新年は、病院通いから幕が開けた。
一年を占う、出だしが肝心なのに、
病院イヤーとしてしまい、2021年だけで、入退院を5回繰り返した。
出産以来の、久しぶりの関東労災病院。
呼吸器内科のDr.ヒデからは、
「CTでは、左肺のまん中のリンパ節のところに大きな影と、下側に小さな影の2ヵ所が写っていました。小さい方から細胞を取ります。ガンの可能性があります」
改めて、医師の口から告げられると、圧倒的な重みがある。
私の中では、乳ガンと咳は結びつかなかった…と言う事で処理していた。
予め犯人が分かっている推理小説の、犯人捜しだったのに、そうではない可能性をひたすらさぐっていた。
まだ、ガン細胞を、実際に採取した訳ではないので、M先生の《気管支にバイ菌が入った説》を、密かに支持していた。
ガン細胞を特定するために、検査入院をすることになった。1月19日から2泊3日の予定。
行なうのは、直接、口の中から気管支の中を見る《気管支胸検査》。内視鏡を使い、いわゆる肺カメラを入れ、確認しながらの、さらに細胞を鉗子で採取する《経気管支肺生検》もする。
書いているだけで、喉が詰まって来そうな検査だ😂
スプレーで、局所麻酔を喉にかけてくれるが、ありがたみを感じない。意識があるので、口から管が入るのも見えるし、『オエー』『オエー』の吐き気を何度も繰り返す。涙がチョチョ切れ
『もう勘弁してェッ!!』の時に、解放された。
術時間は30分くらいかな。
生検は外部に判定依頼するので、結果まで3週間以上かかる。
待っている間も、CTやらペットやらMRIの“検査”の為の検査を、次々と受ける。生検の結果と照らし合わせる為だ。
2月に入り、結果発表。この頃、声を完全に失ってしまった。一人では対応出来ないと困るので、息子に付き添ってもらう。
物々しい顔つきをしたDr.ヒデが、口を開く。
「気管支の先っぽが、ガンで針の穴くらい狭くなっていて、それで呼吸が苦しいと思われます。そこから採取しようとしましたが、取れませんでした。判断出来ません」
『┅、私の“オエーオエー”を返せ!』
病院は同じような検査を何度もさせる。ただでさえ弱っているのに、血液を何回も抜かれる。
また、Dr.も曜日で外来の診察日が決まっているので、ちょっとした事は、
「また翌週に来てください」となる。
同じ日にCT撮って、結果発表はしない病院だ。診察の曜日と祝日が重なった時は、さらに2週間くらい先延ばしになる。
他に入院サポートセンターで、入院の心構えを指導されたり、手続きは繁雑で、何度も通うことになる。
3月半ば過ぎに、“検査その2”が決まった。
《CTガイド下肺生検》である。CT装置で、身体の断面画像を見ながら、皮膚の上より、肺の病変部分に“長~い針”を刺して、スポイト方式で採取する検査だ。今度は1泊2日の予定。
説明だけで、クラクラして来た😭
これも局所麻酔で、先生方は見えないが、声は全部聞こえる。
当日はうつ伏せになり、CT検査のベッドに乗る。
「ハイ、針が入りました」
「只今、1cm行ってます」
「3cm入りましたが、到達しません」
4~5回に分けて、じんわり前進させる。
「ここから5mmずつ前進させます」
(ハヨ、進まんかい!)
「ハイ、採取します。スポッと音がして、風が出ますが、驚かないで下さい」
(その前から、とっくに驚いているぞ!)
痛さに加え、針4cmを背中に突き刺したまま、はりつけの刑に処せられている感じで、恐怖におののいていた。
そしてその夜、一晩中本当に痛かった。
結果が出たのは3月末。やはり心配なので息子に付いて来て貰った。この告知の場面は、毎回ドキドキする。
Dr.ヒデ:「検査を頑張って貰いましたが、取った中に、ガン細胞はありませんでした。今回も判断付きません」
私も息子も、再び、肩透かしを食らった。
失敗って言うこと?謝りはしないので、単なる、途中経過の発表なのかな?
『┅、あの恐怖の針の時間を、返せ!』
併せて、聞きたかった質問をした。
私:「先日の喉の検査(その1の検査)から、声が出なくなったのですが」
Dr.ヒデ:「僕の遣り方のせいだと言いたいのですか?一時的に出にくい人もいます。声帯が気になるなら、耳鼻科に行って下さい。紹介します」
私:「それと、最新のCTの写しを頂けませんか?(M先生にも見せる為)」
Dr.ヒデ:「総合病院などのセカンドオピニオンに持って行く以外は、出しません」
いつも温和で、人の目を見て話す先生だったのに、虫の居所が悪かったみたいだ。いつもと違った。
それで次回は、呼吸器外科へバトンタッチすると告げられた。Dr.ヒデとは、ここまでだった。
“検査その3”を、4月の半ばに決める。4泊5日だ。その前にPCRの予約とか、入院サポートセンターの、看護師面談がある。もう3回目の入院なので、“寄り添う入院の心構え”は、免除して欲しい。
呼吸器外科は、若手と熟年の2人の医師が、タッグを組んでくれる。
今度は、肺を手術する方法と一緒の
《胸腔鏡検査》だ。3ヵ所穴を開けて、胸腔の中に空間を作り、組織を採取する術式。穴なので、後々は手術跡がほぼ消える。
念願の全身麻酔だ。
これは順調に行った。肺の下側の小さなボヤッとした細胞と、原発の胸のリンパの、モヤモヤした細胞を採取出来た。それが何なのか、胸と肺が同じ組織なのか、ようやく判定が付く。
ただ、驚いたのは、家族を呼んだ術前説明で、呼吸器外科の若い先生に、言われた事だ。
Dr.ヒデから告げられた、肺のまん中の大きな丸い影を、リンパ節のガンらしいと告げられていた。ところが、実は
「《大動脈》です」
と、若い医師に撤回された。医師の顔をニ度見した。何回も聞き直した。
『肺のまん中の、あんな大きな腫瘍を相手に、私は降参するしかないよ~』
半ば諦めてもいた。
でも違った❗️
CT画像は何回見ても、よく分からないので、すぐメモするが、Dr.も時には、間違った説明をするんだなぁと、怒るより、良い方に転がったので、浮き浮きしながら、手術台に上る事が出来た。
結果は、肺の部分は、乳ガンからの転移と判った。一致したので、乳ガン用の抗がん剤の投与となる。手術は出来ない。今まで避けて来たが、僅かでも可能性があるなら、抗がん剤を受けるしかない!!と、気持ちを変える事にした。
“HER2マイナストリプルネガティブ”に辿り着くまで、労災病院で5ヶ月間かかった。咳が出てからは、9ヶ月目だ。長い。
もともと、初診の日に病院側へ、私が伝えていたガンの型だ。
身体に激震をもたらした、あの“検査その1”と“検査その2”は、必要あったのかな?
さらにリレーは続く。
大型連休も終わった5月に、今度は化学療法をする血液内科に回される。
担当のDr.シンは、
「息苦しいのは、肺のガンが悪さをしていると思います。胸のリンパのガンからは、気管支を刺激して、咳や嚥下や声帯の神経に触って、血痰も出て、調子が悪いと思います」
と、丁寧に解説してもらった。
「声は1度失うと、元に戻るのは難しいと考えて下さい。再発なので小西さんは、レベル4です」
分かりやすい、冷静な言葉だ。
大病院のシステムに、乗っからなければ、また、難民になってしまう。
毎回結果発表に、付き合ってくれる子供たちや妹に、心配をかけちゃいけない。
それは避けなくてはならない。