前回のつづきです。
「根源的な状態」が「私」という思いを受け入れて「私」という思いを抱いた。
同時に「私以外」という思いを抱いて「私以外」が出現した。
この「私以外」は「私」の誕生を全面的に肯定・祝福している。
このようにしてここに浄土が出現した。
だが「私」は「私以外」を恐れてこれをなかったことにした。
「私以外」をなかったことにした「私」は罪悪感を抱いた。
そこで「私以外」をなかったことにしたこともなかったことにした。
これにより「私」が「私以外」に対して持っている恐れ・劣等感・罪悪感が「私」のなかに潜在した。
「消滅してしまうのではないか」という恐れが潜在する「私」は「肉体」を観念した。
すると「肉体」が生じた。
「私」は「この肉体が私だ」と思うことにした。
そして「姿形があるから私はある」と思い一応の安心を得た。
他方「肉体」が生じると同時に「世界」が出現した。
「世界」は「私」のなかに潜在した「私以外」が「肉体」レベルで出現したものだ。
「私」は「私以外」の「肉体」レベルでの出現である「世界」に対する恐れ・劣等感・罪悪感を潜在的に持っている。
「世界」は「私」が潜在的に持っている恐れ・劣等感・罪悪感に呼応する。
「世界」は「私以外」の「肉体」レベルにおける現れだ。
「私以外」は「私」と思っている「根源的な状態」が「私以外」と思うことにより出現する。
つまり「私」と思っているのも「私以外」と思っているのも同じ「根源的な状態」だ。
だから「私」が恐れ・劣等感・罪悪感を持っていれば「私」と思っているのと同じ「根源的な状態」が「私以外」を介してこの思いを実現する。
これらのことをすべて忘れて「私は肉体だ」と思っている「私」にとって「世界」は居心地が悪く常に脅威的だ。
そしてなぜか「私」を害するようなことばかりが起こる。
今の「私」はこのような状況にあります。
この「私」には三つの方向性があります。
1.「世界」と戦う
「世界」は「私」のなかに潜在する恐れ・劣等感・罪悪感をことあるごとに刺激します。
「私」は「世界」と戦って「私」のなかに潜在する恐れ・劣等感・罪悪感を否定します。
「私」はこのことを自覚していません。
たとえば人間関係でいえば一方的にプライドを傷つけられたと思っています。
他者と戦って勝ち一時の優越感を得ることで潜在する劣等感を否定します。
「世界」と戦うと永遠に戦いつづけることになります。
「私」のなかに潜在する恐れ・劣等感・罪悪感に気づくことはありません。
気づくことがないのでその原因である「私以外」に対する誤解や「私」という思い込みにも気づくことはありません。
「世界」と戦うことは原因に逆行する方向性です。
2.「私以外」に対する誤解を解く
「私以外」は本来は「私」の存在を全面的に肯定・祝福するために出現します。
「私以外」が出現したことで「私」は真に存在する喜びを感じここに浄土が出現します。
ですが「私以外」に対して恐れを抱くことで「私」のあり方は一変してしまいました。
原因は「私以外」に対する誤解にあります。
「私以外」に対する誤解を解き「私以外」をそのまま受け入れる必要があります。
ここで方便神が登場します。
方便神の本来の役割は「私以外」に対する誤解を解くことです。
この方便神を正しく理解することで「私以外」に対する恐れ・劣等感・罪悪感が徐々に解消し、これと同時に「私」自身に対する誤解も徐々に解消していきます。
そしていずれ「私以外」に対する誤解および「私」自身に対する誤解が完全に解消しここに本来の姿である浄土が出現します。
3.「私」という思い込みを解く
「私」という思い込みを解き「根源的な状態」に戻ります。
そもそも「私」の本質は「根源的な状態」です。
この「根源的な状態」が「私」という思い込みをし、この「私」という思い込みの上にさまざまな思い込みをして現在に至っています。
まずは「私」についての思い込みを解いていきます。
これは自分自身についての気づきとして訪れます。
「気づく」ということは自分自身についての思い込みが解消されつつあるということです。
自分自身についての思い込みが解かれると最終的に「自分」つまり「私」という思い込みが残ります。
この「私」という思い込みが解かれると「根源的な状態」に戻ります。
以上で終わりです。