、とても体に合って、血痰が1週間で治まっていた。


と言う理由で、効く薬は1週間程度で、目に見えて来る!が、目安になっていた。


1回目の点滴スタート。


2日間程は変化は無かったが、3日目あたりから、ダルくなり、吐き気を催し、食欲無し、ただひたすら寝ていた。ドラマでよく見る、具合の悪いシーンだ。


途中、熱のある急患が入り、すぐ個室へ移って行った。が、一時同室と言うことで、新型コロナを懸念して、私の4人部屋の病室が、閉鎖された。

丁度、調子が悪く寝たきりだったので、閉塞感を、味わわなくて済んだ。


こんなに食べられないなんて、治そうとする力を、作ることは出来ないではないか⁉️退院するためにも、無理やりお腹に入るものは、何でも頑張って食べた。


その姿勢が評価され(?)、白血球が、食べない割りには、下がらなかったので、予定通り、退院の運びとなった。

~ここに居ては命が持たない。生きるために、病院を脱出しなければならない!!~


私の指針の、左腕のシビレが、ちっとも治まって無いことや、入院前に比べ、歩くのがやっとこさのレベルまで、体力が落ちてしまった事から、決定した。

《悪化している》と。

この抗がん剤は、効いてないな❗️と、位置付けてしまった。



その頃の体の状態は、日常生活を営む上では、ギリギリであった。


余命わずかの、患者の様子を書いた本を読んだ。ステージ4全身末期ガンだった、利根健氏の《僕は、死なない。》だ。


              《ガンサバイバーの話》

そこで、最後へ向かう人の症状が出ていた。

・胸がいたーくなる

・咳が止まらなくなる

・息が苦しい

・痰に血が混じる

・声が出なくなる

・水が飲めなくなる(嚥下が出来ない)

・だるーくなる

・歩けない、寝たきりになる


1m歩くのに、かなり時間がかかっている事も合わせて、ほぼ当てはまっている。

これはもう、棺桶に片足入っている状態だ。

遂に私は、状況から判断して、これはもしかしたら、1度死んでいる(限りなく死に近付いている)かも知れない、と見なした。


次の抗がん剤まで、あと2週間ある。

まだ1mは歩いている。

まだ足掻ける。足掻けるなら足掻こう。


光治療のDr.サトコ推薦の“ヨウ素”点滴を、太鼓を叩き“囃し係り”の妹が、突如思い出した。


ドンドンドン「お姉ちゃんまだ、遣ることがあるよ。力を振り絞り進め!」ドンドンドン


いくつかの、候補のクリニックを調べてくれ、電車で乗り換えの少ない“ホロス松戸クリニック”を選び、予約を入れた。