思考は「私」の周りに常に漂っているものではありません。

 

思考も常に生じては滅しています。

 

この生じては滅している思考の出どころは「私」です。

 

「私」を通して思考は生じ、「私」を通して思考は滅しています。

 

 

生じては滅している思考に持続性はありません。

 

持続性があるようにみせているのは「私」です。

 

 

「私」は「私はある」と思っています。

 

そして「ある」という状態を常に保ちたいがために生じては滅している、この滅している状態をなかったことにしています。

 

滅している状態を「無」と観念して誤解してこれを恐れているからです。

 

さらに「私」はどのようにあるのかということを観念します。

 

このようにすることによって「私」という状態が持続しているように自分自身にみせているのです。

 

 

この観念された「私」のあり方に相応しい思考が「私」を通して生じます。

 

「無」を觀念して「私」が滅することを恐れているため「私」を通して生じている思考も滅することが許されません。

 

実際は滅しては生じているのですが滅した状態をなかったことにしているため滅する前の状態が持続しているようにみえる思考がまた生じているのです。

 

 

要するになにがいいたいかというと思考自体に問題はないということです。

 

実際には思考は滅しています。

 

思考は「私」を通して生じていますがこれに持続性を与えているのは「私」自身ということです。