娘は仕事があるのでここまで。徳島駅で別れた。知らない土地でのバイバイは、もの寂しさがマシマシになるな。


私が入院する病院は、12の診療科目に対応している、救急指定の病院だ。病床数は119ある。


前方に大阪公立大(2020府立大と市立大が融合)のキャンパス、後方には白鷺公園が控えていて、のどかな別荘地に来たみたいな病院だ。


とうとう着いた!

先週お会いした、K先生の診察室に入る。


K先生:「(キョトン)┅アレ?1人なの?

今日は手術する、お母さんは来ないのですか?」

私:「(キョトン)┅先日は娘と二人でしたが、今日は1人です。私が母の方です」


髪型が似ているからって、間違うか~!

《やっぱり、覚えていないんだ~》


そのまま手術前のCTを撮りに、検査室に行った。が、

“60才と20代を間違うか!”と、

又思い出して、笑ってしまう。

なぜか嬉しくて体が揺れてしまう。

静止しなくてはいけない撮影なのに、こらえるのに苦労した。動かないように、何度も注意された。


『この先生で大丈夫かな?』

なんて思わない。手術を控えた体が軽くなった。女性はどんな場面でも、この種類の勘違いは、受け入れてしまう余裕があるものだ。


翌日が手術日。K先生と院長のタッグで執刀して下さる。

麻酔をかけられて、

「1から10まで数えますよ」

と言われたが、「1…」のところで、意識は無くなった。


夕方麻酔から覚めると、集中治療室(ICU)にいた。その日はICU泊まりだ。

周りは高齢者ばかりだった。


翌朝の院長回診の時、患者1人1人に

「マシかー?」「昨日よりマシかー?」

と尋ねていたので、これが大阪方式なのかな?と、又おかしくなった。


K先生からは、

「始めに放射線かけてから手術する病院もあるが、私はそんなことしないよ。手術の時大学病院などで、別な若い医師に代わるところもあるが、私はそれもしない。時間は1時間でまとめて、血もほとんど出なかったよ」

と報告された。


大きくなったガンが神経にさわり、痛くて堪らず、寝返りも打てなかったが、これで眠られる。ひと山越えた。


《リゾート地の別荘のような病院》

入院は全部で9日間だったが、
5日目あたりからは、回復順調で、暇になった。午後、セキュリティの甘い時間帯があるのを、私は見逃さなかった。
『せっかくの堺市、百舌鳥古墳も近い。足跡を付けて来ようかな!』

百舌鳥・古市(もずふるいち)古墳群は、病院からバスで15分くらいのところ、三国ヶ丘の駅前からが近い。古墳は4世紀から6世紀にかけて築造された。その中の日本で最大級は、仁徳天皇陵古墳(大仙陵古墳)だ。歴史の教科書でもお馴染みの、前方後円墳だ。

街おこしの《古墳でコーフン》のキャッチコピーに釣られ、外堀のコース一周2.8kmを歩いてしまった。1時間かかった。

《ここの門が拝所だ。頼むとガイドさんが説明してくれる》

2019年7月6日に、古墳群49基が、大阪初の世界遺産に登録された。その10日前に訪れたので、今でもちょっぴり誇らしい。病院の皆様、無茶してごめんなさい🙏

退院の時、K先生からは、
「左乳房全摘したよ。大胸筋の一部は取ったが、リンパとか残した処もあるから、横浜のM先生に、マイクロ波を掛けて貰い、ケアして下さいね」
と念を押された。

この半年後に、新型コロナウイルスがまん延して、病院も隔離、国も鎖国状態になるので、病院を抜け出し散歩したことや、堺市まで子どもたち(もう社会人)や、妹が見舞いに来て、病院に1泊してくれたのは、夢のような思い出だ。

異郷の地で、ほんわかした時間を過ごした。