私がネガティブな人間関係において内省をするとき心がけているのは「他人に原因はない」ということです。

 

原因は自己の内面にあり、それは具体的にはネガティブな自己像です。

 

根源的な状態が「すべて」を成就すべくふたつに分かれたとき、存在すべく分かれた一方の自己が自己を存在させるべく分かれた他方の自己以外に恐れを抱いた際、これと対比して自己をネガティブに規定しました。

 

これは簡単にいえば、「私はいつ消滅するかわからないほどか弱く、非常に劣等で、罪悪に満ちていて罰せられるに値する」というものです。

 

私はこの自己像を自己実現しています。

 

 

私が自己実現している世界における他人は私を害します。

 

人生におけるすべての場面において常に私を障害する他人がいます。

 

そのほとんどがそのときの私にとって最も重要な人物です。

 

このときの私は私たちの関係を修復するための積極的な努力はほとんどしません。

 

それが仮に奏功しても所詮は表面上の解決にすぎずまた同じような状況を他の他人との間に実現するからです。

 

 

そのかわりに内面の原因を観るようにしています。

 

これは非常に難しいことです。

 

当然相手を責める感情が次から次へと際限なく湧き上がってきます。

 

これはネガティブな自己像から湧き上がってくるものです。

 

ネガティブな自己像は他人に原因を求めています。

 

ネガティブな自己像は恐ろしいほどの恐れと絶望を抱えています。

 

このような状態にあるネガティブな自己像は他人を責めるしかないのです。

 

 

内省を深めてネガティブな自己像に近づくとそれがまるで化け物のようであることに気づきます。

 

本当に恐ろしいです。

 

一瞬垣間見ただけでその恐ろしさにゾッとして封印して見なかったことにするほどです。

 

ですがこのネガティブな自己像(自己に対して自己自身が抱いたネガティブな思い込み)が解決されると自己を害するものが消滅します。

 

他人との間になにが起きても自己の内面に刺さらないのです。

 

 

他人を許すということは他人に原因がないということがわかることです。

 

原因は自己の内面にあり、それは具体的にはネガティブな自己像にあるのですがこのネガティブな自己像自体も責められるべきものではありません。

 

これは根源的な状態が「すべて」を成就するためのプロセスで一過性のものです。