ネドじゅんさんの脳の話を視聴して思ったことを書いてみたいと思います。
ネドじゅんさんによれば左脳と右脳と意識があって、左脳が思考していて意識は左脳にあった。
その意識が左脳から右脳に移ったことでこれまでにない幸福を感じるようになった。
また右脳は身体の自律神経と繋がっていて、この自律神経が身体の各所を機能させている。
このような話だと思います。
なるほどと私も思いました。
このネドじゅんさんの話をふまえてさらに思ったことを書いてみたいと思います。
私は以前に数回、奇妙な体験をしたことがあります。
夜中にふと目が覚めると、心の奥深くで思考しているのです。
具体的な思考内容は忘れましたが、それは私を取り巻く状況についてのものでした。
いたって冷静で非常に客観的な思考でそこにはなんの主観もありませんでした。
非常に客観的に私のとるべき態度を導きだすものでした。
今思えば、左脳単体だとこのようなものなのかもしれません。
怒りの感情を例に話してみたいと思います。
他人が私をばかにしたとします。
そこには私とその人との間に私をばかにしてもおかしくないなんらかの関係があります。
その関係のなかで相手のなんらかの発言があります。
このときに、左脳は私と相手との関係を分析してその上で相手の発言を解釈して「この人は私をばかにしたのだな」と結論を出します。
左脳単体だとここまでです。
「この人は私をばかにしたのだな。そうなのか。」で終わりです。
その上でその人に対して怒ることも蔑むこともありません。
非常に理性的です。
ですが、ここに右脳が反応します。
「私をばかにした」という言葉に反応するのです。
ここで言葉になる以前の怒りが生じます。
この右脳から生じた怒りが「私をばかにした」という言葉をふまえて「私をばかにしやがって!!」という怒りとして具体化するのです。
さらに意識がこの具体化した怒りに巻き込まれて私は「私をばかにするな!!」と怒り出します。
要するになにを言いたいかというと、
左脳はただ思考するだけで右脳を刺激するつもりはない。
右脳が左脳の思考に反応して具体的な感情が生じる。
意識がこの具体的な感情に巻き込まれて感情的になる。
こういうことなのではないかということです。
ちなみに「私」というものも左脳が導きだした言葉にすぎないのかもしれません。
この「私」という言葉に右脳が反応してこれに意識が巻き込まれて「この(右脳と繋がっている自律神経によって機能している)身体=私」と意識が思い込んでいるのかもしれません。